第49話 「記録されない変化」
その出来事は、話題にされなかった。
翌日、同じメンバーが集まり、同じ場所で準備が始まったとき、誰も前日のことを蒸し返さなかった。
「あれ、昨日さ」と言う人はいない。
「神代くんが意見出してたよね」と確認する声もない。
話は、最初から続き物として進められる。
まるで、何も起きていなかったかのように。
だが、完全に同じではなかった。
空気の中に、ごく小さな調整が入っていた。
「これ、どうする?」
誰かがそう言ったとき、
すぐに別の誰かが答える前に、
一瞬だけ、陽の方を見る視線が混ざる。
期待ではない。
要求でもない。
ただ、可能性を確認するような視線だった。
陽は、その視線に応えなかった。
昨日のように、口を開くことはしなかった。
代わりに、資料を見つめ、
自分は流れに関与しない、
という姿勢を明確に保った。
すると、視線はすぐに別の人へ移る。
話は滞りなく進む。
誰も困らない。
誰も、違和感を口にしない。
だが、その一瞬のやり取りは、確かに存在していた。
休憩時間、女子たちが集まって話している輪の中でも、
陽は以前と同じ距離にいた。
呼ばれない。
だが、完全に外されてもいない。
声をかけようとする素振りが、
途中で止まる場面が、何度かあった。
それは、意図的な排除ではない。
扱い方を迷っている動きだった。
「……まあ、いいか」
誰かが小さくそう言って、話題を変える。
陽は、その言葉を聞きながら、
自分の逸脱が、
記録されない形で処理されていることを理解していた。
夜、ノートを開いた陽は、しばらく何も書かずにいた。
昨日ほど、はっきりした出来事ではない。
今日ほど、説明できない感覚もない。
それでも、ペンを持ち、ゆっくりと書き始める。
【今日の変化】
・昨日のことは、話題にされなかった
・だが、見られ方が少し変わった
少し考えてから、最後にこう書く。
・普通は、記録されない変化を吸収する。
陽はペンを置き、その一文を見つめた。
普通は、壊れない。
違和感が出ても、
それを言葉にしなければ、
元の形に戻ろうとする。
そうすることで、
誰も傷つかず、
誰も説明を求められずに済む。
だが、その代償として、
変化の芽は、
静かに押し戻される。
次に起きるのは、
この「なかったことにする力」が、
限界に触れる瞬間だ。
小さな逸脱では足りない。
意図的で、
否定できない行動が必要になる。
そのとき、
この普通は、
初めて問い直される。
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