第三章:禁断魔法の影と弟の計略

 魔導師ギルドに近い貴族街は、夜になると異様な静けさに包まれる。灯りの消えた館が並び、石畳には人の気配がない。だが――そこには確かに、何かが“残っていた”。


 ルシアンは屋根の上から街路を見下ろし、そっと息を潜める。


「……やはり、ここか」


 空気が歪んでいる。見えないはずの影が重く沈み、石畳に張り付くように蠢いていた。


 禁断魔法――《影喰い》。人の影を媒介に命や意思を縛り、操る古い術式だ。一度使えば、術者自身も正気を保てなくなるとされている。すでに帝国では使用禁止となり、魔導師ギルドでもその名を口にする者はほとんどいない。


 だが、確かに使われている。


 ルシアンはゆっくりと地面に降り立ち、地に落ちた影へと足を踏み出した。

“踏む”。それだけで、影は拒絶するように震える。だが次の瞬間、濁流のように情報が流れ込んできた。


――恐怖・命乞い・誰かに従わされる感覚――


「……民間人か」


 標的は貴族ではない。裏社会の連絡役を務めていた平民――知りすぎた者を、“処理”したのだろう。影が語る最後の記憶に、ルシアンは奥歯を強く噛みしめた。


「人の命を、道具のように……」


――その時だった。遠くで、甲冑の擦れる音がした。しかも複数、規律の取れた足運びが耳に届く。


「……この気配、来るな」


 しかしながら認知したのが遅かった。影の能力を使うことに、集中し過ぎていたせいだった。


「いたぞ! 影踏み師だ!」


 松明の光が一斉に灯り、闇を裂く。現れたのは王都警備隊――しかも、貴族街を巡回する精鋭部隊だった。


(――おかしい。いくらなんでも、こちらの位置を特定するのが早すぎるだろ……)


「やはり……仕組まれているな」


 ルシアンは舌打ちし、屋根へ跳んだ瞬間。


「逃がすな! 禁断魔法を使った犯人だ! 通報が入っている!」


 その叫びに、ルシアンは一瞬だけ目を見開いた。


禁断魔法を“使った”という通報が入った? だが、説明している時間はない。彼は影を蹴り、闇へと溶けるように姿を消したのだった。



 数刻後――王城の一室で、弟・カイは柔らかな笑みを浮かべていた。


「……影踏み師が、禁断魔法に関与している可能性がある、ですか?」


 報告する貴族に、カイは驚いたふりをしてみせる。


「それは由々しき事態ですね。弟である僕としても、胸が痛みます」


 本心ではない。だが、嘘でもない。


――これでいい。影踏み師が疑われれば、王都の闇に潜む本命の貴族は安心する。そして油断することだろう。あの魔道士を切り捨てたことも、無駄にはならない。


「陛下にも報告を?」

「ええ。ですが騒ぎすぎるのもよくありません。調査は“穏便に”」


 その言葉に、貴族は深く頷いた。


 人払いされた後、カイは一人、吐息を零す。


「……兄さん。少し、やりすぎたかな」


 残念ながら、それでも止まれない。影踏み師である兄を王位から遠ざける“悪徳王子”。その役を最後まで演じ切る覚悟は、もう決めている。


その夜。屋根裏の暗がりで、ルシアンは外套を押さえながら息を整えていた。


「民間人を助けただけで……これか」


 禁断魔法を止めた。だが、結果として背負ったのは“容疑”だった。市井の人々は知らない。彼らにとって見えるのは――闇で動く影踏み師という“悪”。


「……それでも、やるしかない」


 弟の企みも黒影の任務も、すべてが絡み合っている。だからこそ禁断魔法を使う者を、このままにしておくわけにはいかなかった。


 ルシアンはゆっくりと立ち上がる。


「次は……必ず、証拠を掴む」


 その影が、意志を持つかのように僅かに揺れた。


 帝都の闇は彼を “悪” と呼びながら、確実に深みへと引きずり込んでいく。そしてその先に待つのは陰謀の核心か、それとも兄弟が刃を向け合う未来か。


 悪の影踏み師は、まだ引き返さない。

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2025年12月18日 00:00

悪の影踏み師 相沢蒼依 @aizawa_aoi

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