触れられた場所
神夜紗希
触れられた場所
【第一章】
目的地だと思って車を停めたとき、私はすぐに違和感を覚えた。
ナビは『目的地に到着した』と言っている。
だが、目の前に広がっている光景は、事前に調べていた情報よりもずっと古い集落だった。
家はある。
道もある。
人もいる。
ただ、静かすぎた。
本当に人が暮らしている村なのだろうか。
車を降りて辺りを見渡していると、どこからともなく視線が集まる。
縁側、玄関先、家と家の隙間。
そこにいるのは、老人ばかりだった。
目に入る限り人数は少なくない。
だが誰一人として、こちらに近づいてこない。
立ったまま、座ったまま、ただ見ている。
ここが目的地ならば、あの人達との交流は免れないであろう。
意を決して近付いていく事にした。
「すみません」
声をかけると、いちばん近くにいた老婆がゆっくりと顔を上げた。
「はいはい」
穏やかな声だった。
「この辺に、お寺はありませんか。住職さんがいるはずなんですが」
老人は少し考えるように視線を動かし、
やがて、皺の深い指で道の先を指さした。
「川のほうだよ。」
「川……ですか?」
「あぁ。まっすぐ行けば見える。」
老婆に頭を下げてから歩き出す。
顔を上げる瞬間、老婆の顔が目に入る。
黒目部分は夜のように深い黒で、光がない。
背筋がゾッとした。
踵を返し早歩きでその場を立ち去る。
背中に視線が残っているのが分かった。
少し進むと、また別の老婆が立っていた。
村に着いた時より人数が増えている気がする。
「…すみません。お寺を探しているんですが…。」
今度の老婆は、すぐには答えなかった。
しばらく私の顔を見つめ、隣にいる老爺と目を合わせた後短く言った。
「……川の向こう」
それだけ言うと、黙り込んでしまった。
そして、老爺と2人でジッと見つめてくる。
先程の老婆と同じ、光のない黒い目で。
私はそそくさと川の方へ足を向けた。
川に向かって集落を進んでも進んでも、寺らしい建物は見当たらない。
代わりに、老人の数が増えていく。
老婆や老爺が、あちこちに立っているのが分かる。
最初は軽く挨拶や会釈をしていたが、
誰も口を開く事なく、真っ黒の瞳で
視線だけを向けている。
もう、誰にも声を掛ける気にならない。
歩けば歩くほど、老人がわらわらと増えていく。
耳に聞こえてくる言葉は全て同じ言葉だった。
「川のほう」
真実か偽りかは分からない。
ただ、信じて向かうしかない。
不安な気持ちを振り払うように
空を見上げると、太陽が山の端に近づいている。
影が伸び、足元が冷え始めた。
――ここじゃない。
はっきりと、そう思った。
本来の引っ越し先は、
友人の叔父が住職を務める寺のそばだ。
人手が足りないからと頼まれ、短期で寺に住み込みバイトをする事にしたのだ。
この村に、寺はない。
私は車に乗る為に引き返そうとした。
その瞬間、
ガシッ…
左腕を、誰かに掴まれた。
驚いて振り向くと、
白く、皺だらけの老婆の手が、私の腕に食い込んでいる。
「……あ」
声を上げるより先に、力が入った。
老婆の手は細いのに、妙に離れない。
不安が恐怖に塗り変わりパニックになる。
「うわぁぁぁぁっ!」
叫びながら、がむしゃらに腕を振る。
老婆の爪が当たり、皮膚が引きつれた。
手が離れた瞬間、私は走り出していた。
老人たちは追ってこない。
ただ、並んで立ち、全員こちらを見ている。
その視線を背中に受けながら、
私は川の音を頼りに走った。
視界の先に、橋が見える。
あれを渡れば、
きっと本来の場所に戻れる。
そう思った瞬間、
川の向こう側から、怒声が飛んできた。
「入るなーーーー!」
足が、止まった。
【第二章】
「入るなーーーー!」
怒声が、背中ではなく正面から叩きつけられた。
川の向こうから飛んできた声に、私は反射的に立ち止まった。
声は一人分だった。
だが、山に反響して、何人もの声のように聞こえる。
その声が一帯に響き渡ると同時に、先程まで感じていた視線が消えた。
橋の向こう側に、人影が見える。
夕闇の中、こちらへ向かって駆けてくる影が、
三つ、四つ。
先頭に立つ男は、袈裟をまとっていた。
私は安心から体中の力が抜けてしまい、思わずその場にヘナヘナとへたり込んだ。
しかし、その動きに対しても、橋を渡ってくる人物は強く言い放つ。
「止まれ! そこから動くな!」
男は息を切らしながら叫んだ。
橋を渡りきり、私の目の前に立ちはだかる男達を見上げた。
一番先頭に立つ袈裟をまとう住職の顔に、私ははっきりと覚えがあった。
「……おじさん?」
ここに来る前に友人から聞いていた、住職の顔に、間違いない。
この男性こそ、探していた友人の叔父だ。
住職の後ろには、三人の坊主が立っていた。
頭を剃り、粗末な衣を着た坊主たちだが、日が暮れて表情がよく見えない。
彼らは私を囲むように立った。
その動きに、迷いはない。
「……遅かったか」
住職は私の腕の方に目をやり、低く呟いた。
視線の先には、さきほど掴まれた左腕がある。
皮膚には、赤く指の跡が残っていた。
「もう触られている。」
その言葉に、胸が冷えた。
不安と恐怖が一気に押し寄せる。
「な、何の話ですか……?」
声を震わせながら何とか絞り出した。
それに答える代わりに、住職は目を閉じた。
軽く動かした手には大きな鉈を握っていた。
理解が追いつく前に、
坊主の一人が、布切れを私の口に押し込んだ。
「ん゛っ――!」
声が、塞がれる。
別の二人が、左右から私の体を押さえつけた。
三人の男の力には抗えない。
逃げられない。
住職は鉈を地面に立て、静かに手を合わせた。
目を閉じたまま、低い声で経を唱え始める。
その声は力強く、空気一帯に広がっていく。
私の耳元で、坊主の一人が囁いた。
「……腕一本で良かったな」
何が起きるのか分かってしまった。
私は必死に首を振り、喉を鳴らした。
声は出せない。汗と涙と涎が混ざる。
だが、誰も止めない。
鉈が持ち上げられる。
――ここで終わるのか。
そう思った瞬間、
強烈な衝撃と共に、意識が白く弾けた。
【最終章】
目を覚ましたのは、三日後だった。
畳の匂いが鼻をくすぐる。
天井は低く、薄暗い部屋だ。
だが嫌な気配はない。
時刻は分からないが、開ききった襖の向こうからは朝の気配がする。
体を起こそうとして、痛みが全身を走る。
「…ぐっ…!」
私は気づいた。
左腕が、ない。
悲鳴を上げようとしたが、声が出なかった。
喉が、干からびている。
視線を動かすと、部屋の隅に三人の坊主が座っていた。
彼らの姿を見て、息を呑んだ。
一人は、足がなかった。
一人は、手首から先がなかった。
一人は、耳と片腕を失っていた。
彼らは静かに、こちらを見ている。
その目は慈悲に満ちていた。
――この人たちは、私を押さえつけた人達だ。
あの夜は暗くて見えなかったが、間違いない。
恐怖よりも理解が追い付いた今、
この状況を、何がどうなっているのか、
問いかけようと口を開いた…その時。
背後から気配を感じた。
「目が覚めたようだな…」
この低い声、あの夜に聞いた声だ。
振り返るとそこに立っていたのは、友人の叔父と聞いていた住職だった。
私はまた、言葉を失った。
乾きからではなく、視覚からの影響だ。
彼の顔には、両目がなかった。
空洞になった眼窩が、こちらを向いている。
「……間に合って、良かった。もう大丈夫。」
住職は優しくそう言った。
その声に、嘘や偽りはなかった。
その言葉で、私は意味を悟ってしまった。
こちらを静かに見ていた坊主達が
一人ずつゆっくり口を開いた。
「あの村で触れられた者には奴らが憑く。」
「そして、触れられた者がこの川を越えれば――こちら側にも、奴らが入り込める。」
「だから、切り落とす。」
触られた場所を。
自分たちの体を削ってでも。
川のこちら側の人間を守るために。
住職は、ゆっくりと頭を下げた。
「……すまない。」
そう言って、顔を上げてこっちを見る住職。
目玉があるはずの空洞が、
その低く優しく発せられる言葉が、
何よりも恐ろしかった。
私はもう、ここから出る事はできないのだと…
悟っていた。
触れられた場所 神夜紗希 @kami_night
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