第2話 SSRの副作用は、美少女からの餌付けでした

翌朝。俺、相沢湊(あいざわみなと)は、いつも通り教室の「背景」の一部として登校した。

定位置は廊下側の最前列。教卓の影になる死角の席だ。ここに座ってスマホをいじっていれば、教師からもクラスメイトからも認識されない。完璧なステルス性能だ。


だが。今日は、何かが違った。


(……なんだ、この視線は)


俺はスマホの画面を見つめたまま、眉をひそめた。背中が痒い。まるで、高性能な監視カメラにロックオンされているような感覚だ。

チラリ、と視線だけで教室の後方を確認する。


そこには、いつものように取り巻きに囲まれた『学園のアイドル』、天道玲奈(てんどうれな)がいた。昨日の今日だが、体調は万全のようだ。肌はツヤツヤで、オーラが3割増しくらいに輝いている。

俺のあげた【SSR:女神の口づけ(キャンディ)】の効果だろう。


(よしよし、筐体のメンテナンスは成功だな。今日も元気で何よりだ)


俺は安堵する。彼女が元気なら、今日の放課後も安定してガチャが回せる。

そう思って視線を戻そうとした、その時だった。


バチッ。


天道さんと、目が合った。いや、目が合ったなんてもんじゃない。

彼女は談笑しているフリをして、完全にこっちを凝視していた。

俺と目が合った瞬間。彼女の頬が、ボッ! と音が出そうなくらい赤く染まる。そして、とろけるような聖母の微笑みを向けてきたのだ。


(は……?)


教室の空気が凍る。周囲の男子たちが、ざわめき始めた。


「おい見ろよ、今の天道さんの笑顔……」

「やべぇ、破壊力高すぎだろ。誰見てたんだ?」

「角度的に俺じゃね?」

「いや俺だろ」


違う。お前らじゃない。完全に俺だ。


(やめろ! こっち見るな!)


俺は心の中で絶叫した。モブが目立つなんて死活問題だ。昨日の「飴代」を請求するつもりか? それとも「変な薬を盛られた」とか言って訴える気か?

俺は慌てて視線を逸らし、教科書を立ててバリケードを作った。頼むから関わらないでくれ。俺はただ、君の半径2メートル以内で発生するログボが欲しいだけなんだ。


   ***


そんな俺の願いは、昼休みに粉砕された。


チャイムが鳴ると同時に、俺は購買へダッシュしようとした。今日の昼飯は100円の菓子パンだ。資産形成(貯金)のため、食費は極限まで切り詰めている。


「――相沢くん」


逃げようとした俺の前に、立ち塞がる影があった。教室が静まり返る。

天道玲奈だ。手には、風呂敷に包まれた何かを持っている。


「……何か用ですか、天道さん」


俺は極力、他人行儀な敬語を使った。クラスメイトたちが聞き耳を立てているのが分かる。生徒会長の西園寺レオが「なんだなんだ?」とこちらを睨んでいるのも見える。

天道さんは、少しモジモジしてから、意を決したようにその包みを差し出した。


「これ……よかったら、食べて」

「は?」

「昨日の……お礼。作りすぎちゃったから」


作りすぎた? 俺は渡された物体を見た。

それは、重箱のような立派な弁当箱だった。漆塗りだ。どう見ても「作りすぎた」レベルの代物ではない。


「いや、受け取れません。俺なんかが……」

「余り物だから! 捨てちゃうのも勿体ないし、食べてくれないと困るの!」


天道さんが、潤んだ瞳で訴えてくる。その迫力に押され、俺は思わず受け取ってしまった。

ズシリと重い。漂ってくる匂いだけで分かる。これは、ガチで高いやつだ。


(……待てよ?)


俺の脳内で、電卓が高速で弾かれる。

今日の昼飯代、100円。この弁当の推定価格、3000円以上。これを受け取れば、100円が浮く上に、極上の栄養素が摂取できる。


つまり、爆益(アド)だ。


俺の表情筋が緩むのを、必死でこらえる。昨日の飴ひとつ(原価ゼロ)が、高級弁当に化けた。わらしべ長者もびっくりだ。


「……そうですか。SDGs的に捨てるのはよくないですね」


俺はもっともらしい理由をつけて、弁当を抱え込んだ。


「ありがとうございます。いただきます」

「……っ! う、うん……!」


天道さんが、パァァァッと花が咲くように破顔した。そのあまりの可愛さに、クラス中の男子が「ぐはっ」とダメージを受けている。

だが俺は知っている。彼女は今、「ゴミ処理を押し付けられて喜んでいる」だけだ。やっぱり良い人だな、天道さんは。


俺はホクホク顔で弁当を持ち、自分の席に戻った。背後から、親友(番犬)の御神楽エリカの殺気が突き刺さっていることには、気づかないフリをした。


   ***


(天道玲奈の視点)


自分の席に戻った私は、心臓が爆発しそうだった。


(受け取ってくれた……!)


机の下で、拳を握りしめる。

あれは「余り物」なんかじゃない。昨日の夜、我が家の専属シェフに頭を下げて作り方を教わり、朝4時に起きて私が作った特製弁当だ。指には包丁で切った絆創膏が貼ってあるけれど、そんな痛みはどうでもいい。


彼は、私の手料理を受け取ってくれた。男性が女性の手料理を受け取る。それはつまり、胃袋を掴まれることを許可したということ。


「……実質、プロポーズ成立よね?」

「玲奈、何か言った?」


隣のエリカが怪訝な顔をしているけれど、聞こえない。相沢くんが、私の作った卵焼きを口に運んでいる。無表情だけど、箸が止まっていない。

美味しいのかな。口に合うかな。


昨日、彼がくれた魔法の飴。あの甘さに比べれば、私の料理なんて未熟かもしれない。でも、少しでも彼の力になりたい。私の身体を治してくれた彼に、今度は私が栄養をあげたい。


相沢くん。あなたは隠しているつもりかもしれないけれど、私には分かるわ。あのお弁当を受け取った時の、一瞬の真剣な眼差し。あれは「SDGs」なんて建前じゃなくて、私の想いを受け止める覚悟の顔だった。


「……好き」


小さく呟く。誰にも聞こえない声で。今日の放課後も、彼に会えるだろうか。


   ***


昼休み終了後。俺は至福の満腹感と共に、午後の作戦を練っていた。

弁当は最高だった。特に和牛のしぐれ煮が絶品だった。明日も余らないかな。


さて、問題は放課後だ。今日の放課後、天道さんは図書委員の当番がある。そして俺の『観察眼』によれば、彼女は真面目なので当番開始の10分前には図書室へ行くはずだ。

図書室。それは、本棚という遮蔽物が無数にある、絶好のログボ回収フィールド。


(先回りだ)


俺はホームルームが終わると同時に教室を飛び出した。掃除当番? 悪いが俺は忙しい。

図書室に到着。まだ誰もいない。俺は一番奥の、天道さんがよく座るカウンター席の近くにある本棚の影に陣取った。

ここなら死角だ。彼女が座れば、壁越しに半径1.5メートルをキープできる。


待つこと5分。ガララ、と扉が開く音がした。


『ピン! 対象を確認』


システムが反応する。入ってきたのは、予想通り天道さんだ。彼女は誰もいない図書室を見渡し、少し残念そうな顔をした後、カウンター席に座って日誌を書き始めた。


『距離……3メートル……2メートル……』

『ログボ圏内に入りました』


よし。俺は本棚の裏でガッツポーズをする。


『本日のボーナスを排出します』

『レアリティ……SR!』


お、今日はSRか。天道さんのストレス値はそこまで高くないらしい。弁当作りで発散されたのか? 俺の手元に、革製の靴が現れた。


【SR:静寂のローファー】

効果:足音を完全に消す。気配遮断補正(中)。

説明文:『しのびあしがじょうずになるよ! どろぼうさんみたい!』


(……泥棒扱いかよ)


相変わらず説明文が酷いが、効果はありがたい。俺はさっそく上履きからこのローファーに履き替えた。その場で足踏みしてみる。

……無音だ。全力で床を踏み鳴らしても、音がしない。


(これなら、もっと近づけるな)


欲が出た。壁越しではなく、本棚の隙間から直接目視できる位置まで移動しよう。

俺は音もなく移動を開始した。天道さんの背後、距離1メートル。彼女は日誌に集中していて気づかない。


完璧だ。俺は本棚の影から、彼女の後頭部を眺めながらほくそ笑む。最高のポジショニング。これでしばらく経験値稼ぎ放題――。


「……そこにいるのね?」


突然、天道さんが呟いた。俺は心臓が止まりかけた。


(バレた!? 足音は消しているはずなのに!)


彼女は振り返らない。背中を向けたまま、愛おしげに語りかける。


「気配がないのに、分かるの。……あなたが近くにいると、空気が優しくなるから」


(いや、空気清浄機のアイテムは使ってないぞ?)


「出てこなくていいわ。……私の邪魔をしないように、隠れて護ってくれているんでしょ?」


彼女の声は、確信に満ちていた。


「ありがとう、私の騎士(ナイト)様。……背中は、あなたに預けるわ」


天道さんはそう言って、再び日誌に向き直った。その口元が、幸せそうに緩んでいる。 ……。…………。

俺は額の汗を拭った。


どうやら彼女の中では、俺は「ストーカー」ではなく「透明人間の護衛」として処理されたらしい。ポジティブすぎるだろ、天道玲奈。 まあいい。お墨付き(?)を貰ったなら、堂々と張り付かせてもらおう。

俺は【静寂のローファー】を履いた足で、さらに一歩、彼女の背後に近づいた。


俺は知らない。彼女が日誌の隅に、小さく『Minato Love』と書き殴っていることに。

そして、図書室の入り口から、親友の御神楽エリカが鬼のような形相でこちらを覗いていることに。


『通知:トラブル接近中。面白くなってきました』


システムが、楽しそうにログを流した。ふざけるな。俺の平穏を返せ。

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