第3話 青い瓦屋根の家
建設現場から二十メートルも離れていない。
青い瓦屋根の二階建ての家がある。手入れされていない生垣に囲まれている。
その瓦はところどころ抜け落ち、モルタルの壁は薄墨を塗ったように汚れている。
下の階には夏の強い日差しを避けるために葦簀(よしず)が立てかけられており、その葦簀から薄っすらと濡れ縁が透けて見えている。その古びた家こそ、十五年もの間、一度も帰っていない恭太の家だった。
そして隣の小さな三階建ての煤(すす)けたビル。
遠目からでも、壁にいくつもの亀裂が走っているのがわかる。昔は活気があったが、今では会社の看板も外され、空きビルとなっている。そこで何年か前までは、恭太の親父が土建業を営んでいた。
鉄骨の西側で青い瓦屋根を見下ろしていると、それを鷲崎さんに見られた。鷲崎さんは常に周りの鳶たちの動きに気を配っている。
小柄だが引き締まった体形をしている。
鷲崎さんは、周りのどの鳶よりも安定した動きで、スルスルと細い鉄骨の上をこちらに歩いてくる。
黒く、日に焼けたその額には、屋外で働く職人特有の深い皺が刻まれていた。
隣に立つと、恭太より肩の高さが十センチほど低い。
「おい、恭太。気になるか?」
恭太は鷲崎さんの方へ体を向ける。
「いいえ……、そんなことはありません」
気まずかった。言葉を濁した。
隣まで来ると、鷲崎さんは並んで下界を見る。
「お前が飛び出した家があんだろう? あの青い瓦屋根か」
たぶん、今の恭太以上に、鷲崎さんは恭太の家の事情を知っている。
返事をしないでいると、
「一度、顔を見せるのもいい……」
と、ひとり言のように言う。
しばらく二人で町を見下ろした。
鷲崎さんが、
「古い家が多い地域だな」
とつぶやいた。
恭太がそれに答える。
「そうっすね。瓦屋根を見るだけでわかります。色あせて、ところどころ欠け落ちているところもあります。家が古くなっても補修する金がないのか、もうこんな古い家に手をかけることもないと思っているのか、放りっぱなしです。年寄りばかりが住んでいるのでしょう」
鷲崎さんは暫く黙ったあとに、
「フム……」
と、相槌ともつぶやきともつかない一言を残して、その場を離れた。
その後ろ姿を見ながら、まずいことを言ったかな、と思った。
町を年寄り呼ばわりしてしまったが、鷲崎さんも六十歳になる。年寄りといえば年寄りだ。
話す相手によって言葉は選ぶものだ。恭太もそのぐらいの分別を持つようになっていた。
一人になると、汗で染み込んだ左腕の袖をめくった。
細く長い、トカゲの大きさほどの赤い痣(あざ)が手首から少し上の前腕に残っている。恭太にとっての黒歴史だ。
眼下の青い瓦屋根の家には幼いころの記憶があった。
恭太の生まれ育ったその家には、生まれる前からサダさんという男が同居していた。戦後、親父が土建業を立ち上げたころから行動を共にしていた。
少し背が丸まっていて、歳の割に老けて見え、控えめな性格だった。金銭欲も色欲もなく、所帯を持たなかったので、親父の家の隅っこに部屋を一つもらい、従業員兼家政夫として暮らしていた。
いつも親父のために動いていた。
敗戦後の焼け跡で、ねぐらも職もなく路頭に迷っていたところを、親父に拾われたと聞く。親父に助けられたことに恩を感じていたのだろう。
恭太が知っているころには、すでにかなりの歳であったので、今はもう生きてはいないだろう。
( 続く )
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焼ける鉄骨 揺らぐ足場 MAHITO @mahitok
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