第8話「不意打ちの攻勢」

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841709419674


 合同演習から三日が過ぎた。


 学園はいつもの日常を取り戻しつつあった。

 午前中は座学、午後は実技訓練。

 剣戟の音と詠唱の響きが交じり合っていた訓練場も、日が傾き始めた今は生徒たちが引き上げて静かな余韻だけが残っている。


 ジグラット=エルステリアは訓練場の端で石壁にもたれ、腰の剣を布で丁寧に拭っていた。

 夕陽が刃に反射し、細い光の線が揺れる。布を滑らせながら、今日の手応えを反芻した。


(少し後回しにしてしまっていたが、剣士職、盗賊職ともに感覚は悪くない。基礎職の底上げは順調だな)


 この三日間で、合同演習で得た経験値が確かに身体に馴染んできている。

 反応速度。間合いの取り方。ステータス表示に現れない細部の感覚が少しずつ磨かれていた。


(力の土台は、ようやく「スタートライン」と呼べる程度か)


 あとはもう一つ。

 いや、こちらこそが本命だ。


(勇者のヒロインたちとの関係構築を計画的に進める)


 フィノとセラ。

 合同演習で手応えのあった二人は、どちらも「勇者パーティの外周」に位置するサブヒロインだ。

 切り離しやすく、取り込めば効果は大きい。


 剣を鞘に収めようとした、そのとき。


「セーンパーイっ!」


 耳に馴染み始めた甲高い呼び声が背後から飛んできた。


 ジグラットが振り返ると、焦げ茶のショートボブを揺らしながら一人の少女が駆けてくる。

 金と琥珀が混ざった瞳が夕陽を飲み込み、ぱっと華やかな光を宿した。


 フィノ=コレッティ。

 赤のリボンタイを揺らし、制服を冒険者風にアレンジした軽やかな装い。

 腰のポーチが小さく跳ねるたび、中のポーション瓶がちりんと鳴った。


「お疲れ様です、センパイっ」

「ああ」


 ジグラットは短く答え、剣を腰に固定する。

 その仕草に合わせて濃紺の学園制服の裾がさらりと揺れた。


 フィノは彼の一挙一動を目で追いながら、ぱっと笑みを弾けさせる。


「あのですね、センパイ。今日の訓練もすっごくかっこよかったので、ささやかながらご褒美タイムを提案したいと思いまーす」

「……ご褒美?」

「はいっ。もしよかったら、このあと一緒にお茶しませんか? 私のお気に入りのお店があってですね、タルトがびっくりするくらい美味しいんですよ♪」


 言い終わる前から、瞳だけは「絶対断らせない」勢いで輝いている。


 ジグラットの手が鞘の留め具のところでぴたりと止まった。

 片眉をわずかに上げ、彼女を見下ろす。


「……お前、さっきからやけに目がギラついているな」

「それはもう! 甘い物とセンパイの組み合わせって、人生の中でも上位に入る贅沢ですからっ」


 胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、妙な宣言をする。


 ジグラットはほんの一瞬だけ考え、腕を組み直した。

 どうせいずれ踏み込まねばならない領域だ。

 ならば――こちらから一歩だけ、相手のペースを崩してみる。


「わざわざ二人きりになりたいと言うあたり……もしかして、誘っているのか?」


 淡々と放たれた一言が、訓練場の空気を微妙な色に変える。

 フィノの表情がきれいに凍りついた。


「……え?」


 数拍の沈黙。

 意味の理解が追いついた瞬間、耳から頬、首筋にかけて、見る見るうちに赤が広がっていった。


「っ、な、なんですか急にそんなストレートな発言はっ!」


 慌てて両手をぶんぶん振り、半歩どころか一歩半下がる。

 ジグラットは表情を変えない。わずかに肩を竦めただけだ。


「違うのか。なら行くぞ」

「は、早っ!? もうちょっとこう、間とか、ためとか……っていうか、え、これって別にデートとかじゃないですよね? ね?」


 完全にペースを乱され、目があわあわと泳いでいる。

 ジグラットは薄く息を吐いた。


「お前がどう定義するかは勝手にしろ。俺は甘い物を食いに行くだけだ」

「むぅ……センパイってば、そういうところは妙にズルいんですね」


 頬をぷくりと膨らませるが、すぐにその膨らみは笑みに変わる。


「……でも、行ってくれるなら、それでオッケーですっ。はい決定、センパイ拉致完了!」

「拉致と言うな。いいから案内しろ」

「はーい、センパイ。ではこちらでーす♪」


 フィノが先頭に立ち、ぴょんと軽く跳ねるように歩き出す。

 ジグラットは少し距離を取り、その背中を無言で追った。


(よし、まずは一人目。踏み込む口実は作れた)


 その様子を、訓練場の別の端からぼんやり眺めている影があった。

 アッシュだ。


 木剣を片付け、布で汗を拭いながら何気なく視線をさまよわせた先に、足並みを揃える二人の姿が映り込む。

 夕焼けの中で談笑するフィノの横顔は、いつも以上に楽しげだった。


 ──フィノ、楽しそうだな。


 胸の奥をひやりとした指先がなぞるような感覚がよぎる。

 その感覚に、アッシュはまだ名前をつけられない。


「何見てるの?」


 肩越しに鋭い声が落ちる。

 ティアナ=ミューミルが弓を肩に担ぎながら、アッシュの視線の先を追った。


 だが二人はもう訓練場の出口の向こうへ消えている。

 アッシュは慌てて視線を逸らし、いつも通りの調子を装う。


「いや、別に」

「ふぅん?」


 ティアナは長いまつげを瞬かせ、じっと横顔を見つめた。


「なんか変な顔してた」

「変ってなんだよ」

「いつもより、ちょっとだけ難しい顔」


 そう評してから、彼女はあっさりと話題を切り捨てる。


「まあいいや。早く片付けないと教官にしばかれるわよ」


 弓の弦を軽く鳴らし、先に歩き出すティアナ。

 アッシュは短く返事をしながらも、訓練場の出口にまだ意識を引きずられていた。


 ◇ ◇ ◇


 学園から少し外れた石畳の路地。


 人通りの少ない静かな一角に、蔦に覆われた白壁の小さな店が佇んでいる。

 木製の看板には柔らかな筆致で『月華亭』と記されていた。

 フィノが扉を押し開けると、頭上で小さな鈴がころん、と音を立てる。


「いらっしゃいませー」


 カウンターの向こうから、丸みを帯びた優しげな中年の女性が顔を出した。

 髪を布でまとめ、エプロンの胸元には粉砂糖の白い跡が散っている。


「こんばんは、おばさーん。今日はとっておきのゲストを連れてきました!」

「あら、フィノちゃん。まあまあ、珍しいこと。そちらが噂の?」


 女将の視線がフィノの後ろに立つジグラットへと移る。

 王族によくみられる淡金の髪と深蒼の瞳。

 濃紺の制服は簡素な店内ではやや場違いなほどだが、不思議と浮いては見えなかった。

 ジグラットは軽く顎を引き、無言で会釈する。


「いつもの席でいいかしら?」

「お願いしますっ」


 フィノは慣れた足取りで店の奥へ進み、窓際の二人席を指さした。

 そこは街路に面した大きな窓があり、沈みゆく空と灯り始めた街灯がよく見える特等席だ。


「ここ、結構穴場なんですよ。学園の生徒もあんまり来ないんです」

「……調査隊の副隊長は、甘味処まで嗅ぎつけるのか」


 ジグラットの呟きに、フィノは胸を張った。


「任務の合間に街の地図を埋めていくのも立派なお仕事です。美味しいお店を押さえておくと、調査の交渉もスムーズになるんですよ」

「聞いたことのない理屈だな」

「ふふん、実地調査班流の極秘ノウハウってやつですねっ」


 女将が水とメニューを持ってきて、穏やかに微笑む。


「今日は何にする?」

「私はいちごのタルトと、いつもの紅茶で。センパイは?」

「同じでいい」

「じゃ、いちごのタルト二つと紅茶を二杯でお願いします」

「はーい、少しお待ちくださいね」


 女将が奥へ消えると、店内には静かなざわめきと甘い香りだけが残る。

 木のテーブルには長年の使用でついた細かな傷が走り、それさえも温かみを感じさせた。


 フィノは窓の外をちらりと見てから、にこりと笑って向き直る。


「センパイ。こういうお店、嫌いじゃなさそうですよね」

「どういう印象だ」

「なんとなくですけど。派手な場所より、こういった落ち着いたところで黙々と本読んでそうって感じがします」


 ジグラットは視線を窓の外へ滑らせ、しばし考えるような間を置いた。


「……確かに、騒がしい場所は得意ではないな」

「ですよね。じゃあ今度、本持ってきて読書会しましょうか。私が横でお菓子食べてるので、センパイは黙々と読んでていいですよ」

「それは読書会と言うのか……?」

「細かいことは気にしない方向で♪」


 肩を竦めたフィノがくすくす笑う。

 その気楽な調子に、ジグラットの口元がわずかに緩んだ。


(こういう調子で来られると、少し扱いに困るな)


 利害を計算しているにせよ、それを意識させない軽さがある。

 距離を詰める速度も妙に本能的だ。


「そういえばセンパイ」


 フィノの声が少しだけ真面目な色を帯びる。


「演習のときの指示、本当に助かりました。私、動くのが先に立っちゃうことが多いんですけど、センパイの声が飛んでくると『あ、今はここだな』ってわかるんですよね」

「それはお前の反応速度が高いだけだ」

「んー……でも、ちゃんと『見ててもらえてる』って感じがして、やりやすかったです」


 照れたように視線を落とし、指先でテーブルの端をつつく。

 ジグラットは軽く腕を組み直した。


「戦場では駒の動きが全てだ。見ていなければ判断材料が足りない」

「……はい、今ちょっとだけ駒って言われたの気づきましたけど、そこは聞こえなかったことにします」


 フィノは頬をふくらませ、それでもすぐに笑いに変える。


「でも駒としてでも、ちゃんと使ってもらえるなら嬉しいですよ。役立ててるってことですし」


 その正直さに、ジグラットはわずかに目を細めた。


(欲も打算もあるだろうが、それ以上に「役に立ちたい」という素直な欲求があるタイプか)


 扱いやすい、とは違う。

 だが信用の仕方を間違えなければ、戦力としては申し分ない。


 そんなことを考えていると、香ばしい甘い匂いとともに、女将が皿を運んできた。


「はい、お待たせ。いちごのタルトと紅茶ね」

「ありがとうございますっ」


 白い皿の上には艶やかなソースを纏ったいちごが花のように並び、その下に控えるカスタードクリームとタルト生地が黄金色に輝いていた。

 紅茶の湯気が立ち昇り、ほのかな香りが鼻腔をくすぐる。


 ジグラットはひと口だけ紅茶を含み、舌の上で転がした。


「……悪くない」

「でしょう。ここの紅茶、本当にお気に入りなんです」


 フィノは目を輝かせ、タルトを一口サイズに切り分けて口に運ぶ。

 頬がふわりと緩み、肩まで幸せそうに弛緩した。


「はぁぁ……生きててよかった……」

「大げさだな」

「センパイも早く食べてみてくださいっ」


 促されるままにジグラットもフォークを動かす。

 甘さは控えめで、いちごの酸味とクリームのコクがほどよく混ざり合っていた。

 紅茶との相性も悪くない。


 ふと、視界の端に違和感が生まれる。

 店の隅、薄暗い席。


 そこに黒いクラシカルなワンピースドレスを纏った少女が静かに座っていた。

 濡羽色の長い髪が椅子の背に流れ、紫苑色の瞳がカップの縁越しにこちらを眺めている。

 よく見れば髪の隙間から小さな猫耳が覗き、椅子の下では細い尻尾がゆっくり揺れていた。


 ノワール=グリム。

 模擬戦で相手チームにいた黒猫獣人だ。

 その正体の一端を、ジグラットだけが知っている。


 ──廃都に封じられた“夜の王女”、【夢を喰らうもの】の転生体。


 原作ゲームで、扱いを誤れば世界崩壊まで一直線の最凶級トラップヒロイン。


 まだ封印の鎖は揺らいでいないはずの時期だ。

 だが世界の裏側に繋がる可能性を孕んだ存在であることに変わりはない。

 ノワールの瞳がゆっくりと瞬いた。


「……にゃふ。あの先輩、いい匂いする」


 誰にともなく掠れた声で呟き、小首を傾げる。


 ジグラットと目が合うと、彼女は視線を逸らすこともなく、じっと見つめ返してきた。

 猫のような好奇心と、深層に沈む不可解な空白が混じり合った視線だ。

 ジグラットはあえて先に視線を切った。


 ──今はフィノに集中する。

 ノワールとの線は、別のタイミングで引くべきだ。


「センパイ、どうかしました?」


 紅茶を啜りながら、フィノが首を傾げる。


「いや、何でもない」

「むぅ、絶対なんかありましたよね今。そういうの、すっごく気になる性格なんですけど」

「甘い物でも食って忘れておけ」

「雑なごまかしっ。でも美味しいから許しまーす。はむっ。んむぅ~♡」


 フィノはあっさりとタルトに意識を戻した。

 

 店の外。

 薄闇に沈みかけた通りを、長い翠緑色の髪が風に揺れながら通りすぎる。


 セラ=アルカンだ。

 両手に紙袋を下げ、今夜の食堂に持ち込むつもりらしいパンの香りがほんのり漂う。

 何気なく視線を横に向けたとき、窓から漏れる灯りの中に見知った横顔が浮かんだ。


「あれ……ジグラット先輩?」


 窓越しに見えるのは楽しげに笑うフィノと、向かいに座る第二王子の姿。

 カップを持つ仕草も、紅茶を口にする角度も、どこか余裕をまとっている。


「フィノと……二人きりで」


 胸の奥が小さくきゅっと鳴る。

 それがどういう感情なのか、自分でもよくわからない。

 ただ、今窓を叩いて中に入っていくのは違うような気がした。


 セラはしばらく立ち尽くし、それから紙袋を抱え直して、小さく笑ってみせる。


「……ま、いいか。今度は私も誘ってみようっと」


 そう呟き、踵を返して夕暮れの街へと歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 夕暮れはいつの間にか夜へと姿を変えていた。


 月華亭を出た二人は、学園へ続く石畳の道を並んで歩いている。

 街灯が一定間隔で橙の光を落とし、それに照らされた二つの影がゆっくりと揺れた。


「今日はありがとうございましたっ」


 フィノがくるりと振り向き、両手で紙袋を後ろに隠すように持ちながら笑う。

 中にはこっそりテイクアウトした小さな焼き菓子がいくつか詰まっていた。


「タルトも紅茶もやっぱり最高でしたし、センパイの意外な一面も見られましたし」

「意外な一面?」

「甘い物を前にすると、ちょっとだけ目が優しくなるとことかぁ」


 ジグラットは一瞬だけ目を細め、すぐに視線を逸らした。


「……俺も、悪くなかった」


 低く、ぽつりと漏らした言葉。


 フィノの足がぴたりと止まる。

 大きく瞬きをしてから、ゆっくりと顔を綻ばせた。


「……センパイ、今なんて言いました?」

「聞こえていたはずだ」

「もう一回聞きたいです」

「却下する」

「ケチですねっ。将来絶対、同じことを誰かにねだられて困るタイプですよ!」


 フィノはくすくす笑いながら、再び並んで歩き出した。


「でも、はいっ。その一言で今日一日分、全回復しました」

「単純だな」

「よく褒められます」

「今のは褒め言葉なのか?」

「もちろんですっ」


 冗談を交わすうちに、学園の寮棟が見えてきた。

 昼間は生徒たちで賑わう中庭も今は静まり返り、窓から漏れる灯りだけが人の気配を示している。

 男子寮と女子寮が分かれる分岐点の前で、フィノがくるりと振り返った。


「じゃあ、今日はここまでですね」

「ああ」

「また、一緒に行ってくれます?」

「……気が向いたらな」

「やった。センパイの『気が向いたら』は、実質『また行く』っていうことだと受け取っておきますね♪」

「誰がそんなことを決めた」

「私ですっ」


 即答してから、フィノはひらひらと手を振る。


「それじゃ、また明日です。セーンパイッ♡」

「ああ」


 フィノは軽やかな足取りで女子寮の玄関へ消えていった。

 ジグラットはその背中が見えなくなるまで視線で追い、それからゆっくりと踵を返す。


 男子寮へと続く道を歩く。

 静寂が夜の学園を包んでいた。


 その時、路地の陰から声がした。


「……王子。夜風に当たるには、人気の多い道を選ぶものだ」


 低く掠れた声。

 ジグラットは足を止め、声のした方へ視線を向ける。


 薄闇の中、建物と建物の隙間に黒い影が立っていた。

 全身を黒い外套で覆い、顔は銀色の仮面で隠されている。

 月明かりを受けて、仮面だけが鈍く光った。


「誰だ」


 ジグラットは警戒を隠さず問う。

 仮面の人物はすぐには答えなかった。

 ただわずかに首を傾け、こちらを観察するように視線を滑らせる。


「名乗りは不要だ、王子。お前にとっても、我々にとってもな」

「王宮の犬か。教会筋の走狗か。それとも、もっと陰気な連中か」

「好きに想像すればいい」


 掠れた声に、わずかな笑みの気配が混じる。


「ただ一つだけは言っておこう。――半年前から変わり始めた“問題児”の動向は、どこにとっても興味深い」


 半年前。成人式。

 そして、転生前の記憶を取り戻した日。


(……そこまで遡って見ていたってわけか)


 ジグラットは眉をひそめる。


「悪辣な第二王子として振る舞っていた頃なら、わざわざ姿を見せずとも済んだ。粗雑で、扱いやすい駒にもなれただろうからな」

「今は違うとでも?」

「さて……」


 仮面の人物はあっさりと言い放つ。


「最近は随分と“無難”に振る舞っているようだ。剣を握り、下級生を率い、聖堂に通い、妹君の傍に立つ回数も増えた」


 リアーナの横顔が、ジグラットの脳裏をかすめる。


「……妹のことまで調べているのか」

「無論だ」


 声色が一段と低くなる。


「光の近くに立つ者は、その影の形まで測られる。――あの姫君の傍に誰が立ち、どんな顔で立つか。我々は、それを見ているだけだ」


 あくまで「見ているだけ」。

 だが、その視線が穏やかなものではないことは明白だった。


「見て、どうする」


 ジグラットが問うと、仮面の奥で気配がわずかに揺れた。


「場合による。必要と判断されれば、影は払われる。使い道があるなら、そのまま生かされる」


 ――リアーナの身辺に“不穏な因子”がいれば、早期に摘む。

 

 そんな言葉が行間から滲んでいた。

 ジグラットは鼻で笑う。


「つまり、俺はまだ“刈り取るかどうか迷われている雑草”ってわけか」

「ふっ、例えは悪くない」


 仮面の人物はゆっくりと一歩踏み出した。

 外套の裾が夜風に揺れる。


「王子。かつてのお前なら、このまま放置しても自然と腐ってくれただろう。ところが――最近の振る舞いは、腐るでも、真っ当に伸びるでもなく、妙に“整えられて”見える」

「誉め言葉として受け取っておこう」

 

 仮面の視線がじっとジグラットを射抜いた。


「だから今日、こうして顔を出したわけだ。お前が自分で道を選ぶつもりなのか、それとも誰かに“筋書き”を与えられているのか――少し匂いを嗅ぎに、な」


 筋書き、という単語にジグラットの胸が一瞬だけ冷える。

 だがこの世界の住人が知っているのは、あくまで「王国の思惑や教会の台本」の範疇だ。


「残念だが、その辺りは王族の秘中の秘でな」


 あえて軽口で返すと、仮面の人物は肩をすくめるような仕草を見せた。


「ならばいい。答え合わせを急ぐ必要はない」


 外套が翻る。

 夜風が吹き抜け、路地の影が一瞬揺らいだ。


 次の瞬間、そこにいた気配は薄れていた。

 銀の仮面も、黒い外套も、影に溶けるように消えている。


 残されているのは冷えた空気と、微かな魔力の残滓だけだった。

 ジグラットはしばらく黙って立ち尽くし、やがて小さく息を吐く。


(……聖鎖会の手か。あるいは、似たような連中か)


 リアーナの覚醒と、その周囲の「危険因子」を監視する教会側の影。

 半年前までの自分なら真っ先に処分候補に挙がっていてもおかしくなかっただろう。


「観察されるのは、今さらか……」


 唇の端を持ち上げ、低く呟く。


「せいぜい目を凝らして見ていろよ。俺がこの先、どの道を選び……何を壊すのかをな」


 夜風が言葉を攫っていく。


 ジグラットは再び歩き出した。

 静寂に包まれた学園の夜を、月光が薄く照らしている。

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