第12話「王城の儀式準備」前編

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841709767249


 初夏の陽光が強さを増しはじめた頃、学園に重々しい馬車の音が響いた。

 紺碧の紋章旗を掲げた王城の使者が来訪したのだ。


 大講堂には各学年から選抜された生徒たちが集められていた。

 高い天井から吊るされたシャンデリアが淡く光を落とし、磨き上げられた石床に陽光が反射している。


 壇上に立つのは紺碧の礼装を纏った宮廷官だ。

 濃い青の上着には王家の紋章が金糸で縫い込まれ、肩章には複数の勲章が並ぶ。

 背筋を真っすぐ伸ばした男が、羊皮紙を広げて声を放った。


「来月、王城にて魔物討伐戦の出陣式、並びに成人祝賀の儀が執り行われる」


 張りのある声が大講堂の隅々まで届く。


「学園より選抜された生徒諸君は、勇者候補生としてこの儀式に参列することとなった。王都貴族、聖堂関係者、各地の有力者が一堂に会する場だ。己が立場を失礼なく示せるよう、礼節を尽くされたい」


 ざわ、とさざ波のようなざわめきが広がる。


 アッシュは最前列近くの席で、その言葉を静かに聞いていた。

 隣には腕を組んだティアナ=ミューミルが座っている。

 淡いミントグリーンの長髪が肩で揺れ、濃いエメラルドグリーンの瞳はどこか険しい。


 宮廷官は視線を巡らせ、さらに続けた。


「当日、リアーナ王女殿下が諸君ら勇者候補に祝福を授けられる。栄誉ある務めと心得よ。王城の威光を傷つけぬよう、その言動には細心の注意を払うこと」


 王女リアーナ。

 王家の第一王女にして、民衆の希望の象徴。


 アッシュはその名を耳にして無意識に背筋を伸ばした。

 ティアナが小さく吐息を漏らす。


「……面倒なことになりそうね」


 彼女の声には明らかな警戒が滲んでいた。

 アッシュは横目で彼女を見やり、苦笑を浮かべる。


「大丈夫だよ。儀式に出て、きちんと頭を下げて、言われた通りにすればいいだけだろ」

「そういう問題じゃないのよ」


 ティアナは眉根を寄せ、壇上の宮廷官を睨む。


「王城に行けば、あんたみたいなのは絶対目立つわ。貴族も聖堂の偉い人も、いろんな人が近づいてくる。困ってるふりとかして、優しい勇者候補様に猫なで声ですり寄ってくるかもしれないし」


 言葉には棘があるが、その奥には幼馴染としての焦りがあった。

 アッシュは人が良すぎる。

 困っている人を見れば、相手が誰であろうと手を差し伸べてしまう。


「利用されるのが心配ってことか?」


 アッシュが冗談めかして言うと、ティアナはむっとした顔をした。


「それもあるし、厄介な連中と縁を結ばされるのも嫌なの。……あんた、断れなさそうだし」

「うっ」


 図星すぎてアッシュは言葉に詰まった。

 ティアナは小さく肩を落とし、声を潜める。


「それに、王城ってことは……」


 言いかけて、言葉を飲み込む。

 宮廷官の説明はまだ続いていた。


「選抜対象となるのは、実技・魔術・学科成績において一定以上の成果を示した者。また、対外的に王国を代表するに相応しい振る舞いができる者とする。該当者は後日、個別に通達する」


 生徒たちのざわめきは一層大きくなった。

 アッシュは胸の奥に、じんわりと重いものが乗るのを感じる。


 ──聖女リアーナ様が祝福をくれる儀式。

 ──王国の「勇者候補」として公式に紹介される場。


 期待とともに、目に見えない責任の重さが肩にのしかかってくる。


「ティアナ、心配しすぎだよ」


 努めて明るく言うと、ティアナはふいっと顔をそむけた。


「……わかってるわよ。言ったって止まらないって」


 けれど、その拳は膝の上で固く握られたままだ。

 ティアナの視線の先には壇上の宮廷官ではなく、王城の紋章が描かれた垂れ幕があった。


(あの第二王子も、王城には当然いる)


 大講堂で読み上げられた名簿の中に、ジグラット=エルステリアの名前はなかった。

 だが王族である以上、儀式に出ないはずがない。


(何か企んでたりしないでしょうね)


 胸の奥で燻る不信感が、ささやくように形を成した。


 ◇ ◇ ◇


 午後。

 選抜候補の生徒たちは学園の服飾室へと集められていた。


 王城で行われる出陣式には正式な礼装が必要だ。

 学園側が用意した礼服の中から、体格や身分に合わせたものを選ぶことになっている。


 服飾室の扉を開けたアッシュは思わず目を丸くした。

 深紅、紺碧、純白、深緑と、広い部屋一面に色とりどりの礼服が並んでいたからだ。 


 どの礼服にも細やかな金糸の刺繍や紋様が施されている。

 王城の格式にふさわしい上質な生地は、光を受けてしっとりとした艶を放っていた。


「すご……」


 思わず漏れた声に、近くにいた女子生徒たちがくすくす笑う。

 アッシュは慌てて咳払いし、手近なハンガーへ視線を移した。


 目に留まったのは深紅と紺を基調とした礼服だった。

 重厚すぎず、しかし軽すぎもしないデザイン。胸元には簡素だが品のある刺繍が入り、肩の飾りも主張しすぎていない。


 ──平民出身の身には、このくらいが丁度いいか。


 そう思いながら手に取った時、後ろから弾んだ声が飛んできた。


「アッシュさん、見てください」


 振り向くと、部屋の奥でセラ=アルカンがくるりと一回転してみせた。


 深緑と白を基調にした礼服。

 森族の民族衣装を思わせるラインに、王城式の礼服らしい装飾が組み合わされている。

 胸元や袖口には森の葉と星座を組み合わせたような文様が金糸で描かれていた。


 長い翠緑の髪が揺れ、翡翠色の瞳が嬉しそうに輝く。


「どうですか、この服。森族の紋様もちゃんと使ってあって……すごく素敵なんです」


 アッシュは言葉を失った。

 肩から腰にかけてのラインはしなやかで、動きやすそうな作りなのに、どこか凛とした華やかさもある。

 森の少女が王城という舞台に出ていくための衣だ。


「……似合ってる」


 素直に出た言葉に、セラの耳がぴんと立った。


「え、本当ですか」

「ああ。すごく綺麗だよ」


 そう言う自分の声が、ほんの少しだけ照れを含んでいるのがわかる。

 セラは一瞬固まってから、みるみる顔を赤くした。


「い、今の、もう一回言ってもらってもいいですか」

「いや、それはさすがに恥ずかしい」

「ええーっ」


 ふくれっ面を作りながらも、抱きかかえた礼服への愛着は隠せない。

 セラは大事そうにそれを胸に抱きしめた。


「じゃあ、これにします。アッシュさんに褒めてもらったので、決定ですっ」

「決め方が軽くないか、それ」

「重要な決め手ですよ!」


 言い切る顔があまりにも嬉しそうで、アッシュは何も言い返せなかった。

 その時、部屋の別の場所からおずおずとした声が聞こえた。


「あ、あの……これで、大丈夫でしょうか」


 振り向くと、ミネット=キャロルが試着台の前に立っていた。


 柔らかなミルクティー色の髪がいつもより丁寧に結い上げられている。

 もふもふとした狐耳は、恥ずかしさに耐えきれないようにぺたんと伏せ気味だ。


 彼女が纏っているのは純白のドレスだった。

 裾へ向かってふわりと広がるスカート。胸元と袖口には薄い金糸で繊細な文様が刺繍され、腰に結ばれたリボンが彼女の小柄な体をいっそう華奢に見せている。

 二股のふわふわとした尻尾が緊張のあまり小刻みに揺れていた。


「や、やっぱり変ですよね。私なんかが、こんな……」


 ミネットが視線を落としかけた瞬間、アッシュは首を横に振った。


「いや。似合ってる」


 言いながら、自分でも少し驚くくらい迷いがなかった。


「綺麗だよ、ミネット」


 その一言にミネットの狐耳がぴん、と立つ。

 琥珀色の瞳が大きく見開かれ、瞬きを繰り返した。


「ほ、本当ですか……?」

「ああ。胸を張っていい。王城に行っても自慢できるくらいだ」


 冗談めかした言い方だったが、そこに嘘はない。

 ミネットは顔を真っ赤にし、《癒輝珠》のぶら下がったネックレスをぎゅっと握りしめた。


「……ありがとうございます」


 胸の奥で何か温かいものがじんわりと広がっていく。


「ミネットさん、本当に素敵ですよ。可愛いです」


 セラが横から顔を覗き込み、にこにこと笑う。


「白いドレス、とっても似合ってますねっ」

「あ、ありがとうございます」


 褒められるたびに、ミネットの狐耳が忙しなく動いた。

 不安と嬉しさが入り混ざった表情がいかにも彼女らしい。


 アッシュは二人の姿を見ながら自分の礼服を腕にかける。

 深紅と紺の布地が肩に重く、けれど不思議と背筋を伸ばされるような気がした。


 ──王城か。


 胸の奥で、期待と緊張が入り混じった。


 ◇ ◇ ◇


 礼服の採寸と調整を終え、服飾室を出たアッシュは廊下の角で足を止めた。

 廊下の先の窓から差し込む光の中に、一人の少女が立っていたからだ。


 純白の礼服に身を包んだ少女。

 腰まで伸びたプラチナブロンドの髪が、静かな光を纏って揺れている。

 深い紫水晶色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。


 リアーナ=エルステリア。

 聖女候補にして、王家の第一王女。

 学園で何度か顔を合わせたことはあるが、こうして二人きりに近い形で向き合うのは久しぶりだった。


「アッシュ様。お久しぶりです」


 柔らかな声。

 けれどそこには、“聖女”としての距離がはっきりとある。

 アッシュは慌てて礼を取った。


「リアーナ様。こちらこそ、ご無沙汰しております」


 リアーナは静かに頷き、歩み寄る。

 白い礼服の裾が床を滑るように動き、胸元の聖印が淡く光を反射した。


「来月の儀式について、直接お伝えしたいことがあって参りました」

「儀式、ですか」

「ええ。出陣式の場で、私はあなたに祝福を授けることになります」


 リアーナの瞳がアッシュの目を覗き込む。

 その奥には温度の読み取りにくい静謐さがあった。


「勇者候補の中でも、とりわけ選ばれた者だけに授けられる祝福です。あなたは、その対象とされています」

「……光栄です」


 アッシュは自然と深く頭を下げていた。


「身に余る役目ですが、精一杯務めさせていただきます」

「ありがとうございます」


 リアーナは微笑とも礼儀ともつかない柔らかな表情を浮かべる。


「だからこそ、お願いがあります」

「お願い……ですか」

「王城にはさまざまな思惑を持った人々が集まります。あなたの純粋さは時に人を救い、時に人を惑わせる」


 淡々とした言葉。

 だがそのひとつひとつが、まるで重石のように胸に落ちてくる。


「どうか、自分の望む正しさを見失わないでください」


 アッシュは少しだけ目を見開き、それから静かに頷いた。


「……はい」


 リアーナは満足そうに目を細めた。


「よろしくお願いいたします、アッシュ様」


 軽く一礼すると、彼女はくるりと向きを変えた。

 純白の裾が翻り、やがて廊下の奥へと消えていく。


 アッシュはその背中を見送りながら、胸の中の鼓動が早まっていくのを感じていた。


 ──聖女リアーナ様が、俺に祝福を。


 学園で顔を合わせたときよりも、彼女はずっと遠くに感じた。

 それは王城という場所のせいか。

 それとも自分が勇者候補として見られているからか。


「……精一杯やらないとな」


 小さく呟いた声は廊下の石壁に吸い込まれていった。

 

 その一部始終を、少し離れた曲がり角の陰から見ている影があった。

 

 ティアナ=ミューミルだ。

 廊下に覗く紫水晶色の裾と、リアーナの微笑み。

 そして礼を尽くすアッシュの姿。


 ──聖女、ね。


 膝の上で握った拳にじわりと力がこもる。

 

 聖女は王家の象徴。民衆の希望。

 そんな存在に最も近しい者がアッシュに目を向けたということは、彼が否応なく権力の渦に引き込まれていくということでもある。


 ──あの兄妹が、もし裏で何か企んでたらどうするのよ。


 リアーナの兄。

 問題児と噂される第二王子、ジグラット=エルステリア。


 考えすぎかもしれない。

 だが王城に足を踏み入れる以上、最悪の可能性も想定しておくべきだ。

 ティアナは小さく息を吐き、踵を返した。


「絶対、変なやつには近づけさせないから」


 小さく零した決意の言葉は、自分自身への誓いのようでもあった。

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