第4話「学園入学と新たな駒」後編

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841708912236


 午後になり、ジグラットは工学科の実習棟へ足を向けていた。

 王立学園本棟の繊細な装飾とは打って変わって、この棟は実用性が全てと言わんばかりの外観だ。

 

 分厚い梁と大きな窓。

 外にまで漏れてくる金属音と、魔導機器特有の低い唸り声。

 扉を開けた瞬間、鼻先を油と金属粉と焼けた石の匂いが打った。


 広い実習室には作業台がいくつも並んでいる。

 設計図や部品が所狭しと広がり、壁際には古い魔導機械の解体品が山のように積まれていた。


 その奥の作業台にひとりの少女が腰掛けている。

 深い亜麻色の髪が、肩口で綺麗に切り揃えられていた。

 額には大きめのゴーグルをかけ、白衣の下には汚れを気にしない実用本位の作業服。

 細身の身体だが、指先の動きには工具に慣れた確かな手際があった。


 琥珀色の瞳は目の前の設計図を凝視している。

 真剣なときの職人の目。

 部屋に入ってきた気配を感じると、彼女はゴーグルを額の上へ押し上げ、ジグラットへ視線を向けた。


「……あなたは?」

「ジグラット=エルステリア。第三学年だ」


 ゆっくりと名乗ると、少女の目がわずかに見開かれた。


「第二王子殿下……ですか」

「そうだが。君は?」

「ミレイユ=ハーヴィス。工学科第三学年、専攻は魔導機構設計です」


 ミレイユは簡潔に名乗り、椅子から立ち上がって礼をする。

 礼儀自体は形式的だが、その顔に浮かぶのは「王族だ」と畏れる感情よりも、「想定外の客が来た」という技術者としての好奇心だった。


「王族の方が工学科に来られるのは、本当に珍しいですね。何か故障でも?」

「資材管理について相談したい」


 ジグラットはそう告げて作業台に近づき、広げられている設計図へ視線を落とす。


「簡易的な魔力増幅装置、か」

「わかるんですね」


 ミレイユの口元に僅かな笑みが浮かぶ。


「はい。出力を一定値まで底上げする携行型の増幅装置です。ただ、この結晶部の純度が低いものだと魔力の揺らぎが大きくなってしまって、安定しなくて」


 彼女は図面の一角を指でとんとんと叩く。


「学園の支給予算だと、どうしても中級以下の魔力結晶しか回ってこないんです。だから試作が行き詰まってしまって……」

「そうか」


 ジグラットは腕を組んだ。


「もし俺が、その高純度結晶の調達ルートを持っていたらどうする」


 ミレイユの瞳が琥珀の奥で鋭く光る。


「……冗談ではなさそうですね」

「ああ。半年前から職人ギルドや商人ギルド、それに少しばかり裏側の物流とも繋いである。高純度結晶も条件さえ合えば入手可能だ」


 ミレイユは設計図を一度畳み、真正面からジグラットを見据えた。


「殿下。一つ伺ってもいいですか」

「何だ」

「殿下は【工学士】の職を持っている、という噂を耳にしました。それは本当ですか」

「ああ。基礎職をいくつかまとめ上げた結果だ」

「基礎職を、ですか……?」


 彼女はわからないとばかりに小首をかしげる。

 この世界の住人であればわからないのも当然の話だ。

 そしてそのアドバンテージを今ここで教えてやる義理も理由もない。

 ジグラットが黙していると、やがてミレイユは独りでにうなずきだした。


「それだけ幅広く取っておいて、工学士にまで至っている、と。それはまた――話が早そうです」


 ミレイユの表情が、明るくも鋭いものへと変わる。


「殿下の資材管理の方法、見せていただけますか。その代わり、私の技術を全部提供します」

「取引というわけか」

「協力関係です」


 ミレイユは迷いなく手を差し出した。


「私は技術者です。良い素材があれば、良いものが作れる。殿下が素材と環境を用意してくださるなら、私は殿下の望むものを、できる範囲で作ります」


 ジグラットは差し出された手を握った。


「契約成立だ」


 指先に伝わるのは、華奢な見た目に似合わない硬さ。

 工具と金属を相手にしてきた者の手だった。


(なかなか優秀そうな技術者を確保できたな……)


 彼は内心で静かにそう記す。


 ◇ ◇ ◇


 夕刻。

 ジグラットが第三学年の教室へ戻ろうとしたところで、廊下で数人の上級生に呼び止められた。


「第二王子殿下。少しお時間よろしいでしょうか」


 前に出てきたのは、堂々とした体格の男子生徒だ。

 短く刈り込んだ青い髪、真っ直ぐな背筋。

 腕には生徒会役員を示す腕章が巻かれている。


「何の用だ」

「私は生徒会副会長のダリウスと申します」


 ダリウスは形式的に礼をしながらも、その目つきはどこか鋭く、試すような光を含んでいた。


「殿下には、学園のルールをお守りいただきたく存じます」

「破ったつもりはないが」

「いえ、そういう意味ではなくてですね」


 ダリウスの背後から、細身の男子生徒がひょいと顔を出す。

 口元には少し意地の悪い笑みが浮かんでいた。


「要するにさ、王子の肩書で好き勝手しないでくれってことだよ」


 ジグラットは視線だけでそいつを射抜いた。


「威張った覚えはない」

「へえ。普段威張ってるやつにはその感覚がねえもんなんだなぁ。さすがルシアス様の成人式で剣を落としても、王族然としていられる第二王子殿下は言うことが違う」


 周囲にくすくすと笑い声が漏れる。

 あの時の失態は、既に学園でも笑い話として共有されているらしい。

 ジグラットは静かに息を吐いた。


(生徒会の“牽制”か。王族であっても、ここでは特別扱いしないという宣言をしに来たわけだ)


「忠告は聞いた。気を付けておこう」


 短く返し、ジグラットは彼らの間を抜けて教室へ入る。


 扉が閉まる音が廊下に響く。

 外で誰かが何かを言いかけたが、それを聞く気はなかった。


(名前と顔は覚えた。奴らに利用価値があるかどうかは、もう少し様子を見てからだな)


 ◇ ◇ ◇


 翌日。

 入学式後恒例の実技試験が行われた。


 戦闘、学力、技能。

 それぞれの分野で、生徒の現在の実力を測るための試験だ。


 王立学園の訓練場には簡易観覧席が設けられ、多くの生徒たちが他者の戦いぶりを見物している。

 ジグラットは控え室の片隅でその様子を眺めていた。


(目立ちすぎても、目立たなさすぎても面倒になるか)


 戦闘試験の番が回ってくる。

 訓練場の中央には、魔導人形が一体。

 人型の甲冑のようなそれは、内部に魔術回路を備え、一定以上の衝撃で停止するよう調整されている。

  

 試験官が淡々と説明する。


「この人形を倒してください。制限時間は三分間です」


 ジグラットは剣を抜き、静かに構えた。


 魔導人形が起動する。

 関節部分に埋め込まれた魔石が青く光り、ぎこちないが十分に速い動きで迫ってくる。


 一撃目。

 振り下ろされる腕を、ジグラットは半歩下がって受け流す。

 木剣の感触の代わりに、今度は冷たい金属の感触が腕に伝わった。


 二撃目、三撃目――

 人形の動きは単調だが、力は強い。


(受け流し Lv.2、盗賊の敏捷補正。それに、詠唱短縮)


 人形の動きにリズムを見つけた瞬間、ジグラットは距離を詰めた。

 右腕を斜めに叩き、軌道をずらす。

 そして空いた懐へ滑り込み、低い声で囁いた。


「火よ」


 掌の中に瞬間的に小さな火球が生まれる。

 それを人形の膝関節へ押し付けるように叩き込んだ。


 金属が一瞬で熱膨張し、内部の魔術回路がきしんでいく。

 そこへ、木剣を全力で叩き込んでやる。


 すると人形の膝関節が砕け、片膝をついた。

 バランスを崩したその頭部へ、そこから踏み込んでの一撃。


 魔石を守る装甲が凹み、青い光が一瞬だけ激しく瞬き――すぐに消えた。


 魔導人形はガクンと音を立てて沈黙する。

 試験官が記録用紙に何かを書き込みながら、淡々と告げた。


「合格。所要時間は一分三十秒だ」


 ジグラットは剣を鞘に戻し、短く頷いて控え室へ戻る。

 周囲からは「意外にやるな」という視線と「まあ王族だからその程度は」という冷めた視線が入り混じっていた。

 今はそれでいい。


(“戦えなくはないが突出しない”――そういう印象をここで作り上げておく)


 そうすれば後々、諜報や奇襲を仕掛ける時に、相手の油断として働いてくれるやもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 学園寮の自室に戻ったジグラットは、夜の窓辺に立っていた。

 窓の外には校庭が広がっている。

 街灯代わりの魔力灯がところどころに灯り、月光が石畳を淡く照らしていた。


 その静寂の中で――

 規則正しい音が、一つだけ微かに響いていた。


 シュッ、シュッ、と空気を切る音。

 剣を振る音だ。


 ジグラットは目を凝らす。

 校庭の隅に人影が一つ、黙々と剣を振っていた。


 茶色がかった髪。

 余計な装飾のない制服。

 アッシュだった。


 彼は誰に見せるでもなく、ただひたすらに素振りを繰り返している。

 肩で息をする気配すら見せない。

 一本一本の動きに、真摯な集中が宿っていた。


 ジグラットは窓枠に片手を置き、その姿を見下ろす。


(……勇者、か)


 転生前の画面の向こう側で、彼は「穏やかな努力家」として描かれていた。

 友を大切にし、正義を貫き、時に迷い、でも最後には正しい選択をする主人公。

 そしてエロゲーの主人公らしく、多くの女性陣に好意を向けられる者。


(こうして見ていると、ただの真面目なガキなんだがな)


 そう思いつつも、その真面目さがやがてとんでもない爆発力を生むことを、ジグラットは知っている。


 彼は机へ戻り、羊皮紙を広げた。

 簡易的に書き上げた学園内の地図と、人脈メモ。


 セラ=アルカン。武術科一年。森族。快活で真っ直ぐ。

 ミレイユ=ハーヴィス。工学科三年。優秀な技術者。協力関係締結。

 そして、新たな名前をそっと書き加える。


『アッシュ──平民出身/この世界の主人公』


 インクが乾く前に、ジグラットは羽ペンを置いた。

 もう一度だけ窓の外を見る。


 アッシュはまだ剣を振っている。

 月光と魔力灯の光を受けて、その影だけが長く地面に伸びていた。


(――お前の仲間も、運命も)


 ジグラットの深蒼の瞳が、静かに細められる。


(すべて塗り替えて、俺色に染めてやろう。勇者アッシュ……)


 ぱたりと窓を閉める。

 寮の部屋に静寂が戻った。


 明日から本格的な「駒の配置」が始まる。

 勇者の物語が進むより先に、悪役の手が盤面を整えていくこととなるだろう。

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