Summer🏖
第14話 カメラONの生活感
夏の在宅会議は、部屋の湿気まで映りそうで怖い。
朝から扇風機を回しているのに、空気がまだぬるい。羽が回るたびに、プラスチックの軽い音がする。私はノートPCの前で、シャツの襟を指で引っ張って、肌に貼りついたところを剥がした。汗って、存在感が強い。
会議の五分前。私はいつものように、カメラをオンにして背景ぼかしを確認した。画面の中の自分の後ろが、ふわっと霧みたいになる。これがあると、生活が「存在しない」ことになる。便利だ。便利なだけに、ちょっと罪悪感もある。生活をなかったことにする技術。
ピロン、と通知音が鳴った。会社のチャット。私は反射でスマホに手を伸ばしそうになって、やめた。今日は画面の中に入る日だ。現実の通知まで拾いにいくと、脳が二重に蒸れる。
会議が始まる。参加者の四角い顔が並ぶ。誰かの背景には観葉植物、誰かの背景には白い壁、誰かの背景にはやたら整った本棚。私は自分の背景を霧にして、平等なふりをした。
「じゃあ、はじめましょうか」
司会の声。私はうなずいた。うなずくだけで、首筋に汗が流れる。画面の中の私は、うなずきが少し大げさだ。夏は動きが全部大げさになる。呼吸も含めて。
問題は、起きるときは、だいたいどうでもいいタイミングで起きる。
発言者が変わった瞬間、画面が一瞬だけ固まった。ネットが少し不安定になる、あの一拍。私は「またか」と思って、無意識に画面の設定を触った。触ったつもりがないのに、指は勝手に動く。暑いと、人は余計なボタンを押す。
次の瞬間、背景の霧が消えた。
私の部屋が、はっきり映った。
洗い終わって干しきれていない食器。ソファの背にかけたTシャツ。コンビニ袋。床に置きっぱなしの段ボール。あと、なぜか机の端に、昨日のレシートの束。生活の証拠が、四方からカメラに向かって手を挙げている。
私は固まった。自分の声が出ない。出ないのに、心臓の音だけはマイクに乗りそうだ。
「……亮さん?」
誰かが呼ぶ。私は笑顔を作ろうとして、顔の筋肉が遅れる。遅れると、余計に変な顔になる。私は慌てて設定を探した。背景ぼかし。どこ。どこ。メニューが多すぎる。便利の代償。
汗が額に浮く。指先が滑る。クリックが空振りする。空振りするたびに、部屋が晒される時間が伸びる。晒される、って言葉が自分で大げさだと思うけど、大げさに感じるのが恥の特徴だ。
「すみません、ちょっと……」
私は言った。言い切らない。言い切ると、もっと恥ずかしい気がする。変な理屈。
そのとき、画面の向こうから声がした。
「うちもだよ」
同僚の高橋さんだった。背景に、洗濯物が普通に映っている人。カーテンの色も生活っぽい人。
「今の、あるある。背景ぼかし、たまに裏切るよね」
笑いが起きた。ほんの少し。優しい笑い。私を落とす笑いじゃなく、誰もが同じ罠に落ちる笑い。私はその笑いに、肺の奥の空気が戻ってくるのを感じた。
「……すみません」
「いいって。むしろ夏は無理。片づけても、すぐ散らかるし」
別の人も言った。「扇風機、映ってるのいいですね」と。いいですねって、扇風機に言うあたりが、現代の会議だ。私は思わず口元が緩んだ。緩んだのが、恥より先に来た。
私は落ち着いて、背景ぼかしを戻した。霧が再びかかる。部屋が消える。消えるのに、さっきより罪悪感が薄い。見えたあとに隠すのは、卑怯じゃなく配慮だと思えた。
会議は続いた。私は話を聞きながら、頭の片隅で「見せない工夫」のことを考え始めた。見せないのは恥だからじゃない。相手のためでもある。相手が余計な情報を受け取らなくて済むように。視線の負荷を減らすために。公共の会議は、情報が多いほど疲れる。
終わったあと、私は椅子に深く座り直した。背中に汗が張りつく。扇風機の音が、ぶうん、と部屋の中心で回っている。私はその音を聞きながら、自分の部屋を見回した。片づけるべきものはある。でも、それは「隠すため」じゃなく「自分が暮らしやすくするため」だ。
まず、机の位置を少し変えた。カメラの後ろに壁がくるように。段ボールが映らない角度に。扇風機は映ってもいい。むしろ映ってほしい。夏を誤魔化すのは無理だ。
次に、カメラの高さを調整した。PCスタンドの代わりに、読み終わった雑誌を二冊重ねる。生活の道具で生活を守る。私はその滑稽さに少し笑った。推し活のスタンドならまだしも、雑誌スタンドでオンライン会議。現代。
最後に、通知音を切った。切ったというより、会議中だけ「おやすみモード」にした。通知は悪者じゃない。でも今は、扇風機の音のほうが必要だ。
夕方、再び会議があった。私は設定を確認して、背景ぼかしをオンにして、カメラの位置を確かめた。画面の中の自分の後ろは、きれいな壁。きれいすぎて少し落ち着かない。でも、これが「守る」ってことなんだろう。
会議が始まり、誰かが「暑いですね」と言って、みんなが少し笑った。笑いの湿度が、夏っぽい。私はうなずいて、扇風機の音を背中で聞いた。
終わったあと、私は窓を開けた。外の空気は湿っていて、でも動いている。夜の匂いに、アスファルトの熱がまだ残っている。私はレシートの束を手に取って、ゴミ箱に入れた。紙はもう温かくない。冷めた紙は、ただの紙だ。
生活感は、隠しても消えない。消えないなら、守る場所を決めておけばいい。カメラの外側に、ちゃんと生活を置く。画面の中は仕事。画面の外は自分。線引きは、上司の推し活と同じだ。
扇風機がぶうんと鳴る。通知が鳴らなくても、夜は進む。湿気の中で、私は少しだけ、部屋の配置を整えた自分を肯定した。
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