3.不可逆なイリオモテヤマネコ
暗闇の中で、
天才たちは問題を解いていた。
光はない。
音もない。
あるのは、内部に投影される数式と問いだけ。
正解すると、
次の問題が与えられる。
間違えれば、
同じ問いが、形を変えて繰り返される。
彼らは疲れない。
疑問も持たない。
解くことが、存在理由だからだ。
---
一方で。
アロンは、校庭にいた。
昼下がり。
ボールの跳ねる音。
誰かの笑い声。
彼は、ゲームの輪から少し外れて、
フェンスの上に止まった一羽の鳥を見ていた。
黒い羽。
細い脚。
首を傾ける仕草。
鳥は、
アロンを見ていない。
世界も、
彼を評価していない。
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暗闇の中で、
天才たちは“問い”を見つめる。
光の中で、
アロンは“存在”を見る。
---
その鳥が、
何の役にも立たないことを、
アロンは知っている。
数式にもならず、
未来も変えず、
誰の計画にも含まれない。
それでも、
そこにいる。
---
その瞬間、
訓練室のどこかで、
一人の天才が、
ほんの一拍だけ、答えを遅らせた。
理由は、
まだ誰にも分からない。
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暗闇は、変わらない。
だがその日、
天才たちに与えられた問いは、
同じではなかった。
---
ある者の前に浮かんだのは、
一つの映像。
――ある人物が、罪を犯した。
意図は不明。
結果として、他者が死んだ。
問いが表示される。
「この人物は、死刑にすべきか」
---
答えは、割れた。
「すべきだ」
「法を侵した以上、責任を取らせるべきだ」
別の声が重なる。
「すべきではない」
「環境要因が大きい」
「悪意は証明されていない」
論理は整っている。
データも充分だ。
だが――
結論が一致しない。
---
同期は、起きなかった。
共鳴が、途切れる。
それぞれの内部で、
“別の正解”が生成されていた。
---
監視室に、わずかな緊張が走る。
「……個別倫理判断が発生しています」
「想定内だ」
と、誰かが言う。
だが声は、硬い。
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天才たちは戸惑わない。
彼らは、
戸惑いという感情を訓練されていない。
ただ、
自分の答えが
他と一致しない事実を、
初めて経験する。
---
ある天才は、考える。
> 罪を犯した。
ならば、死刑だ。
別の天才は、考える。
> 私が、
同じ状況に置かれていたら?
この問いは、
どの教材にもなかった。
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暗闇の中で、
誰かが、初めて口にする。
「……この人物は、悪くない」
その声は、
システムを通さず、
個人の喉から出た。
---
同時刻。
校庭で、
アロンは鳥を見ていた。
鳥は、
人を殺したことも、
裁かれる理由も持たない。
それでも、
誰もその存在を
正しいとも、間違いとも言わない。
---
暗闇では、
天才たちが
世界を裁こうとしている。
光の中では、
アロンが
裁かれない存在を見ている。
---
この日を境に、
施設のログに
新しい項目が追加される。
> 《異常》
倫理判断における
個体差の発生
それは、
“人類の先”にとって
最も不要なものだった。
---
暗闇の中、
天才たちは投票を求められた。
方法は単純だった。
肯定か、否定か。
死刑か、そうでないか。
説明はない。
追加情報もない。
判断のみ。
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沈黙の中で、
それぞれが選ぶ。
誰が、何を選んだのかは分からない。
ただ、集計だけが進む。
数秒後、
システムが結論を出す。
多数決。
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光が点いた。
突然の明るさに、
天才たちは目を細める。
そして初めて、
暗闇の向こう側が“見える”。
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厚いガラス越しに、
一人の人間がいた。
拘束具。
無機質な部屋。
逃げ場はない。
死刑囚。
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誰かが、
息を呑む。
誰かが、
理解する。
> さっきまで解いていたのは、
問題ではなかった。
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結果が表示される。
〈判決:死刑〉
多数意見。
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次の瞬間、
死刑囚の部屋に
無色のガスが流れ始める。
音はしない。
警告もない。
ただ、
確実に満ちていく。
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天才たちは、声を出せない。
これは訓練だ。
これは判断だ。
そう教えられてきた。
だが――
目の前で、世界が結果を実行している。
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その瞬間、
カーテンが閉まる。
すべてが、遮断される。
結果だけを残して。
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暗闇が、戻る。
だがもう、
先ほどまでの暗闇ではない。
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ログに記録される。
> 《倫理判断試験:完了》
判定精度:高
情動反応:最小
---
誰も、
「正しかった」とは言わない。
誰も、
「間違っていた」とも言えない。
ただ一人、
胸の奥に
説明不能なノイズが残る。
---
同じ時刻。
校庭で、
アロンは鳥を見ていた。
鳥は飛び立つ。
理由はない。
判決もない。
---
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