第51話 「説明が始まる」

  空気は、止まったままではいられなかった。


 沈黙が続くほど、

 誰かがそれを動かさなければならなくなる。


 前日の出来事のあと、

 合同準備は予定通り解散し、

 誰もその場で結論を出さなかった。


 だが、翌日になっても、

 あの沈黙は消えていなかった。


 昼休み、教室の一角で女子たちが集まり、

 いつもより少し声を落として話しているのが、

 陽の位置からも分かった。


 名前は、出ていない。


 だが、話題が自分に関係していることは、

 雰囲気だけで伝わってきた。


 「……昨日のことなんだけどさ」


 誰かが、慎重に切り出す。


 「別に、悪気があったわけじゃないよね」


 すぐに、別の声が重なる。


 「うん」


 「むしろ、気を遣ってたと思う」


 その言葉は、事実を否定するためではなく、

 意図を説明するために使われていた。


 「神代くんって、

  前に出ない方が楽そうじゃん」


 「無理させないようにしてただけだし」


 説明は、整えられていく。


 誰かを責める形ではなく、

 誰も悪くならない形で。


 陽は、その会話に加わらなかった。


 呼ばれていないからではない。


 もう、何を言っても

 この流れを止められないと感じていたからだ。


 説明は、安心を生む。


 安心は、再び配置を固定する。


 放課後、

 同じクラスの女子が一人、

 作業の合間に近づいてきた。


 「昨日のことだけどさ」


 声は柔らかい。


 責める調子は、まったくない。


 「変に思ってる人、いないよ」


 その言葉は、

 慰めとして差し出されていた。


 「むしろ、ちゃんと言ってくれてよかったって」


 陽は、その言葉に

 すぐには返事をしなかった。


 よかった、という評価の中に、

 もう一段階、説明が含まれていることに

 気づいてしまったからだ。


 「ただね」


 彼女は続ける。


 「神代くんって、

  そういうの苦手そうだから、

  これからは無理に入れない方がいいかなって」


 それは、結論だった。


 昨日の事実を踏まえた上で、

 より丁寧に、

 より配慮した形で導かれた配置。


 陽は、小さく息を吸い、

 短く答えた。


 「……分かりました」


 その返事に、

 彼女は少し安心したように笑った。


 話は、それで終わった。


 夜、ノートを開いた陽は、

 今日のことを思い返しながら、

 ゆっくりと書いた。


 【今日、起きたこと】


 ・事実が説明に変えられた


 ・説明が、配慮になった


 ・配慮が、結論になった


 少し間を置いて、

 最後にこう書き足す。


 ・説明は、問いを終わらせる。


 陽はペンを置き、

 その言葉を静かに受け止めていた。


 問いは、否定されたわけではない。


 ただ、

 必要のないものとして

 片付けられただけだ。


 こうして、

 あの場で止まった空気は、

 再び流れ始めた。


 だがその流れは、

 元の場所へ戻るためのものではない。


 より強固に、

 より優しく、

 より説明された配置へと

 向かっている。


 次に起きるのは、

 この「説明された配置」が、

 当たり前として再運用される瞬間だ。


 そのとき、

 陽はもう一度、

 選ばされることになる。


 黙って受け入れるか。


 それとも、

 別の言い方を探すか。

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