第45話 「気を遣わせない人」

  それは、感謝の言葉として伝えられた。


 だから、否定する理由が見つからなかった。


 昼休み、教室の端で女子たちが集まり、次の行事について簡単な確認をしていたとき、陽はいつものように少し離れた位置に立っていた。


 話の流れを遮らない距離。


 視線が集まりすぎない位置。


 自分が動かなくても、誰も困らない場所。


 それを選ぶことは、もう意識的な判断ですらなかった。


 「神代くんってさ」


 誰かが、何気ない調子で言った。


 「ほんと、気を遣わせないよね」


 その言葉に、数人がすぐに頷く。


 「分かる」


 「変に入ってこないし」


 「自分から引いてくれるから楽」


 言葉は、すべて好意的だった。


 否定も、皮肉もない。


 むしろ、感謝に近い。


 陽は、そのやり取りを聞きながら、何も言えなかった。


 言い返す言葉がなかったからではない。


 その評価が、事実として成立していることを、自分でも否定できなかったからだ。


 「助かるよね」


 誰かがそう言って、会話は別の話題へ移っていく。


 陽は、その流れの中で、自分の存在が調整済みの要素として扱われていることを、はっきりと感じていた。


 誰かが困らないように。


 誰かが迷わないように。


 誰かが気を遣わなくて済むように。


 そのために、自分が先に消えている。


 放課後、準備作業の途中で、女子の一人が軽く声をかけてきた。


 「神代くん、無理しなくていいからね」


 その言葉は、心配の形をしていた。


 拒絶ではない。


 優しさだ。


 陽は、反射的に頷いた。


 「……大丈夫です」


 その返答が、さらに配置を確定させることを、もう理解していた。


 夜、ノートを開いた陽は、今日の出来事を思い返しながら、ゆっくりと書いた。


 【今日、言われたこと】


 ・気を遣わせない


 ・助かる


 ・無理しなくていい


 その下に、少し迷ってから、こう書き足す。


 ・善意は、配置を固定する。


 陽はペンを置き、その言葉の重さをしばらく感じていた。


 誰も、自分を傷つけていない。


 誰も、排除しようとしていない。


 むしろ、守ろうとしている。


 だからこそ、この位置は揺らがない。


 揺らがせる理由が、見つからない。


 だが、守られているという感覚と同時に、

 選ばれる可能性そのものが消えていく感覚も、確かに存在していた。


 それは静かで、説明しにくく、誰にも共有されない。


 だが、確実に積み重なっていく。


 次に起きるのは、この「善意の配置」が、

 外部の視線によって補強される瞬間だ。


 自分を知らない誰かが、

 この位置を「正しい」と判断する。


 そのとき、この配置はもう、内側から崩せなくなる。

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