魔法、転生

 最初に違和感を覚えたのは、夜だった。


 バルコニーに出ると、空は深い紺色で、星が静かに瞬いている。

 ――綺麗。

 そう思った、次の瞬間。


「……あれ?」


 思わず声が漏れた。

 星の並びが、どこかおかしい。


 この世界に来てから、毎晩見ている星座。

 なのに今日だけ、ひとつ、位置がずれている。


 ほんの少し。

 気のせいと言われれば、それまでの程度。


 けれど、胸の奥が冷えた。


 私は、星の名を持つ姫だ。

 セレスティア・ノワレ。

 ――星を、見間違えるはずがない。


 翌日、私は理由も告げずに図書館へ向かった。城の最奥にあるその場所は、昼でも薄暗く、本の背表だけが静かに光を吸っている。


 歴史書。

 年代記。

 王家の系譜。


 どれも、知りたい答えをくれない。

 諦めかけて、さらに奥へ進んだ時だった。

 誰も触れた形跡のない棚。埃をかぶった一冊の本が、私を呼ぶようにそこにあった。

 黒い表紙。

 題名は、ほとんど擦り切れている。


 ――『魂の反復について』


 指が、止まった。


 怖い。

 でも、離せない。


 そっと開くと、最初のページに、こう書かれていた。


「この世界には、

 “落ちてきた魂”が存在する」


 喉が鳴る。


「彼女たちはもうひとつの″紀憶″が存在する。

 星の配置、ピアノの旋律など。」


 ……私だ。


 ページをめくる手が、震える。


「魂は役割を与えられ、

 歴史の“欠け”を埋めるために生まれ変わる」


 その下に、小さく書き足された文字があった。


「ただし――

 役割を果たした魂は、

 この世界に、居場所を残さない」


 頭が、真っ白になる。


 ピアノ。

 消える姫。

 完成すると、存在が消える曲。


 全部、繋がっていた。


 私は本を閉じ、胸に抱きしめた。

 触れないふりをしていた日常は、もう、逃げ場じゃない。

 星がずれた夜から、運命は、確実に動き始めている。


 セレスティア・ノワレは――

 “落ちてきた魂”なのだから。


◇❖◇


 図書館を出たあとも、胸の奥がざわめいていた。

 ――夜が明ける前に、時間を進めるためにズラされた時計。

 ――迷う者が出るから、朝には摘み取られる花。


 フレシアの声。

 庭師の言葉。

 どれもが、今になって輪郭を持ち始めている。


 私は、城の時計塔へ向かった。

 高い階段を上りきると、古い振り子時計がひとつ、規則正しく時を刻んでいた。


 ……いいえ。

 正確には、“刻みすぎて”いた。

 秒針は、わずかに速い。人が気づかない程度に、けれど確実に。


「やはり、ここにいらっしゃいましたか」


 背後から、フレシアの声がした。


 振り返ると、彼女はいつものように穏やかに微笑んでいる。

 その表情が、今日は少しだけ――悲しそうに見えた。


「この時計は、姫君のためのものです」


 私は、息をのむ。


「夜が長すぎると、星に気づいてしまう。

 星に気づけば、思い出してしまうから」


 彼女は、静かに振り子を見つめた。


「だから、時間を進めるのです。

 朝を早く迎え、夜を短くするために」


 ――逃がさないため。

 いいえ、違う。


 迷わせないため。


 私は、温室で見た星の花を思い出していた。


「星の花も……」


「ええ」


 フレシアは、頷いた。


「夜に香るのは、思い出を呼び起こすから。

 あの香りを嗅いだ者は、

 本来いるはずの場所を、思い出してしまう」


 だから、朝には摘み取られる。

 迷う者を、これ以上増やさないために。


 胸の奥で、何かが音を立てて繋がった。


 時計も。

 花も。

 日常の整いすぎた静けさも。


 すべては、姫を守るための檻だった。

 そして同時に――

 世界を完成させるための準備でもあった。


「……消えた姫たちは」


 震える声で問う。


 フレシアは、はっきりと答えた。


「皆、役目を果たされました」


 否定は、しなかった。


「星に気づき、

 夜に迷い、

 最後の音を完成させて――

 そして、歴史から去ったのです。」


 私は、目を閉じた。


 落ちる前に聞いた、あのピアノの音。

 この城で何度も耳にする旋律。

 同じだと思っていた。

 でも、違った。


 これは、続きを求める音だ。


 完成させるために、

 何度も、何度も、

 魂が落ちてくる。


 セレスティア・ノワレ。

 星の名を持つ姫。

 私はようやく、理解してしまった。


 この世界は、

 誰かが消えることでしか、

 朝を迎えられない。


 そして――

 その“誰か”は、

 最初から、私だと決められていた。


 それでも。


 それでも私は、

 あの音の続きを、知ってしまった。

 もう、触れないふりはできない。


 星がずれ、

 時間が歪み、

 花が摘み取られる理由を知った今。


 選ぶのは、

 世界か。

 それとも――

 私自身か。

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