悪の影踏み師
相沢蒼依
プロローグ
帝都の夜は深く、霧が石畳の街を白く覆っていた。街灯の淡い光が霧に揺らめき、路地の奥に潜む影たちを際立たせる。誰もが昼の顔とは別の仮面をつけ、秘密を抱えて歩く時間だ。
その中に、ひときわ冷たい気配を放つ男がいた。黒い外套を羽織り、頭巾を深く被った影踏み師――ルシアン・ヴァレリア。
彼の足音は、まるで路地の影に溶け込むかのように軽い。人々は彼の存在に誰も気付かず、気配だけが空気を震わせる。
「ふっ……貴族の密談は、いつもつまらないな」
ルシアンは低く呟く。今日の
彼の役目は、簡単に言えば“悪を演じること”だった。世間から見れば、泥棒や暗殺者、陰謀の手先。それは自ら望んだ役ではなく背負わされた仮面で、実際の目的は違う。
ルシアンの影の能力――人や物の気配を読み、触れることなく“影を踏む”ことで記憶や罪を引きずり出し、相手の秘密を暴く力。それは、帝国を揺るがす陰謀を暴くためのものだ。
「さてと。今夜は、どんな悪を見せてくれるのかな」
壁の陰から、ルシアンは息を潜めていつものように覗く。屋敷の中では、王族たちが密かに会話している。その言葉の端々から腐敗と欲望、計算された策略が滲み出ていた。誰もが、自分の利益のために他者を踏み台にする――それが、帝都の日常になっている。
その瞬間、その瞬間、彼の耳に微かな気配が届いた。神経を研ぎ澄ませたルシアンの肌が捉えたのは、人の気配ではなかった。なぜか影が揺らめいている。意図的に、こちらを探るように。
「……誰だ?」
ルシアンは不審な影を辿る。暗闇の中、ひときわ濃い黒が、路地の片隅でゆらりと揺れた。目に留まったのは、黒衣の影の使い手。何者かが彼の存在を見逃させぬよう、あるいは挑発するかのように、わざと影を動かしていた。
「お前の使命は、まだ始まったばかりだ……」
その声は冷ややかで低く、まるで闇そのものが囁くようだった。ルシアンの瞳が光る。
帝都に、これから何が起こるのか。彼はまだ知らない。だが、彼の足跡はすでに“悪”と呼ばれる道を踏み出していた。悪の影踏み師、物語は今、静かに幕を開ける。
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