第56話 「調整という名の抵抗」

  変化は、対立の形では現れなかった。


 むしろそれは、これまでの流れを壊さないように、慎重に、しかし確実に形を変えていく「調整」として現れ、その穏やかさゆえに、誰もがそれを問題だとは認識しないまま進行していった。


 前日の打ち合わせ以降、陽に向けられる視線は確かに増えていたが、それは期待や警戒といった分かりやすい感情ではなく、「どう扱えばいいかを探っている視線」という、非常に扱いにくい性質のものだった。


 昼休み、女子たちが集まって今後の段取りを確認している場でも、陽は以前と同じ位置に立っていたが、完全に外側というわけでもなく、かといって中心に引き寄せられることもなく、ちょうど境界線の上に置かれているような感覚を覚えていた。


 「これ、誰がやる?」


 その問いが出たとき、即座に「神代くんはいいよ」という声は上がらなかった。


 代わりに、ほんの一瞬、間が生まれる。


 その間は短く、意識しなければ見逃してしまうほどだったが、陽にははっきりと分かった。


 これは、確認の間だ。


 誰かが、最終的にこう言う。


 「……じゃあ、今まで通りでいいよね」


 その言葉は、中立を装っていたが、実際には強い方向性を持っていた。


 今まで通り、という言葉は、変化を否定するのではなく、変化を保留するための表現だったからだ。


 陽は、その決定に対して何も言わなかった。


 だが同時に、自分が再び自動的に外されることもなかった。


 役割は、曖昧なまま宙に浮き、誰のものでもない仕事がいくつか残される。


 「これ、後で誰かやっといて」


 そんな言い方が増える。


 担当を決めないことで、誰も排除されず、誰も引き受けさせられない。


 その状態は、一見すると公平だった。


 だが実際には、決めないこと自体が一つの決定になっている。


 陽は、その構造を、はっきりと感じ取っていた。


 放課後、作業が終わりかけた頃、同じクラスの女子が小声で言った。


 「最近、ちょっとやりにくくない?」


 誰かが、苦笑する。


 「分かる」


 「でも、別に悪いわけじゃないし」


 その会話の中に、陽の名前は出てこない。


 だが、話題の中心に自分が含まれていることは、明白だった。


 やりにくさの正体は、対立ではない。


 前提が揺れたまま確定しないことだった。


 夜、ノートを開いた陽は、今日の出来事を思い返しながら、少し時間をかけて書いた。


 【今日の気づき】


 ・前提が揺れると、即座に元に戻されないことがある


 ・だが、更新もされず、保留される


 ・保留は、摩擦を避けるための選択


 最後に、少し迷ってから、こう書き足す。


 ・調整は、抵抗の最も穏やかな形かもしれない。


 陽はペンを置き、その言葉をしばらく眺めていた。


 反発されていない。


 否定もされていない。


 だが、前に進めてもいない。


 それでも、以前とは決定的に違う点が一つあった。


 この停滞が、自分一人の内側ではなく、場全体で共有されているという事実だ。


 次に起きるのは、この「やりにくさ」が、誰かにとって無視できない負荷に変わる瞬間だ。


 そのとき初めて、

 前提を戻すか、

 書き換えるか、

 どちらかを選ばされる。


 その選択は、

 もう避けられないところまで来ている。

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