第4話 色褪せたマリーゴールド

 ロズモンド子爵邸に到着すると、いつもの応接室に通される。

 子爵とエリシアが来るから待っているよう告げられ、イザベル嬢ではないことに驚いた。

 正式に引き継ぎが行われるのかもしれない。

 いや、エリシアが依頼主で──

 理由はいくらでも見つかってしまい、少し落ち込む。

 応接室には幼い頃のエリシアの写真や、家族の記念写真が飾られており、彼女が両親から惜しみない愛情を受けて育ったことがよく分かる。

 そんな彼女の隣に、俺なんかが選ばれていいはずが……そこまで考えかけたとき。

「お嬢様っ……」

 潜めるような小さな声で、しかし緊迫した女性の声がした……気がした。

 そしてそれは、クララの声に聞こえた。

 護衛騎士という仕事柄か、俺は勘が鋭い。鼻が利く、とも言うのかもしれない。

 何もなければそれでいいのだ。

 どうして応接室で待っていないのかと咎められれば、正直に女性の悲鳴が聞こえた気がしただけで、聞き間違いでした。護衛騎士ごっこもやめ時なのかもしれません、なんて笑えばいいだけだ。

 俺は、クララらしき女性の声が聞こえた方向へ、歩みを進めた。


 応接室を出て左。突き当たりの階段を上って二階の廊下に出る。

 普段通りを装いながら、それでも動揺が滲む、クララの横顔が見えた。

 何の部屋の前か、扉を開けて中に向かって何事か話しかけている。

 クララは俺に気付いたようであったが、その部屋の中の人物から目を逸らそうとしない。

「クララさん、どうか──」

 しましたか、という続きの言葉は声にならなかった。


 個室というには狭い、小さな部屋だった。

 おそらく身支度用の更衣室として使われているのだろう。

 部屋の片隅には小ぶりながらセンスの良いドレッサー。

 ワードローブには見覚えのあるドレスがいくつか収納されていて。

 そして、洋服掛けにきちんと並べられたドレスの間に、小さな彼女はいた。

 シーツか何かだと思われる長い布を、束ねて輪にして、まるでそう、ロープを洋服掛けに吊るそうと──

「エリシア嬢」

 咄嗟に呼びかけていた。

「お嬢様、クララはずっと、お嬢様の味方ですから」

 クララはずっと、エリシアに声をかけ続けていた。


 お嬢様は不要な人間などではありません。

 旦那様も奥様もイザベル様もこの私だって、お嬢様がいらっしゃらなければ今のような生活はできておりません。

 婚約がなくなってしまってもお嬢様の相手となる男性は、それこそ星の数よりいます。


「……そう、かな……」

 小さく開けられた口からは、弱々しい声が溢れる。

 無理やりに口角を上げているときの笑顔だと、分かった。

 クララの心からの言葉も、エリシアには届いているのかどうかすら分からない。

 視線はクララに向いているものの、その目には生気が感じられず、ガラス玉のように鈍い色を返すだけだ。


「っ、お嬢様。カイル様がお見えになりましたよ」

 エリシアの視線が、クララからゆっくりと俺に移る。

「今日はどんな髪型にしましょう」

 必死の思いで普段通りに振る舞うクララの言葉で、エリシアの思考が少し戻ってきたのだろうか。

「カイル……? どうして……何か私に用事でも?」

 いえ、そんなことないはずよね、とかぶりを振ろうとする彼女の瞳を捕まえるように、言葉を紡ぐ。

「はい。実は母が、エリシア嬢とお茶が飲みたいと申しているのです」

 嘘だ。嘘だが、エリシアにとって決定的にならない言葉を選んだつもりだった。

「本来であれば、ご予定を伺うためにも前もって手紙を出すべきなのですが……領地から戻ってきたばかりでして。直接行って伝えてくるよう、言われました」

 ここで苦笑いを浮かべる、なんて器用さは俺にはない。

 ただまっすぐ、空色の瞳を見た。

「ローレンス夫人が?」

「はい。また野菜やらフルーツやらを大量に持ち帰ってきまして。エリシア嬢にいくらか受け取っていただきたいのだそうです」

「ローレンス夫人は、私はとてもお慕いしてるの」

 頬に少しだけ赤みが戻ってきた気がする。

「母がそれを聞いたら、大変喜びます」

「とても素敵な方だもの。朗らかで、真っ直ぐで、まるで太陽みたい」

「ありがとうございます。では、ご迷惑でなければご一緒に」

 俺が差し出した手に、小さな手が重なった。

 ぞっとするほど冷えたエリシアの手をそっと引いて、残酷すぎる世界に連れ出した。


 ローレンス子爵家の馬車に、エリシアが乗っている。

 その上、俺と向かい合う形で座っている。

 なんとも奇妙な話だが、現実である。

 考えなしにエリシアを馬車止めまで連れていったが、ロズモンド子爵がすでに手を打っていたようで、自然な流れでエリシアを馬車に乗せることには成功した。

 ただ、今日は俺自身が馬に乗って来ていなかったため、御者の席を少しだけ分けてもらうつもりで扉を閉めようとして、やめた。

 今にも泣き出してしまいそうな目に気付いてしまった。

 同じ馬車に乗り込んだ俺に、エリシアは何も言わなかった。

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