第2話 夜は、なにも終わっていなかった
赤子は、眠った。
腕の中で、確かに眠っている。
呼吸は穏やかで、まぶたもぴくりとも動かない。
「……よし」
元・魔王は、慎重に歩き出した。
一歩。
また一歩。
足音を殺し、呼吸を整え、世界最強だった頃よりも神経を研ぎ澄ませる。
敵はいない。
罠もない。
だが、この局面が最重要局面であることを、魔王は本能で理解していた。
そっと、そっと——
赤子を寝床へ下ろそうとした、その瞬間。
「ぎゃあああああ!!」
「なっ……!?」
赤子の目が、開いた。
まだ、置いていない。
触れてすらいない。
魔王は、その場で完全に硬直した。
「……背中に、感知魔法……?」
あり得ない。
だが、それ以外に説明がつかない。
かつて魔王は、
暗殺者の気配を察知し、結界を破る魔法を見抜いてきた。
だが、この精度は——
もう一度、試す。
今度は置かない。
寝床に近づくが、下ろさない。
ただ、膝を——
ほんの、ほんの少し、曲げただけだ。
「ぎゃあああああ!!」
赤子は泣きながら、こちらを見ている。
まるで——
そうする未来を、最初から知っていたかのように。
魔王は、ゆっくりと息を吐いた。
「……まさか、未来視まで会得しているというのか」
戦慄が、背筋を走る。
千の軍勢より、
勇者より、
神より——
この赤子のほうが、はるかに手強い。
夜は、終わらなかった。
抱いては泣かれ、
揺らしては泣かれ、
座れば泣き、立てば泣く。
勝ち筋が、見えない。
命令も、威圧も、魔力も——
すべてが無効化されている戦場。
腕は痺れ、思考は途切れ途切れになる。
「……なぜだ」
魔王は、呟いた。
これほどまでに、
思い通りにならない相手が、かつていただろうか。
ふと、力が抜けた。
泣き止ませようとするのを、やめた。
勝とうとするのを、やめた。
ただ、抱いた。
揺らさず、歩かず、
その場で、静かに。
すると、しばらくして——
赤子の泣き声は、少しずつ小さくなった。
やがて、眠りに落ちる。
魔王は、動かなかった。
——今度こそ、起こさぬように。
胸に、じんわりと温もりが広がる。
魔力ではない。
力でもない。
それでも、確かに何かが、満たされていく感覚。
「……弱くは、ないな」
元・魔王は、小さく笑った。
世界最強だった存在は、
今夜も勝ってはいない。
だが——
昨日よりほんの少しだけ、
戦い方を覚えた気がした。
魔王ですが転生したらワンオペママでした @sunsun-project
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