幼女勇者とロリコン聖女の冒険譚
ヴォイド
第1話「邂逅①」
少女は一人、闇夜の丘を歩いていた。
月は薄い雲間に隠れ、頼れるものは星明かりだけ。数メートル先に獣が潜んでいるかどうかも判別しがたいほどの、闇。
丈の低い草が生い茂る丘陵地帯は、最寄りの都市から徒歩で二日、整備された街道からも同じく二十分ほど離れており、昼間ですら一般人が通ることはない。
しかし少女の堂々たる足取りは迷子のそれではなく、真っ直ぐ前方を見据えた視線は目的地を定めた者の目だった。幼さの残る顔立ちに似合わぬ冷徹な眼差しで前方の闇を見据え、足首の高さの草を踏みしめ歩く。
草の匂いを運んでくる生温い風は僅かに髪を乱す程度だったが、周囲の虫や鳥の鳴き声はその静かな風音でかき消される程に微かなものだった。
「ーー!」
(……?)
その静寂に違和感が混ざった。
「ーーっ!」
自然のものではない音……いや声。それも目的地とは別方向から聞こえた。
「来ないでーっ!!」
少女は耳を疑った。
「来ないでってばーっ!!」
(こんな場所にまだ人が?)
聞き間違いではない。
助けを求める声。
人間の……成人女性の声だ。おそらくは複数の何か……人間より大きな、四本以上の脚で走る生物に追われている。少女の鋭敏な耳はそこまでを聞き分けた。
加えて言えば女性の声に『ある特徴』も感じていたが、距離のせいで確信を持てずにいた。
(仕方ない)
目立ちたくはなかったが、放置もできない。
声は少女が登っている小高い丘の北側から近づいている。少女は西へ向かっていたので、声の主は真横から来る形になる。少女はひとまず足を早めて丘の頂上に辿り着いた。
「来ないで!……ってえっ!?」
女性はまだ三十メートル先で体の輪郭しか見えなかったが、まずいことに彼女も人影の出現に驚いてか足を止めてしまっていた。
「止まるな!」
呼びかけるやいなや、反応を待たずに背負っていた武器を取り出して正面に構えた。その白い弓は少女が持つには些か長く、正面に構えると下端が地面に接し、上端は頭部よりさらに頭三つ分は上の位置にあった。
奇妙なことに弦が存在しないこの弓には、アーチ状の部分を可動するグリップ部が二つあり、少女はそのうちの片方を左手で握った。
女性を襲う襲撃者も影しか見えなかったが、その影が人間と掛け離れた特徴的なものだったことで正体は看破できた。
(オルドラーダか)
それはバッタ型の魔獣の名である。大型のものでは体長二メートル・体高が一メートルに達する巨大バッタで、農作物どころか人間や家畜すらも捕食する。
顔は地球のトノサマバッタに似ているが、胴体はカマドウマのように短く脚の強靭さもこちらに近い。左右に開く顎の外側に上下に開く顎をも持っており、鉄すらも噛み砕く。大型一匹を安全に倒すのに平均的な兵士三人は必要とされるが、大概は数匹以上の群れで行動する。下級ながらも厄介な魔獣だった。
「こっちへ!走れ!」
少女は右手を弦のあるべき位置で構えると、再び叫ぶ。
「早く!」
少女が弓を構えたことに困惑していた女性は、その声を聞くと、
「よっ!よ……!?……逃げて!」
(よ?)
奇妙な言葉を返すと、あろうことかオルドラーダの群れのほうへと引き返していった。
「バカ!『
少女が呪文を詠唱すると、風の魔力が弦と矢を編み上げた。
弦は、具現化した瞬間には既に引き絞られた状態となっており、少女がただ指を離すだけで全ての片がついた。
同時に放たれた二本の矢が女性を追い越してバッタの頭上に達すると、そこから四つづつに分裂し、八匹の怪物を頭部から尾部まで的確に射抜いた。昆虫でいう神経節(脳に近い役割を持つ)をも破壊されたオルドラーダたちは、ピクリともせず即死した。
「え、ええと」
状況を理解できているのか、女性はキョロキョロと左右を見回していたが、やがて怪物の死を確認すると改めて少女に目を向けた。
少女は彼女の反応の遅さに何か文句を言おうと口を開きかけ、
「怪我はない!?」
「それはこっちのセリフ」
出鼻を挫かれ、少女は気分を少し害した。この状況で怪我をしたら少女は余程の間抜けである。魔術の弓矢でも扱いを間違えれば怪我もあり得るが、それは初歩中の初歩のミスだ。将棋でいうなら、プロが『二歩に気をつけろ』と注意されたような侮辱である。
ともかくも、少女は彼女の元へ通りていった。雲間から差し込んだ月明かりが少女を照らし、吹き付ける風が少女の短めの銀髪と日本の忍者のような黒衣を揺らした。
「はぁ……っ!」
「どうした?」
何かに見とれたような様子で黙り込む女性の姿は、地球という世界の日本という場所ではOLと呼ばれるものだろう、と少女は理解した。
後ろに一つにまとめた黒い髪は、解けば肩に達するだろう長さで、この世界では一般的ではないリクルートスーツを着て、ハンドバックを持っていた。混乱しているというのを差し引いてもオドオドとして気弱で頼りなさ気な印象を受けた。
二十代半ばに見える女性は少女を見つめたまま、呆けていた。
そして、突如声を発した。
「け、け」
「け?」
「ケケケケケケケケ」
(精神をやられたか?いや、私の知るオルドラーダはそんな魔獣ではなかった筈だが)
『ケケケ』を繰り返すだけの機械と成り果てた女性を、少女は不気味そうに見守った。魔獣の能力とは関係なく、恐怖で精神をやられることはありうる。少女も実際に何人も見てきた。だが違った。
「すーーーっ」
女性はやがて少女の目線に気付くと急に首を横に振り、長く息を吸い出した。
「ぅーーーー」
「な、なに?」
その吸息は十秒続き、二十秒続き、最終的には一分以上続いた。
そして、同じだけ掛けてそれを吐き出した。少女は意味も分からないまま五メートル離れた位置をキープして律儀に見守っていた。
謎のルーティンを終えた女性は少女に告げた。
「結婚してください!」
「え、無理」
少女は片手を前に突き出し拒絶の意を示した。
「ですよね!!ごめんなさい!つい本音が!」
「本音!?」
少女は軽くジャンプして一メートル以上後ずさり、弓を構えた。
自分の何倍もの体長の魔獣を恐れない彼女が、たかが身長にして頭二つ分上程度、年齢も倍程度だろう女性に恐れ慄いたのである。無理もない。右手を弓より前に出して反射的に撃たないよう自制しているだけ褒められるべきだろう。
女性は灰色のスーツの内ポケットからケースを取り出し、さらにその中から紙を取り出すと、頭を下げながら両手でそれを差し出した。
「あの!私、
「ご、ご丁寧に……どうも?」
黎夜は普段の習慣よりも低い位置に名刺を出したつもりでいたが、それでも少女からすると首の辺りの高さに出す形になってしまっていた。しかし上半身を直角に倒しているので気付かない。
この世界に名刺の授受という習慣はないが、知識としては知っていた。仕方ないので慎重に近づくと、両手で受け取ってみせた。日本語も読めるので、内容に目を通し……目を疑った。
(正気か?)
目を疑った。あろうことか名刺には出生年月日や血液型ばかりか住所や自宅の電話番号まで書いてあった。自宅兼職場の自営業でもない限りはやるべきではない事だが、なんと勤め人だった。
異世界人ですら分かることなのだが、誰も止める者はいなかったのだろうか?内容はさておき、少女も名乗り返すことにした。
「私の名前はアリス。アリス・ワールウインド。勇者だ。聖女・尾藤黎夜」
「アリス!!!?」
「驚くのそこ?」
どう考えても『勇者』や『聖女』に反応すべきだろう。
異世界人……聖女との想定対話マニュアルは熟知していたアリスにもこれは想定外だった。最近の地球人はコレが標準なのだろうか。
(いや、それは絶対他の地球人に失礼だろうな)
「嘘、そんな……こんな、こんな美幼女が……?実在して?しかも名前が少女性の象徴みたいなアリスちゃんだなんて……そんなことが……私死んだ?」
「死んでない」
「ここ天国?」
「私の知る日本と比べるなら地獄に近い」
アリスは深く溜息を吐いた。
「ごごごごめんなさい!私鬱陶しかった……ですよね!本当に……」
「キリがないからやめて。先を急ぎたいところだけど、流石に少しは説明してからにするから。休憩できそうなところまで移動しよう」
「ご休憩!?」
(ご?)
なにか身の危険を感じないではなかったが、アリスは敢えて無視した。世の中、触れるほうが危険なこともある。
アリスは女性を無理矢理に制すると、ひとまず目的地から南に逸れた方角に歩き出した。
途中、焦る気持ちから意識に早足になっていたことに気づいて振り返るが、女性は問題なくウキウキとスキップで付いてきていた。
「アリスちゃん♪アリスちゃん♪」
彼女が魔獣に襲われた恐怖とは明らかに別の理由で興奮しているのを問題に数えなければだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます