第0章-2 領都を発つものと、残るもの


 朝靄という言葉が、この場面にふさわしいかどうかを判断するには、視界の問題よりもむしろ、人々の認識がどこまで曇っていたかを検討する必要があるのだが、少なくとも領都ヴェルデンの南門に集結した兵たちの輪郭は、湿った白に包まれながらも過度に鮮明であり、そこに立ち会った市民の多くが後年になって「よく見えなかった」と語ったのは、記憶の修辞であって事実の描写ではなかった。


 槍はまっすぐに並び、盾は規定の位置に収まり、隊列の間隔も訓練通りで、旗手が掲げる伯爵家の紋章旗は、風を選ぶかのように穏やかに揺れていたが、その整然さは即応性よりも儀礼性に近く、戦の始まりというより、すでに終わった何かを確認するための式次第に見えなくもなかった。


 市民は集まっていたが、集結していたわけではなく、歓声と呼ぶには抑制が過ぎ、沈黙と呼ぶにはざわめきが多すぎる声の層が、門前の空間を満たしており、彼らが何を期待し、何を恐れ、何をすでに受け入れていたのかは、その誰一人として自覚的ではなかった。


 出陣とは、決断の結果であると同時に、決断が正しかったことを事後的に証明するための行為でもあるが、この日のそれは、前者よりも後者の比重が異様に重く、すでに下された判断を、もはや変更不能な事実へと押し流す工程の一部に過ぎなかった。


 ヴェルデン伯――アルブレヒト・フォン・ヴェルデンは、磨き上げられた鎧に身を包み、鞍上から兵を見渡していたが、その視線に迷いがなかったという評価は正確ではなく、より正しく言えば、迷いを処理し終えたあとの顔をしていた。


 不安がなかったわけではない。


 ただし、それは想定内に整理され、言語化され、既存の経験則に照らして無害化された不安であり、判断を遅らせる性質のものではなく、むしろ判断を急がせるための材料として消費されていた。


 魔物の襲撃が多すぎる、辺境の村が立て続けに荒らされている、被害の報告が重なって届く――そうした情報はいずれも過去に例があり、そのたびに「出るべき時に出た者」が称賛され、「慎重すぎた者」が後知恵で批判されてきたという記録が、伯の内側には確かに蓄積されていた。


 だからこそ、彼は躊躇しなかったのではなく、躊躇を残したまま出陣するという選択肢を、最初から排除していたのである。


 鎧の重みは現実的で、鞍の感触も確かであり、視界に入る兵の数は十分で、補給の見積もりにも致命的な欠落はないと判断されたが、その一方で、食後に高級士官が楽しむためのワインには、伯のお気に入りの銘柄を差し込ませる余裕があり、そのアテとして香りの強いチーズを部下に振る舞うことも、特段の検討事項にはならなかった。


 判断は、正しさそのものよりも、「撤回しなかった」という事実によって正当化されることがあるが、その構造に気づく者は、判断を下す側ではなく、結果を引き受ける側に多い。


 号令がかかり、門が開き、隊列が動き出した瞬間、空気がわずかに軽くなったと感じた者は少なくなかったが、それは危機が去ったからではなく、危機が外へ運び出されたという錯覚によるものであり、領都という容器から不安の大半が流出したかのような安心感が、瞬間的に共有された。


 しかし、その安心は、容量の問題を解決したわけではなく、単に内容物を移し替えただけであり、しかも移送先がどれほど脆弱であったかについては、誰も検討しようとしなかった。


 兵が去ったあと、領都は急速に音を失っていった。


 鍛冶場の槌音は数を減らし、市場の呼び声は高さを抑え、通りを行き交う足取りには、行き先を急ぐ気配が薄れ、店先や角で立ち止まる動きが目立つようになり、建物そのものが、内部の空洞を自覚したかのように、どこか居心地の悪い沈黙を抱え込んでいた。


 防衛力が減少したという事実以上に、守られているという前提が不在になったことが、この都市の温度を下げており、火を焚けば暖は取れるが、暖は信頼の代替にはならないという当たり前のことを、人々はその日になってようやく理解し始めた。


 役所では書類が積み上がったまま動かず、商会では取引量が減ったにもかかわらず帳簿の修正が追いつかず、倉庫では在庫よりも人手が不足し、都市全体が、判断を実行する能力よりも、判断を回避する癖を露呈させていた。


 その午後、伯の不在を前提とした最初の報告が、政庁に届けられた。


 出陣方向とは異なる北東の街道沿いで、家畜の被害と小規模な建物の損壊が確認されたという内容であり、伝令は同じ魔物によるものではない可能性を示唆していたが、その言葉は記録されることなく、報告書の余白に埋もれた。


 異なる種類の被害であるなら、別系統の脅威が存在するという推論は、理論的には妥当であったが、実務的には受け入れがたく、なぜならそれは「出陣が十分でなかった」可能性を示唆するからである。


 兵はすでに動かしてしまった。

 再配置は現実的ではない。

 判断は下された。


 この三点が揃った瞬間、報告は脅威ではなく雑音へと格下げされ、検討の対象ではなく、後処理の案件として扱われることになるが、その移行はあまりにも滑らかで、そこに意志的な拒否が介在した形跡を見つけることは難しい。


 夕刻、二件目の報告が届いたとき、最初のそれが過小評価された理由は、すでに制度の内部で共有されており、内容の食い違いは「混乱による誤認」と整理され、同一事象の別表現として処理された。


 誰も、同時多発的な異変という可能性を否定したわけではない。


 ただ、その可能性を採用することで生じる責任の所在が、あまりにも不明瞭であったため、選択肢から静かに外されたに過ぎない。


 この段階で、領都に残された者たちは、まだ破滅を想像してはいなかった。


 だが同時に、もはや最初の判断を覆す余地がないことについては、薄々理解しており、その理解こそが、後に語られる「不運」や「想定外」という言葉の、もっとも重要な前提条件となっていく。


 夜が訪れ、門は閉じられ、灯がともる頃、都市は一見して平常を装っていたが、その平常は、すでに支点を失った均衡であり、わずかな揺れが全体を傾かせる状態に入っていた。


 人は、判断を下した瞬間よりも、判断を疑わなくなった瞬間に、取り返しのつかない場所へ足を踏み入れる。


 そのことを、この夜の領都ヴェルデンほど、静かに示していた場所は、当時ほかになかった。



 討伐の発表から、領都ヴェルデンにおける経済活動は、公式な停止命令や緊急布告を必要とすることなく、しかし誰の目にも明らかな速度で収縮を始めた。市場は開かれ、商会の看板も外されてはいなかったが、取引の量、回転、そして踏み込みの度合いが、揃って一段階低い水準へと落ち着いていったのである。


 商人たちは危機を口にしなかった。危機を言語化することは、それを帳簿に書き込むことと同義であり、帳簿に記された不安は、いずれ説明責任として回収される。だから彼らは、値を釣り上げることも、露骨に仕入れを止めることもせず、あくまで平常を装ったまま、判断の幅だけを狭めていった。


 兵站物資を扱う商人たちの態度は、外から見れば一様に協力的であった。支払いは伯爵家が責任をもって行う。その点の不安はない。売れること自体は歓迎すべきことであり、供出を拒む理由もない。ただし、在庫の払底は好ましくなかった。最低限の在庫を維持しつつ、「これで在庫はいっぱいです」という顔で供出する。その線をどこに引くかは、各商人の判断に委ねられていた。すべてを出すのか、最低限を残すのか、やや多めに確保するのか。次の仕入れをいつに設定するのかも含め、判断は分散され、統一されないまま進行していた。


 統一されない判断は、責任を個人に帰属させる。だが同時に、判断の正否が問われる時点を、未来へと先送りにする効果も持つ。今はまだ決着がついていない。だから評価も保留される。その保留こそが、商人たちにとって最大の安全装置であった。


 生活必需品を扱う店では、在庫処分が始まったが、それは投げ売りではなく整理であった。人々が買い控える前に、売る側が供給を細らせる。需要の減少に対応するというより、需要そのものが測定不能になる事態を避けるための行動である。売らなければ、不足も生まれない。不足がなければ、誰かを非難する理由も生じない。


 こうした動きは、命令によって生まれたものではない。むしろ、命令が存在しないことによって、最も無難で、最も説明しやすい行動が選び取られた結果であった。制度が沈黙するとき、人は最善ではなく、最も叱責されにくい選択を重ねる。その積み重ねが、都市の経済から熱を奪っていった。


 人の密度もまた、同時に低下していった。ただし、それは人口が減ったからではない。同じ人数が存在していながら、同じ場所に留まらなくなったのである。通りには人影があり、店にも客は入る。しかし、立ち話は消え、偶然の会話は成立せず、滞在は必要最小限に切り詰められた。


 人が集まらなくなった理由は、恐怖だけではない。長く外にいれば、誰かに声をかけられ、状況について意見を求められるかもしれない。その意見が、後になって責任として回収される可能性を、人々は本能的に避けていた。だから用事を済ませると、すぐに帰る。理由を問われれば、仕事がある、疲れている、家の老親の具合が悪いなど、もっともらしい私事が並べられたが、その背後にあるのは、判断の場から距離を取ろうとする意志であった。


 こうして、人々は互いに浅く関わるようになった。顔は知っているが、考えは知らない。声は聞くが、立場は把握しない。その距離感は衝突を避けるには有効であり、同時に、共同で何かを引き受ける可能性を削ぎ落としていった。


 夜の時間は、さらに質を変えた。灯はともったが、その光は人を集めるためのものではなく、境界を示すためのものになった。どこまでが夜の町の領域で、どこからが不確かな闇なのかを示す、最低限の目印である。酒場は開いていたが、笑い声は低く、歌は短く、酔いは深まらなかった。酔うためには、明日も同じ形で日常が続くという前提が必要だからである。


 夜警の姿は、以前よりも目立つようになった。巡回の回数が増えたわけではない。町を歩く人の数が減ったため、日中も夜間も、警備の領兵が相対的に浮かび上がって見えるようになったのである。彼らは定められた手順に従い、定められた経路を巡回し、定められた報告を行っていた。制度としての警備は、何一つ破綻していなかった。


 しかし、機能している制度ほど、その存在が意識されるようになると、不安を喚起する。人々は窓越しに領兵の姿を確認し、安心するというより、「まだ通常通りであること」を確認した。確認できた事実に満足し、その先を考えない。その態度は、秩序への信頼というより、秩序に対する期待値の低下に近かった。


 警備が目立つという現象は、治安が悪化したことを直接意味しない。だが、治安が


「見えなくても成立する状態」ではなくなったことを示していた。見える形で存在しなければ、不安を抑えきれなくなったのである。


 経済は縮み、人の関わりは浅くなり、夜は境界の時間へと変質し、警備は風景の一部として強調された。これらは別々の出来事ではなく、同じ歪みの異なる側面に過ぎない。歪みとは、判断が存在しないことではない。すでに下された判断が、過去のものとして固定され、それを再検討する余地が失われている状態を指す。


 討伐という判断は、本来ならば前へ進むためのものであった。しかしその結果、後ろを振り返る能力が削がれた。修正や再配分といった選択肢は、制度上は残されていながら、心理的には選択不能な領域へ追いやられていた。


 ヴェルデンは、まだ崩れてはいなかった。市場は開き、灯はともり、警備は巡回していた。ただ、それらが続いていること自体が目的となり、意味を問われなくなっていた。意味を問われない制度は、崩れる直前まで正常に見える。


 夜が更けるにつれ、通りの音はさらに減り、灯と灯の間隔は、距離以上に心理的な空白を広げていった。人々は眠りについたが、それは回復のための眠りではなく、判断を翌日に先送りするための一時停止であった。明日になれば何かが決まる、という期待は薄く、それでも明日が来るという事実だけは、誰も否定しなかった。


 制度は動いていた。経済も、人も、警備も、すべてが「通常通り」という形式を保っていた。ただし、その動きがどこへ向かっているのかを問う者はいなかった。問わないことこそが、この都市に残された、もっとも無難で、もっとも説明しやすい態度であったからである。





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ストーリーの内容をわかりやすくするために急遽第0章を書きました。

第0章にお付き合いくださってありがとうございました。

次は1章へと進んで参ります。


いただいた反応は、今後の執筆の大きな励みになります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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