第7話「新学期の火種──後輩と先輩と、それぞれの選択」後編

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841709387972


 演習開始から三時間後。

 森の奥の鬱蒼とした緑の向こうに、切り立った岩壁が現れた。


 苔むした岩肌にところどころ古い爪痕のような傷が刻まれている。

 岩壁の手前には狭い谷間が口を開け、その奥には獣の臭いが濃く漂っていた。


「この先に、まとまった魔物の巣があるな」


 ジグラットが低く呟く。

 地図と目の前の地形を見比べながら、指先で空中に線を引いた。

 弓兵の上級生が問いかける。


「正面から突破しますか」

「いや、する必要はない」


 ジグラットは首を横に振る。


「ここは谷間を利用して、魔物を押し込む。狭い通路ほど、誘導と範囲魔法の威力が増す」


 アッシュはその言葉に、小さく驚きを覚えた。


(正面からぶつかるんじゃなくて、地形ごと利用する……)


 ──こういう戦い方もあるのか……。

 

 騎士団の訓練書や、街で聞いた武勇譚の中で「地形を利用した戦い方」という言葉を目にしたことはあった。

 だがそれを目の前の森の地形と照らし合わせて、即座に具体的な戦術に落とし込んでみせる冷静さは、自分にはまだない発想だ。

 アッシュは第二王子の背中を見つめる。


「フィノ」

「はいはーい、センパイ」

「巣の前まで出て、目につく範囲の魔物に顔を見せてこい。わざと大きな音を立てろ。十分に引きつけたら、そのまま谷間まで逃げる。振り返るな。谷間の入口を抜けたら、すぐに側壁に飛び移れ」

「了解でーす。要するに、全力で逃げてこいってことですねっ」


 フィノは軽く敬礼してから踵を返して駆け出した。

 落ち葉を蹴り上げながら、岩壁の前へと消えていく。


 数十秒後──


「やっほー! 毛むくじゃらさんたち、遊びにきましたよー!」


 森の静寂を破るような明るい声が響いた。

 それに続けて、低く唸るような咆哮が幾つも重なる。


 巣穴の奥から複数の魔物が一斉に飛び出してきた。

 狼型だけでなく、角を持つ猪型の魔物も混じっている。


 フィノは振り返らずに谷間へと駆け込み、そのまま岩壁の出っ張りへと身を躍らせた。

 すれすれのところで魔物の牙と爪が空を掻く。


「今だ」


 ジグラットの合図と同時に、魔術科の上級生が詠唱を完了させる。


「《炎壁陣》!」


 谷間の入口に燃え盛る炎の壁が立ち上がった。

 逃げ場を失った魔物たちが鳴き声を上げ、炎と岩壁の隙間でじたばたともがく。


「セラたち弓兵は左右から撃ち下ろせ。アッシュ、正面から切り込め。深追いするな。ラインを越えるなよ」

「了解!」

「わかった!」

「はい!」


 三方向から矢が降り注ぎ、前方からアッシュの剣が走る。

 炎の光が刃に反射し、何度も閃光を描いた。


 一方的な戦闘。

 魔物たちは逃げ道を失い、次々と地に伏していく。


 数分後には谷間に残るのは蒸し焼きにされた肉と焦げた匂いだけになっていた。


「……すごい」


 アッシュは息を整えながら、谷間を見下ろした。


(正面からぶつかれば、もっと時間がかかったし、怪我人も出ていたはずだ)


 ジグラットの戦い方は自分が知る戦い方とは少し違う。

 真正面から敵にぶつかり、仲間と支え合いながら道を切り開くのがアッシュの知る戦い方だ。

 それに対し、この第二王子は──勝つために最も効率のいい手段を選ぶ。

 そのためならどれだけ冷徹に見えても構わない、そんな戦い方だった。


「全員、怪我はないか」


 ジグラットの問いかけに、隊員たちが順に頷く。

 フィノが壁の上からひょこっと顔を出した。


「センパイー、ちゃんと囮できてました?」

「ああ。予想以上だ。よくやった」

「えへへ、わーい、褒められた♪」


 フィノが嬉しそうに手を振る。

 セラも弓を抱えながら、ジグラットの方へと歩み寄ってきた。


「ジグラット先輩、あの地形利用、目から鱗でした。あたしたち森族でも、あそこまで徹底的にはやらないかも」

「森をよく知っている者の協力があってこその戦い方だ。お前が地形の説明をしてくれなければ成立しなかった」

「そ、そんな……でも、嬉しいです」


 セラの耳がぴくりと赤く染まる。

 アッシュはその光景を、少し離れた場所から眺めていた。

 胸の奥にちくりとした感触が走る。


(なんだ、この感じ……)


 嫉妬、と呼ぶには違和感がある。

 ただ自分が知らないところで、少しずつ何かが動いていく気配に対する、居場所を探すようなざわつきを感じていた。


「よし。目標地点まで、もう一息だ。本隊より先に着いて報告を済ませるぞ」


 第三小隊はジグラットの一声で再び歩みを進めた。


 ◇ ◇ ◇


 夕刻。

 沈みかけた太陽が風牙の森の向こうへ傾くころ、第三小隊は指定された合流地点の丘へとたどり着いた。


 小高い丘の上は周囲より視界が開けていて、本隊の進軍を見渡せる位置にある。

 教官が先に待機しており、ジグラットたちの報告を受けて厳しい表情をわずかに緩めた。


「全員無事か。被害なし、魔物の巣二箇所制圧。迂回ルートの確認も完了……ふむ。よくやった、ジグラット」

「ありがとうございます」


 ジグラットは淡々と頭を下げる。

 しかしその指の先に力がこもっているのを、アッシュはふと見てしまった。


(嬉しい……のかな、やっぱり)


 教官は新入生たちにも視線を向ける。


「新入生たちも、よく付いていった。アッシュ、前衛での働きは上々だ。ただし、攻撃後の立ち位置にはまだ改善の余地がある」

「はい」

「セラ。援護射撃は安定していた。森族の耳を活かした索敵も、今後の課題にするといい」

「ありがとうございます」

「フィノ。囮役としては満点だが、調子に乗りすぎて本当に噛まれるな。お前が倒れたら、作戦自体が瓦解する」

「はーい、気をつけまーす」


 軽い返事をしながらも、フィノの瞳にはきちんと反省の色が宿っていた。


 解散の合図が出され、隊員たちは各々荷物の整理を始める。

 その傍らで第三小隊の様子を見ていた他の上級生たちが、ひそひそと囁き合った。


「第二王子、評判ほど酷くはないな」

「むしろ、指揮だけならあの年代で一番かもしれん」

「ただ……本当に前に出ようとはしないんだな。別に悪いことじゃないけど、他の王族と比べると地味か」


 ジグラットの耳にもそのささやきの一部は届いていた。

 彼は表情を変えず、淡々と荷物を整える。


 そんな中、フィノがまた跳ねるように近づいてきた。


「先輩っ、やっぱり今日はセンパイの作戦勝ちでしたね! ね、ねっ?」


 ぐいっと袖を掴まれ、ジグラットはほんの僅かに眉を寄せる。


「お前の囮が予定以上に上手く機能しただけだ。次も同じようにできると思うな」

「わー、ツンが鋭い。……でも、ちゃんと褒めてもらえたから満足ですっ」


 フィノはけろりとして笑い、指を軽く振って離れていく。

 背後では周囲の男子生徒が羨ましそうな視線をこっそり向けていた。

 少し時間を置いて、今度はセラが近づいてくる。


「ジグラット先輩」

「なんだ」

「あの……あたしの矢、ちゃんと役に立ってましたか」


 翡翠の瞳が上目づかいにこちらをうかがってくる。

 ジグラットは短く答えた。


「無駄撃ちは一つもなかった。十分以上だ」

「っ……ありがとうございます。次はもっと早く合わせられるように頑張ります」


 セラは嬉しさを隠しきれない笑みを浮かべ、頭を下げて下がっていった。


 その様子を少し離れたところからアッシュが見ていた。

 胸の内側で、小さなざわめきがまた波紋のように広がっていく。


(フィノも、セラも……あんなふうに笑うんだな)


 ジグラットは隊員たちを一通り見渡し、短く告げる。


「解散だ。明日からはまた通常授業に戻る。各自、体調を崩すな」

「はーい」

「了解です」


 返事が重なり、それぞれの帰路へと散っていく。

 アッシュもその一人として踵を返そうとしたその瞬間──


 ふと、背中に視線を感じて振り向いた。

 ジグラットの深蒼の瞳が一瞬だけこちらを捉えている。


 何の感情も読み取れない、静かな視線。

 アッシュは軽く会釈し、そのまま歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 夕暮れの学園中庭。

 茜色の空がゆっくりと紫へと表情を変えていく。


 アッシュは寮へ戻る前に、ふと足を止めてベンチへ腰を下ろした。

 木々の間を抜ける風が汗ばんだ肌を心地よく撫でていく。


「どうだった」


 背後から落ち着いた声がして、ティアナが隣に腰をかける。

 弓を背負ったまま肩を軽く回しているところを見ると、彼女の隊の演習も無事終わったらしい。


「まあ……悪くなかったよ」

「ふうん。微妙な顔してるけど……それで?」

「ジグラット王子が、すごく優秀だった。指揮もそうだけど、状況を見て一番効率のいい方法を選ぶというか……俺だったら、あんな発想出てこなかったと思う」

「へえ」


 ティアナは興味深げに片眉を上げる。

 夕焼けがその横顔を橙に染めた。


「怖い人って感じ?」

「うーん……怖い、というより、よく分からない人、かな。怒ってるのか機嫌がいいのかも、表情からはあんまり分からないし」


 フィノやセラに向ける、微妙に言葉を選んだ褒め方。

 教官に認められたときのわずかに強く握られた指先。

 そういう細かな違和感だけが、頭の片隅にこびりついている。


「でも、悪い人じゃないと思うよ。少なくとも、今日の演習で誰かを無茶な前線に押し出したりはしなかった」

「ふうん」


 ティアナは空を見上げたまま短く返事をする。

 アッシュは言葉を探しながら、胸の内側のざわつきと向き合った。


(フィノも、セラも……先輩のこと、すごく信頼してるみたいだったな)


 それ自体は喜ぶべきことだろう。

 頼れる上級生がいるのは、新入生にとって心強い。


 それなのになぜか釈然としない感覚が、心のどこかで小さく渦を巻いている。

 その正体にまだ名前は付けられなかった。


 ◇ ◇ ◇


 一方その頃──

 ジグラット=エルステリアは寮の自室で、窓辺に立って学園の夜景を見下ろしていた。


 遠くで寮の灯りがぽつぽつと点り、風に揺れる木々の影が地面に複雑な模様を描いている。

 昼間の喧騒は消え、世界はゆっくりと静まり返りつつあった。


 机の上には羊皮紙が何枚も広げられている。

 学園内の簡易地図と、名前が書き込まれた人脈図。


 フィノ=コレッティ。

 セラ=アルカン。


 その名の横に、新たな印が小さく書き加えられる。


 ──勇者アッシュの将来的な仲間候補。現在、接触済み。信頼度はまだ浅いが、悪くない手応え。


 ジグラットは羽ペンを指の間でくるくると回しながら、前世の記憶を掘り起こす。


『聖剣と終焉のクロニクル』。

 勇者アッシュが女神の加護を受け、多くの仲間──ヒロインたちと絆を結び、世界を救う物語。


 だがその裏側で描かれていたのは甘いだけの理想ではない。

 選択を誤ればヒロインは勇者の元を離れ、ときに死に、ときに他者に奪われる。

 エンディングまで確実に残るヒロインは、ごく一握り。


 聖女リアーナ。

 幼馴染ティアナ。

 古き魔導の才女ソフィア。


 彼女たちは物語の「核」であり、簡単には勇者の元を離れない。

 だが──サブヒロインたちは、違う。


 フィノも、セラも。

 条件次第では勇者ルートから外れ、別のエンディングへと流れていった。


(なら、俺が先に手を伸ばせばいい)


 ジグラットは先ほどの演習の光景を思い返す。

 囮役を買って出て笑っていたフィノ。

 援護射撃の一矢を誇らしげに振り返ったセラ。


 どちらも、今はまだ誰のものでもない。

 勇者との「固い絆」が形になる前の、揺れ動く時期だ。


 羽ペンの先が羊皮紙の上に滑る。


『方針:勇者のヒロインを勇者の前から遠ざける』


 線を一本引き足し、小さく書き直す。


『──より正確には勇者のヒロインたちの居場所を、俺の側に用意する』


 冷たい笑みが無意識に口元に浮かんだ。


 世界のためでも誰かの正義のためでもない。

 ただひたすら、自分が生き残るために。


 勇者を弱体化させるのなら、正攻法で敵対するよりも彼の「支え」を崩す方が早い。

 そのためには自分の側にヒロインたちがいてくれた方が都合がいい。


 ジグラットは窓を開け、夜の冷たい風を一息吸い込んだ。


(破滅まで、残り二年と半年)


 風の中で遠くの鐘の音が小さく鳴る。

 どこかで誰かが笑い、どこかで誰かが小さな失敗を悔やんでいる。

 穏やかな学園の夜。


(勇者は勇者として輝き、聖女は聖女として祈る。その物語の裏側で、悪役が生き残る道を探して何が悪い)


 胸の奥で、自嘲とも決意ともつかない熱が静かに燃える。


 ジグラットは窓を閉じ、机の上の羊皮紙を丁寧に畳んだ。

 引き出しの奥へと滑り込ませ、鍵をかける。


 明日からまた新しい布石を打っていく。

 勇者の仲間たちの心へ、少しずつ爪を立てるように。


 夜空にはいくつもの星が瞬いていた。

 その輝きの中で、悪役としての決意だけが密やかに深まっていく。

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