第12話「王城の儀式準備」後編

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841709784115


 数日後。

 王城に先立って入った準備部隊の一団が城門をくぐった。


 白い石で築かれた高い城壁。

 広い中庭には、儀式用の台座や旗を設置するための足場が組まれ、使用人や職人たちが慌ただしく行き交っている。

 赤い絨毯が敷かれた大階段の上では、儀式で使う聖具を運び込むための指示が飛び交っていた。


 セラとミネットは案内された控室へ向かう回廊を歩きながら、きょろきょろと辺りを見回していた。


「今日は一段と賑やかですね」


 セラが感嘆の声を上げる。

 城内の装飾ひとつひとつに目を奪われていた。


「王城って、こんなに広いんですね……」


 ミネットは少し緊張した面持ちで、胸元の《癒輝珠》を握っている。

 狐耳は縮こまり、二股の尻尾は小さく揺れていた。


「でもミネットさんのドレス、すごく似合ってるから大丈夫ですよ。堂々としてれば平気平気」

「そ、そんな簡単に……」


 くすくす笑い合いながら歩いていると、前方から女官が押す台車がやってくるのが見えた。

 台車には金と銀で飾られた豪華な祭具が山と積まれている。


「通ります、失礼いたします」


 女官が丁寧に声をかけ、慎重に台車を押し進める。

 その時だった。


 ガタン、と鈍い音がした。

 台車の車輪が石畳の小さな段差に引っかかったのだ。


「きゃ」


 祭具全体が大きく揺れる。

 ミネットは反射的に一歩下がり、揺れから距離を取った。

 だがセラはとっさに両手を伸ばして支えようとする。


「危ない……!」


 それが仇になった。

 足元の裾が石畳に引っかかり、セラの身体が前のめりに傾ぐ。


 視界がぐらりと揺れた瞬間――

 腰の辺りに、しっかりとした腕が回り込んだ。


「っと」


 低い声とともに身体が支えられる。

 同時に崩れ落ちかけていた祭具を片手で押し戻す影が見える。

 それはジグラット=エルステリアだった。


 濃紺の制服を身に纏い、淡金の髪はまとめられ、深蒼の瞳は一切の動揺を見せない。

 片腕でセラの身体を支え、もう片方の手で祭具を安定させ、そのまま車輪の位置を整えて段差から抜き出した。


「……もう大丈夫だ」


 すべてを元の位置に戻しながら淡々と告げる。

 女官は真っ青になり、慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません、殿下……!」

「段差の方が悪い。お前の責任ではない」


 短くそれだけ告げると、ジグラットはセラを支えていた腕をそっと離した。

 解放されたセラは顔を赤くしながらもなんとか体勢を立て直す。


「た、助かりました。ありがとうございます、ジグラット先輩」

「別に」


 素っ気ない返事。

 だがその声色はいつもより僅かに柔らかかった。

 ミネットも慌てて頭を下げる。


「ご迷惑を……」

「お前たちに謝られるほどのことは起きていない。実際、俺が見ていたから問題にならなかった。それだけだ」


 淡々とした物言い。

 だが、「見ていた」とはっきり言われたことが、なぜか心強く思えた。


「この段差のことは、後で城の方に俺から伝えておく。お前たちは控室に向かえ」


 そう付け加えると、セラの顔がぱっと明るくなる。


「さすがです、ジグラット先輩」

「……大袈裟だ」


 ジグラットは肩をすくめ、女官に簡単な指示を出してから、何事もなかったかのようにその場を後にした。

 遠ざかる背中を見送りながら、セラはぽつりと呟く。


「やっぱりジグラット先輩って、頼りになりますね」

「……そう、かもしれませんね」


 ミネットは胸元の《癒輝珠》を握ったまま、小さく頷いた。

 ティアナの警告は頭に残っている。


 ――あの人は昔から悪い噂が多いの。


 それでも、今目の前で見たのは危ないところをさりげなく助けてくれる背中だった。

 押し付けがましくなく、見返りも求めず、ただ当然のように支える手。


 ──わからない。


 まだ信じきることはできない。

 それでも、胸の中でわだかまっていた感情は、少しずつ形を変え始めていた。


 ◇ ◇ ◇


 同じ頃、王城の一角にて。

 普段は限られた者しか立ち入ることのない資料庫の前で、ジグラットは封印の痕跡を眺めていた。


 分厚い扉に刻まれた魔術封印の紋が微かに乱れている。

 封印自体はすでに修復されているが、その下に残る微細な魔力の歪みは消せていない。


 ──やはり侵入されたか。


 宮廷は表向き「作戦資料の一部を紛失」とだけ発表している。

 だが、これは明らかに盗難だ。


 しかも封印を破るほどの技術を持つ相手。

 ただの盗賊ではない。

 ジグラットは扉から視線を外し、静かな裏回廊へと足を向けた。


 王都と王城内部の裏情報はすでにいくつか彼の手元にある。

 討伐戦の作戦資料の一部――特に勇者候補とリアーナが動くルートや、結界の配置を記した部分は、聖鎖会にとって格好の獲物だ。


 邪神の残骸を取り込んだ十三使徒「恐憶の尼カラステラ」が目指すものは、世界のあらゆる場所を「神の視線」とやらに晒すこと。

 そしてその"神"とは決して女神アリュエルのことではない。その結末は人間にとって望まぬ最悪な結果をもたらすだろう。

 勇者と聖女の動きは、そんな聖鎖会の計画にとって重要な「焦点」となり得る。


(奪われた情報がどこまでか、はっきり押さえておく必要があるな)


 そんなことを考えて歩いていると、物陰からひょこりと顔を出す影があった。


「センパイ、また面白いところにいるじゃないですか」


 焦げ茶のショートボブが揺れ、金と琥珀の混じった瞳がこちらを覗き込む。

 フィノ=コレッティだった。


「……尾けてたのか」


 ジグラットが眉をひそめると、フィノは肩を竦めて笑ってみせる。


「調査隊の基本スキルですよ。怪しそうなところには、とりあえずセンパイがいないか確認するんです」

「それは俺が怪しい前提の動きだな」

「えへへ。で、今回はどんな闇取引ですか」


 半分冗談、半分本気の声。

 ジグラットは小さく息を吐いた。


「作戦資料の写しを盗んだ連中の尻尾を追っている」

「……なるほど。いつもの物騒なやつですね」


 一瞬で表情が真剣なものに変わる。

 切り替えの早さは彼女の長所でもあり、厄介なところでもあった。


「探すなら手伝いますよ。調査隊舐めないでくださいね」

「なら使わせてもらおう。裏回廊の監視に穴がある場所を洗え」

「了解です、センパイ」


 フィノは嬉しそうに頷き、ジグラットの隣に並んだ。

 二人は王城の裏回廊へ足を踏み入れる。


 石造りの通路はひんやりと薄暗く、壁には魔力を帯びた苔が淡い光を灯している。

 ジグラットは索敵スキルを起動し、低く呟いた。


「前方十数メートル、人影一。巡回兵の動きではないな」

「了解。じゃあ、こっち側は私が塞ぎます」


 フィノは即座に反対側の物陰へ移動し、短剣に手をかける。

 彼女の瞳は先程までの甘えた色を完全に消していた。


(やっぱり、こういう時のセンパイが一番好きかもしれない)


 しかし胸の奥では、鼓動が静かに高鳴る。


 ジグラットが廊下の角から身を躍らせた。

 一瞬の踏み込みで距離を詰め、黒い外套を纏った影の背後に回り込む。

 冷たい金属の感触が男の喉元に当てられた。


「動くな」


 低く圧のある声。

 男は息を飲み、両手をゆっくりと上げた。


 後方ではフィノが退路を塞ぐように立ちふさがる。


「はい、そこまででーす」


 柔らかな声とは裏腹に、握られた短剣には迷いがない。

 ジグラットは外套を剥ぎ取り、中を検めた。


 偽装された召使いの制服。

 そして――討伐戦の作戦資料の写し。


「……やはりな」


 ジグラットは資料だけを懐に収め、男の両手を器用な手つきで縛り上げる。


「この人、どうします?」

「表向きはただの不審者として引き渡す。資料のことは俺の方で握っておく」

「さすが腹黒……いえ、さすがセンパイです」


 軽口を叩きながらも、フィノの瞳には尊敬の色が浮かんでいた。


 ◇ ◇ ◇


 裏回廊での騒ぎを片づけた後、二人は王城の中庭にある小さなベンチに腰を下ろしていた。


 夕陽が白い石畳を橙色に染め、長く伸びた影が足元で交差する。

 遠くからは儀式の準備に追われる人々の声がかすかに聞こえていた。


「やっぱりセンパイと一緒にいると、退屈しませんねー」


 フィノが足をぶらぶらさせながら言う。

 ジグラットは横目で彼女を見やった。


「面倒なことしか起きてないだろ」

「面倒だけど、楽しいです」


 ジグラットはその即答具合に言葉を失う。

 フィノは空を見上げ、小さく息を吐いた。


「センパイって、いろんな人に優しいですよね」

「またそれか」

「だって事実ですもん。セラさんやミネットさんにも、ちゃんと気にかけてますし。今日だって危ないところを助けてあげてたじゃないですか」


 言いながら、彼女はジグラットの横顔を覗き込む。


「……ちょっと妬けます」

「何にだ」

「さぁ。なんでしょうね」


 誤魔化すように笑いながらも、その瞳の底にはわかりやすい色があった。

 ジグラットは少しの間沈黙し、それからぽつりと言葉を落とす。


「……お前のことも、気にかけてる」


 ぽつりと落とされた言葉に、フィノは一瞬瞬きを忘れた。

 それから、ぱあっと顔を輝かせる。


「言いましたね、センパイ。今の、公式コメントとして記録しておきますっ」


 どこからともなく小さなメモ帳を取り出し、さらさらとペンを走らせる仕草をしてみせる。


「『センパイが私を気にかけていると照れくさそうに発言』っと」

「やめろ」


 ジグラットが呆れた声を出し、メモ帳を指先でひょいと取り上げる。

 フィノは慌てて身を乗り出した。


「あっ、それ返してくださいよ。私の宝物帳なんですから」

「こんなもんを宝物にするな」


 軽く腕を伸ばして届かない高さに持ち上げると、フィノは背伸びしながら抗議の視線を向けてくる。


「じゃあせめて署名だけでもっ。『責任者:ジグラット』って」

「誰が責任者だ」


 そう言いながらも、ジグラットはメモ帳をぽんとフィノの胸元へ返した。

 フィノはそれを大事そうに抱きしめる。


「ふふっ……じゃあ非公式コメントとして大切にしておきます」

「勝手にしろ」


 言葉とは裏腹に、その声にはわずかな苦笑が滲んでいた。

 ジグラットはため息をつき、夕陽に染まる城壁を見上げる。


 ──聖鎖会の動き。

 ──盗まれた作戦資料。

 ──聖女リアーナと勇者アッシュ。


 すべてが王城という舞台で絡まり始めている。


(予定通りに、とはいかないかもしれんな)


 それでも、自分は自分の手で盤面を書き換える。

 その決意だけは揺るがない。


 隣ではフィノが満足そうに肩を預けてきていた。


「ねぇセンパイ」

「何だ」

「王城の儀式、ちゃんと生きて帰ってきてくださいね」

「縁起でもないこと言うな」

「本気ですよ」


 からかうような口調の裏で、彼女の指先には微かな震えがあった。

 ジグラットはそれに気づきながら、何も言わず立ち上がる。


「行くぞ。やることは山ほどある」

「はーい。センパイの後ろ、ちゃんとついていきますから」


 フィノはいつもの調子で笑い、ジグラットの隣に並んだ。

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渇望のジグラット~ダークファンタジーなエロゲ世界の悪役王子に転生したので、NTR悪役ではないけどNTRするしかない~ 理久王 @rikkues

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