2.ガラス窓

施設は、山の中にあった。


高いフェンス。

無機質な白い建物。



---


先に着いたのは、トラックだった。


窓はない。

荷台に並べられた座席。

番号札。


扉が開くと、

同じ服を着た子どもたちが、

無言で降ろされる。


誘導灯。

指示。

名前は呼ばれない。


「こちらへ」


それだけ。



---


少し遅れて、

一台の乗用車が止まる。


エンジン音は静か。

ドアは、内側から開く。


母が先に降りて、

アロンの手を取る。


父が、施設を見上げて言う。


「……本当に、ここなのか」



---


受付の対応は違った。


「アロン・ミラー君ですね」

名前が呼ばれる。


「本日はお越しいただき、

 ありがとうございます」


ありがとう。


その言葉を、

トラックから降りた子どもたちは、

一度も聞いていない。



---


ガラス越しに、

天才たちがこちらを見る。


同じ年齢。

同じ背丈。


だが、

運ばれ方が違う。



---


教授が、静かに言う。


「彼は、招かれた」


「君たちは――

 配置された」



---


アロンは、

その意味をまだ知らない。


天才たちは、

その差を、

もう理解している。



---



面会室は、二つに分かれていた。


厚い窓ガラス。

音は遮断され、

互いの姿だけが、はっきりと見える。


片側に、施設で育てられた天才たち。

同じ年齢、同じ顔立ち、同じ視線。


もう片側に、アロン。


私服。

姿勢は少し悪く、

視線は落ち着かない。



---


教授が、ガラスの中央に立つ。


「紹介しよう。

こちらが、人類の未来。

そして――」


一拍、置く。


「こちらが、

君たち百人分の価値がある人間だ」


天才たちの眉が、同時にわずかに動く。



---


「簡単なクイズだ」


教授は言う。


「“I”とは何だ?」


「あなた、あるいは、私。

それは――何者か」



---


最初に答えたのは、天才たちだった。


口は動かさない。

それでも、声は同時に届く。


「世界だ」


「観測し、認識し、

 因果を内包する全体」


「個は仮の境界にすぎない」


教授は頷く。



---


次に、アロンを見る。


「君は?」


アロンは、少し考える。


窓ガラスに映った

自分の顔を見る。


それから、短く答えた。


「私です」


理由も、理屈もない。



---


沈黙。


教授は、微かに笑った。


「正解だ」


天才たちが、初めて表情を変える。



---


「君たちは、

 “私”を拡張しすぎた」


「世界になった瞬間、

 “私”はいなくなる」


教授は、ガラス越しに天才たちを見て、

それからアロンを見る。


「未来を選べるのは、

 世界ではない」


「“私”だ」



---


アロンは、

その意味をまだ知らない。


天才たちも、

まだ理解していない。


だがこの瞬間、

決着は静かについた。



彼が晩年、

数式でも理論でもなく、

一行だけ残した問い。


> 「I とは何か?」


――私は、何者か。




未完成。

解答なし。

論文にもならなかった。


だが後に、

偉人のDNAを用いた偉人種計画において、

この問いは最重要課題として扱われる。



---


面会シーンの意味が変わる


教授が出したクイズは、

ただの哲学的遊びじゃない。


「これは――

 アインシュタインの最後の問いだ」


天才たちは、

その名を知っている。

彼らの“祖型”の一人だから。


だからこそ、

彼らは完璧に答える。


「世界だ」

「観測者であり、法則そのもの」

「自己と宇宙は分離できない」


教科書通りの、正解。



---


アロンの答えは違う。


「……私です」


それは、

論文にもならず、

理論にもならず、

再現もできない答え。


だが――



---


教授がアロンを選んだ理由


教授は、こう結論づけている。


> アインシュタインが

最後まで辿り着けなかった答えは、

世界ではない。




> “私”だ。




世界を理解し尽くした果てに、

彼が戻ってきたのは、

たった一人称の不確かさ。


だから教授は言う。


「アロンは、

 君たち百人分の価値がある」


知能ではない。

能力でもない。


問いを“世界化しなかった”から。



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