4.フォレスト
列車は、朝に止まった。
理由は告げられない。
整備点検。
ただそれだけ。
天才たちは、降ろされた。
森。
湿った土。
朝靄。
空は見えるが、
進む方向は分からない。
誰かが、木に触れる。
切り口。
年輪。
「南だ」 「誤差は許容範囲」 「進行方向を修正」
彼らは、迷わない。
腹が鳴る。
計算は早い。
消費カロリー。
残存時間。
舌が痺れない木の実だけを選び、
生のまま口にする。
苦味。
渋み。
誰も表情を変えない。
「生存に支障はない」
それで十分だった。
---
同じ朝。
アロンは、歩いていた。
ヘッドライトはもう消している。
山の向こうが、
ゆっくり明るくなるのを見ていた。
「……きれいだな」
独り言。
急ぐ理由はない。
遅れる理由もない。
腹が鳴った。
アロンは、立ち止まる。
地面を見る。
蟻が、列を作っている。
しばらく眺めてから、
一匹、指で摘まむ。
躊躇はない。
口に入れる。
「……すっぱい」
それだけ言って、
もう一匹。
栄養計算はしない。
合理化もしない。
ただ、空腹が満たされた。
---
森の中で、
天才たちは、生き延びる方法を共有し、
アロンは、生きている感覚を独占していた。
同じ目的地。
同じ朝。
だが、
一方は、世界として進み、
もう一方は、私として歩いている。
---
教授は、遠くからそれを見ていた。
記録には、こう残る。
> 「彼らは正しい」
「だが、彼は――生きている」
---
朝の森。
アロンはヘッドライトを消して、歩き続ける。
空気は冷たい。鳥の声は遠い。
目の前で、小さな光が揺れる。
蝶。
色が鮮やかで、羽音が軽い。
だが次の瞬間。
蜘蛛の巣に引っかかり、
蜘蛛の顎に捕らえられる。
蝶は、もう動かない。
光だけがまだ揺れている。
アロンは立ち止まる。
手を伸ばすでもなく、声を上げるでもなく、ただ見ていた。
「……そうか」
その言葉は、自分に向けたものでも、世界に向けたものでもない。
ただ、事実を受け入れただけだった。
---
一方、貨物列車の中。
天才たちは、止まった列車の中で、自分たちのルールを再確認していた。
意見が合わない者――
思想、計算、倫理、手段――
彼らは別行動を選ぶ。
誰かが置かれる
誰かが孤立する
誰かは合理的に消える
多数は、最適解を優先する。
少数は、自己の信念を優先する。
列車は止まっているが、空間は分裂している。
同じ目的地を目指しながら、世界がバラバラになっていく。
---
山の道で、アロンはまた歩き出す。
蝶の死を心に置き
蟻を口に入れ
景色の端に未来を探す
彼は、誰かを裁かない。
誰も置かない。
ただ、歩き続ける。
---
同じ朝。
同じ時間。
同じ世界。
だが、辿るものは、完全に違う。
天才たちは、秩序の名の下に世界を測る。
アロンは、自分の目で世界を受け入れる。
そして教授は、静かに記録する。
---
朝の森は、まだ湿っていた。
アロンは歩きながら、さきほど見た光景を、順番に思い出していた。
蝶。蜘蛛。蟻。
どれも、別々の出来事だったはずなのに、頭の中では、ひと続きになっていた。
蝶は、動かなくなった。蜘蛛は、食べた。自分は、蟻を食べた。
腹の奥に、わずかな重みが残っている。
「……」
言葉にはならない。名前もつかない。
ただ、さっきまで空腹だった身体が、今は歩けている。
それだけだ。
---
アロンは立ち止まり、自分の手を見る。
その手は、蝶を救わなかった。蜘蛛を止めなかった。蟻を躊躇なく口に入れた。
それでも、手は震えていない。
「……続いてる」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
生きているものが、生きているものに変わる。
終わったものが、別の始まりになる。
理由はない。意味もない。
だが、切れてはいなかった。
---
彼はまた歩き出す。
森は、彼を試さない。裁かない。
ただ、在る。
---
同じ頃。
列車の近くで、天才たちは三つの集団に分かれていた。
誰が決めたわけでもない。だが、自然にそうなった。
意見が一致する者同士が集まり、一致しない者は距離を取る。
沈黙の中で、一人が口を開く。
「進む」
短い言葉だった。
反論は出なかった。代わりに、視線が集まる。
彼は、最も正しい答えを出した者ではない。最も知識がある者でもない。
ただ、選択を止めなかった。
---
別の集団でも、似たようなことが起きていた。
「待つ」
「情報が足りない」
「再評価が必要だ」
その言葉に、誰も逆らわない。
ここにも、中心が生まれている。
---
三つ目の集団では、さらに違う声が上がる。
「戻る」
「元の地点へ」
「分断は非合理だ」
その声もまた、受け入れられる。
---
同じ天才たち。同じ目的。同じ能力。
だが、世界は三つに割れた。
それぞれの集団に、それぞれの“正しさ”があり、それぞれの“先”がある。
---
監視ログには、淡々と記録される。
> 《変化》 集団内における指示集中を確認
自律的リーダー構造の発生
---
一方で。
アロンは、森の中で足を止め、空を見上げていた。
雲が、ゆっくり流れている。
「……おなか、減ったな」
そう言って、また歩き出す。
彼の中に、リーダーはいない。世界もない。
あるのは、続いている感覚だけだった。
---
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます