第3話 賑やかな沈丁花
セラフィンが一方的に婚約破棄を告げて三日。
異例の速さで王家にも認められ、エリシアは名実ともにセラフィンの婚約者ではなくなった。
俺はというと、実家から呼び出しがあり、セラフィンの護衛任務からは離れていた。
曰く、近々大きな仕事が入る予定だから休んでおけ、とのことだ。
「休んでおけ、と言われてもなぁ」
騎士として自立するまで住んでいた自室は、あの頃と変わらず綺麗にされていた。
領地の人々や産業に誇りはあるが、貴族としては弱小の部類に入る子爵家、の次男。
それでも一人の人間として自立できるよう、幼い頃から両親は様々な選択肢を与えてくれた。
どうしても勉強の類が苦手で、体を動かすことが好きだったので選んだ騎士の道だったが、両親や兄の伝手で生活に困らない程度に仕事ももらえて、満足している。
「イヤ〜〜〜ッッッ!!」
振り返ると、ノックもなしに母が部屋の扉を開けていた。
「部屋でトレーニングしたら床が抜けちゃうからやめなさいって何度も言ったでしょ〜!?」
信じられないんですけど、という目で俺を見ている。
俺としてはノックも挨拶もなしに自室に入ってくる方が信じられないんだが、とは思いつつ、確かにスクワットの度に床の軋む音が大きくなった気がしてやめる。
「お父さんもお兄ちゃんもそんなに大きくないのに、どうしてアンタはこうもでっかくなっちゃったのかしら……」
「母さんのご飯がうまいからじゃないか?」
「ま、それはそうね」
俺に用事があって来たのだと思ったが、領地に帰った際に見て来たという、つやつやと光り輝くトマトのなる畑の話が始まってしまう。
俺の母という人は、明るくてマイペース、あまり深く物事を考えない主義の人なのだ。
「ちょっと聞いてるの? 脳みそまで筋肉にしちゃダメだからね!」
母さんの方は丸々育ったぴかぴかトマトだな、とは言葉にしなかったはずなのに、誰の頭がトウモロコシよ! と憤慨している。言っていない。
「用事があって来たんじゃないのかと思って」
肯定も否定もせずにそう答えると、本題を思い出した母がそうそうと手を叩いた。
「エリーちゃんの話、まだ何にも入ってこないわぁ」
母は個人的にエリシアとお茶をするくらいには彼女のことを気に入っており、今回のことに驚いていた。
彼女が婚約者に捨てられたという話は貴族の間ではすでに結構な噂になっており、彼女の今後を憂う声も出ているようだった。
グラスの水を口に含む。
「うちの次男坊を新しい婚約者にどうですか、なんて言える状況でも立場でもないでしょう?」
ぶっ、と口から水が噴き出す。
ちょっと誰が掃除すると思ってるのよ、などと宣っているが気にするべきはそこではない、母よ。
「こ、こ、こ、こ、な、何を」
「だってアンタ、昔からひまわりちゃんのことしか見てないんだもの。母にはバレバレよ、バ・レ・バ・レ!」
母というものは、皆揃ってこうも恐ろしい生き物なんだろうか、ではなくて。
「彼女のことは友人の一人として心配しているだけで特別な感情はないというか、もし俺にそんな気持ちがあったら仕事に支障が出るだろ」
母はニマニマとした顔でこちらを見ている。
「だいじょ〜ぶよ、アンタは基本無愛想だからね。この世で母だけが知ってる秘密よ」
「だから違う。彼女には友人としての感情しかないし、そもそも俺では立場が」
「と、思っていたのだけれどね!?」
母の人差し指が眉間に刺さる。
「ロズモンド子爵家からの依頼よ、カイル! お仕事頑張ってね〜!」
詳しいことはロズモンド子爵から聞くように、とだけ言われ、あれよあれよという間に家から追い出されていた。
女性を花に例えることはままあるが、俺の母親はハリケーンそのものである。
母が紛らわしい言い方をしたせいで少しどぎまぎしてしまったが「子爵家からの依頼」だということを思い出す。浮かれた話をしている場合ではない、仕事だ。
それに、あのやり手のロズモンド子爵が、婚約を解消して三日後には新しい婚約者、なんて真似を娘にさせるとは到底思えない。
十中八九、セラフィンの新しい婚約者であるイザベル嬢の護衛か何かを頼まれるのだろう、とため息を吐く。
エリシアの言う通り、イザベル嬢は素直で優しい女性だと感じたし、あの美貌にセラフィンの気持ちが向いたことは理解できる。
ただ、エリシアの妹への過剰な優しさは理解が追いつかなかった。
他人にはあんなに優しくできるのに、その半分でも、自分自身に優しさを向けられないものかと疑問に感じざるを得なかった。
次期公爵の婚約者としてだって、立派すぎたくらいだ。
ロズモンド子爵家へ向かう足取りが、どんどん重くなっていった。
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