第一章:王都の夜と弟の策略

 霧の街に夜風が吹き抜ける。ルシアンは王都の高い城壁の外側、裏路地に身を潜めながら、胸の奥で重く渦巻く思いを押し込めていた。今日もまた、“悪”を演じる夜が始まる。


「……本当に、やるつもりなのか」


 低く呟くルシアンの視線の先に、弟・カイの影が見える。カイは、あどけなさの残る顔立ちに似合わず、帝国の陰謀に巻き込まれた兄を利用する“悪徳の王子役”を自ら買って出ていた。


「兄さん、僕がやらなきゃ。誰かが泥をかぶらないと、真の後継者は守れないでしょ」


 カイの声は静かだが、その奥に強い意志が宿っているのが分かる。そのことに、ルシアンは眉をひそめた。弟はかつてないほど決意していた。この策は、兄であるルシアンを陥れるものであり、同時に自らの役割を演じる覚悟でもある。


「なにを言ってるんだ……わざわざお前が泥をかぶる必要はない!」


 思わず叫ぶルシアン。だがカイはまったく動じず、ただ頷いた。


「わかってる。でも、これしか方法がないんだよ」


 ルシアンは息を吐き、深く沈黙した。目に映る弟の覚悟は確かだった。しかし、兄としてその背中を見送るしかないことに怒りを覚え、胸の奥に逃げ場のない痛みが残る。


 悲壮な弟の顔を頭の中で思い出したとき、路地の奥で微かな音がした。まごうことなき“影の気配”――ルシアンの能力が敏感に感知する。


 背後から、黒い影がゆっくりと近づいてくる。見覚えのある、ただ者ではない気配。過去に、二度と会いたくないと思った“影の使い手”だ。


「……来たか」


 聞き覚えのある声にルシアンは身構え、外套の内に仕込んだ短剣に手をかける。しかし影は攻撃せず、ただ低く囁いた。


「帝都の夜は長い。だが、お前の試練はこれからだ――」


 その声が消えた瞬間、ルシアンは足元の影に目を落とす。影は確かにそこにあるのに、自分の意思を超えて動き、まるで彼自身ではない“誰か”が、影だけを操っているかのようだった。


 ――帝都は思った以上に深くて暗く、そして危険に満ちている。ルシアンは気を引き締めながら、短剣を握り直した。


 弟を守るため、そして帝国を揺るがす陰謀を暴くため、彼は今夜も“悪”を演じるしかない。


 霧の街を抜ける冷たい風に、帝都の秘密が囁く。そして誰も気づかぬまま、悪の影踏み師は足を踏み出した――深く、危うい闇の中へ。

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