第4話「学園入学と新たな駒」前編

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841708890655


 春の風が王立学園の正門をくぐり抜けていった。


 白亜の校舎群が朝日を受け、淡く金を含んだ光を返す。

 門から続く石畳の広場には、色とりどりの制服を纏った生徒たちが群れていた。


 紋章だらけの仕立ての良い上着を着こなす貴族の令息令嬢。

 少し地味な布地ながら、胸元に推薦章を輝かせる商人の子弟。

 そして飾り気のない制服に身を包みながらも、肩に特待生バッジをつけた平民たち。


 様々な階層、様々な血統。

 それぞれの思惑と野心を抱えながら、この日を境に「学友」と呼ばれる関係になる。


 その喧噪の手前で、ジグラット=エルステリアは足を止めていた。


 白亜の校舎を見上げる。

 高い塔がいくつもそびえ、魔力の流路を示す紋様が外壁に刻まれている。

 魔導科の塔、騎士科の演習棟、工学科の実習棟、寮区──その全てが、彼の頭の中では既に「マップ」として配置済みだった。


(……あれから半年、か)


 リアーナの聖女の兆しを目の当たりにした日から、ジグラットは止まらずに動き続けてきた。


 表向きは「王子の外交見習い」として地方領地や研究施設の視察に赴き。

 裏では基礎職を片っ端から取得し、各分野の一流どころへ顔を売った。


 商人職とその派生職で物資調達と価格交渉の基礎を叩き込み。

 鍛冶師、魔導機工師としては工房に籠もり、手を動かしながら素材と加工の相性を身体で覚えた。

 情報収集系スキルを底上げし、貴族社会の裏物流ルートや職人ギルドにも小さな借りと貸しをばら撒いていく。


 視界の端に薄く半透明な文字が浮かぶ。


『上級職:工学士 就任条件達成済』


 ジグラットは制服の襟を指先でつまみ、形を整えた。


 黒地に金糸の縁取りが施された上級生用の制服。

 胸にはエルステリア王国の紋章。

 彼は第三学年への編入扱いだ。

 

 半年前──王宮で入学手続きを依頼した日のことをふと思い出す。

 書類の山を抱えた担当官が、困惑した顔で言葉を選んでいた。


『ジグラット殿下、本当に“来年”の入学でよろしいのですか? ルシアス殿下のご成人式の一件もございましたし、世間の目も厳しゅうございます。少しお時間を置かれてからの方が……例えば二年後などに』


 遠回しな配慮。

「問題児」の悪評が薄まるまで時間を稼ぎましょう、と言外に告げている。


 転生前の記憶を引き出してみても、その提案は原作通りのルートだったのだろう。

 ゲームのジグラットはそこで頷く。

 勇者アッシュが実績を積み、仲間を集め、第一学年でのイベントを進めきった後――

「敵対者」として最終学年である四年生へ編入の形で、学歴のためだけに学園に現れる。


 だが前世の記憶を持つジグラットは、その流れに逆らうように首を横に振った。


『構わない。来年の春に入学する』


 担当官が目に見えて固まったことを、少しだけ愉快に思ったのを覚えている。


(次の春でなきゃ意味がない)


 勇者候補が第一学年として入ってくる、まさにこのタイミング。

 物資ネットワークを作り、工学士の職までこぎつけた今なら――十分に“間に合う”。


(アッシュが仲間を集める前に、俺が先に接触する。勇者の物語が“始まる前に”、俺の都合のいい形に書き換える)


 ジグラットは視線を前に戻し、歩き出した。

 黒い上級生制服の少年が、王族の紋章を胸に広場を横切る。

 その姿に周囲の視線が一斉に吸い寄せられた。

 ささやき声が春の風に乗って彼の耳に届いてくる。


「……あれが第二王子か」

「問題児の王子だろ。使用人に無茶な命令を出して泣かせたとか」

「貴族の令嬢を人前で侮辱して、泣き崩れさせたって話も聞いたぞ」

「兄君や王女殿下と比べられて逆上したこともあるらしいじゃないか」

「学園でもああいう態度を取るつもりかね」

「ここじゃ王族も関係ないぞ。成績と影響力が全てだ。肩書きだけで――な、なんだよ、こっち見んなよっ」

「馬鹿、正面から喧嘩を売るな。相手は王族だ、下手に口を滑らせると学園だろうが家が飛ぶかもしれないぞ」


 ジグラットは表情を一つも動かさず、石畳を踏みしめ続ける。


 悪評は見事に定着していた。

 むしろこの半年でより濃く熟成していると言っていい。


 だが――構わない。

 その評判は「元のジグラット」が積み上げてきたものだ。

 今の彼にとっては、それすらも利用すべき“前提条件”の一つに過ぎなかった。


 ◇ ◇ ◇


 入学式は学園の大講堂で執り行われた。


 高い天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、多数の魔力灯を閉じ込めて煌めいている。

 壁には歴代の優秀な卒業生たちの肖像画がずらりと並び、魔導士や騎士、宰相や聖職者など、様々な「栄光」が油絵の中からこちらを見下ろしていた。


 上級生席の端にジグラットは腰を下ろしている。

 王族とはいえ「問題児」。

 席順はそれとなく、中央から一枚分だけ外へずらされている。


 壇上では学園長が淡々と祝辞を述べていた。

 老齢の魔導士である彼の白髭が、言葉に合わせて揺れる。


 教官の紹介、生徒代表の挨拶――

 退屈な形式が続く中、ジグラットの意識は別の場所に向けられていた。


 彼は新入生席を眺める。

 貴族子弟、商人の子、特待生。

 その中に――ひときわ目を引く、しかし派手さとは無縁の少年がいた。


 第一学年の最前列。

 平民出身の特待生として、中央寄りに席を与えられた少年。


 茶色がかった短髪は光の加減で柔らかな栗色に見える。

 大きすぎない目元には真面目そうな影が宿り、口元にはやや不器用な硬さがある。


 姿勢は、まっすぐ。

 背筋を伸ばし、式次第の一言一句を聞き漏らさないようにしているようだった。

 深い緑の瞳には、緊張と、それを上回る決意の光がある。


 質素な制服を纏っている。

 飾りと呼べるものは胸の特待生バッジ一つだけ。

 それでもなぜか周囲の視線や空気が、彼の周りに集まり、まとわりついているように見えた。


(……アッシュ)


 平民出身の特待生。

 そして、勇者候補。


 転生前の画面越しに何度も見た、その名前と顔。

 ジグラットの喉の奥で、笑いとも吐息ともつかないものが小さく揺れた。


(これが、世界を救う存在。俺の破滅ルートで、最後に剣を突き立ててくる“勇者”)


 拳が、膝の上で知らず知らず強く握りしめられていた。


 学園で仲間を集め、女神の加護を得て、聖女リアーナと共に十三使徒を討ち――

 ハッピーエンドへ突き進む、その王道のシナリオを突き進む男。


(……この、順風満帆な物語を)


 唇の裏側を軽く噛む。


(俺が書き換える)


 ◇ ◇ ◇


 式が終わると、生徒たちはそれぞれの新しい教室へ散っていった。


 石造りの廊下には大勢の足音が反響している。

 窓から差し込む光がタイル張りの床に幾何学模様の影を落とし、歩くたびにそれが揺れて形を変える。


 ジグラットは自分の所属する第三学年の教室へ向かう途中だった。

 その時、前方から聞き覚えのある声が聞こえた。


「リアーナ様、お久しぶりです」


 足を止める。

 視線だけを向けるのではなく、柱の陰へ自然な動作で身を寄せた。


 廊下の少し先。

 二人分の人影が、窓からの光に浮かび上がる。


 一人は、月光を固めたようなプラチナブロンドの髪。

 純白の制服に金の装飾、胸元には聖女候補を示す紋章。

 リアーナ=エルステリア。


 もう一人は――さきほど講堂で見た、あの茶髪の少年。

 アッシュだった。


「……アッシュ様」


 リアーナの声は、ジグラットに向けるときより幾分柔らかい。


「昨年の聖堂での儀式以来ですね」

「はい。あの時は、その……リアーナ様の祈りに、すごく感動しました」


 アッシュは礼儀正しく一礼する。

 その動きにはぎこちなさが残るが、取り繕った媚びではなく、心からの敬意が滲んでいた。


「学園でまたお会いできて、光栄です」


 リアーナの表情がわずかに和らぐ。

 その微かな変化だけで――

 ジグラットの胸の奥に、鋭く鈍い痛みが走った。


(ここから、二人の物語が始まる)


 原作のゲームでは、ここから勇者と聖女のイベントが連鎖していく。

 互いに力を貸し合い、支え合いながら世界の敵に立ち向かう「理想の絆」。


 だが今、その最初の一歩を、ジグラットは廊下の陰から“第三者”として見ている。


(……いや、違う)


 自分で脳内の字幕を塗りつぶす。


(歴史は俺自身が変えるんだ)


 彼は柱の陰から歩み出た。


「リアーナ」


 ジグラットの呼びかけに、妹の肩がぴくりと強張る。


 リアーナは振り返り、兄を視界に収めた。

 その瞳は一瞬だけ驚きに揺れ――すぐに、いつもの冷えた光に戻る。


「……ジグラット兄様」


 アッシュはジグラットの姿を見た瞬間、息を呑んだようだった。

 王族の紋章と制服に気づき、慌てて深く頭を下げる。


「第二王子殿下。初めてお目にかかります。アッシュと申します」

「ああ。特待生だと聞いている」


 ジグラットは淡々と答え、アッシュを値踏みするように一瞥すると、すぐに視線をリアーナへ戻した。


「入学式、お疲れ様」

「……お気遣いなく」


 返ってきたのは、冷ややかに整えられた一言だけ。

 リアーナは軽く礼をして、すぐに踵を返した。


「失礼します。アッシュ様、また後ほど」


 白い裾が翻り、プラチナブロンドの髪が光を弾く。

 その背中はジグラットを視界に入れないまま、廊下の奥へと遠ざかっていった。


 アッシュは困惑を隠しきれない表情で、ジグラットを見上げる。


「……何か、失礼なことをしてしまったのでしょうか」

「いや、気にするな」


 ジグラットは軽く手を振った。


「これは兄妹の問題だ」


 それ以上、何も説明しない。

 アッシュが問いを重ねる前に、ジグラットはその場を離れた。


 ◇ ◇ ◇


 昼休みを迎え、ジグラットは購買部へと向かっていた。

 白壁の建物の裏手には小さな広場がある。

 木製のベンチと石造りのテーブルがいくつか設置され、生徒たちが昼食を広げたり、おしゃべりに興じたりしていた。

 そんな和やかな空気の片隅で、小さな揉め事を彼は目にする。


「返せよ、それ俺が先に買おうとしてたんだ!」

「先に手に取ったのはこっちだ。お前がもたもたしてるから悪いんだろ」


 下級生らしき二人の少年が、薄い冊子を奪い合っていた。

 表紙には「初級剣術の実践」と書かれている。

 人気の課外テキストらしく、これが最後の一冊なのだろう。


 その横で、長い翠緑の髪を揺らす少女が困ったように眉を寄せていた。


 森の木漏れ日をそのまま閉じ込めたような緑の髪が、春の陽光を受けてやわらかく揺れている。

 翡翠色の瞳は澄み、感情がころころと表に出るタイプだと一目でわかる。

 耳はきゅっと尖っており、髪の隙間から覗くその形が森族の血を示していた。


 深緑と白を基調とした武術科の制服を着ている。

 身体に密着しすぎない軽装で、その上に光沢の少ない革製の胸当て。

 背には弓、腰には訓練用の剣。

 すらりとした体躯には、弓兵特有のしなやかな筋肉の線が浮かんでいる。


「ちょっと、二人とも落ち着いて。そんなに喧嘩するくらいなら、図書館で順番待ちした方が──」

「うるさいな。お前には関係ないだろ!」


 一人が、苛立ち紛れに少女の肩を押しのけようとした。

 少女はバランスを崩し、後ろへ倒れかける。


 その瞬間――

 横を通りかかったジグラットの手が、自然な早さで伸びていた。


 細い手首を掴み、引き寄せる。

 倒れる勢いをそのまま自分の身体で受け止めるように、半歩前へ出た。


「……っ」


 少女の背中と、ジグラットの胸が軽くぶつかる。

 驚いて振り返った翡翠色の瞳が、すぐ近くにある深蒼の瞳とぶつかった。


「悪い。立てるか」

「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます」


 少女は慌てて体勢を整え、ぺこりと頭を下げた。

 ジグラットは彼女から手を離し、今度は奪い合っている二人へ視線を向ける。


「その本、図書館の蔵書か?」


 二人の少年は王族の制服と紋章に気づいた瞬間、顔色を変えた。


「も、申し訳ございません、殿下……!」

「ぼ、僕たちは、その……」

「謝罪はいらない」


 ジグラットの声は低く静かだったが、有無を言わせない調子を纏っていた。


「図書館に同じ本があるならそちらを使え。ないなら、片方が写本でも頼め。……くだらないことで周囲の迷惑になるな」


 短く告げる。

 二人は何度も頭を下げ、問題の本を抱えて走り去っていった。


 ジグラットは肩越しに彼らの背中を一瞥し、その場に残った少女へ視線を戻す。


「怪我はないか」

「あ、はい。助かりました」


 少女はぱっと笑顔を浮かべ、胸に手を当てて一礼する。


「私、セラ=アルカンと言います。武術科の第一学年です」

「ジグラット=エルステリアだ」

「存じ上げています。第二王子殿下ですよね」


 名前を口にする時の彼女の表情には、恐れも媚びもなかった。

 そこにあるのは純粋な好奇心と、「珍しいものを見た」という無邪気さだけ。


「殿下って、意外と優しいんですね。噂ではもっと怖い人だって聞いてたんですけど」

「そうか」


 ジグラットはそれ以上説明する気もなく、短く言い捨てて購買部の方へ歩き出した。

 セラは「わっ」と小さく声を上げ、慌てて後を追う。


「あの、もしよければお礼をさせてください。何かご飯でも奢りますよ」

「必要ない」

「えー、それじゃ私の気が済まないです。あ、じゃあ今度、狩りで取ってきた美味しいキノコの話を聞かせます。美味しい煮込みのレシピとかも」

「……食い物の話しかないのか、お前は」


 思わず突っ込むと、セラは嬉しそうに笑った。


「ばれました? 私、食べるの大好きなんです。だからとでも言いますか、鍛えてないとすぐ太っちゃうし……」


 ジグラットはふと足を止め、彼女を見下ろす。


(単純で、真っ直ぐ。距離感を詰めるのも早い)


 それはつまり、利用価値のある性格とも言える。


「では、一つだけ聞きたい」

「はい、なんでもどうぞ」

「学園内の物資流通について、何か知っているか」

「物資流通……?」


 セラは首を傾げ、しばし考え込む。


「えっと……購買部の裏に倉庫があって、週に二回商人さんが納品に来るって聞きましたけど。あとは、武術科の訓練器具は別の鍛冶屋さんが納めてるとか、食堂の食材は毎朝、近くの農家さんが直接運んでるとか」

「その程度でもいい。十分だ」


 ジグラットは頷いた。


 日々現場で動いている者ほど、公式資料には載らない“小さな事情”を知っている。

 こういう断片情報の積み重ねが、やがて大きなネットワークの全体像を形作る。


「ありがとう。助かった」

「いえいえ。また何かあったら聞いてください。王子様でも、学園のことならきっと私の方が詳しいですから」

「お前も入ったばかりなのにか?」

「え? それはまあ……えへへ」


 セラは誤魔化すように笑い、別れの言葉を述べてそのまま購買部へと駆け込んでいった。

 ジグラットはその背中を目で追う。


(アッシュの同級生。原作では、彼の最初の仲間の一人)


 だが今はまだ、彼女とアッシュの関係は始まっていない。

 この段階で「別の縁」を先に作っておけば――そこから先の分岐はいくらでも作れそうだ。

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