第42話 「分かりやすい方へ」

  違和感は、理解されなかった。


 正確には、理解しようとされた結果、もっと分かりやすい形に置き換えられた。


 翌日の昼休み、女子たちの輪はいつもと同じ場所にあり、いつもと同じように会話が流れていた。


 だが、その流れの中に、昨日とは少し違う言葉が混ざり始めていた。


 「神代くんってさ」


 誰かがそう言ったとき、数人が自然にこちらを見る。


 「結構、線引いてるよね」


 その言葉に、陽は一瞬だけ耳を疑った。


 線引き。


 昨日まで使われていなかった表現だった。


 「うん」


 別の女子がすぐに頷く。


 「優しいけど、踏み込まない感じ」


 「距離感、ちゃんとしてるよね」


 言葉は、肯定的だ。


 否定でも、非難でもない。


 だが、そこにははっきりとした分類が含まれていた。


 陽は、そのやり取りを聞きながら、昨日彼女が言い淀んだ言葉が、まったく別の意味に変換されていることに気づいた。


 考えているかどうか、という問いは消え、


 代わりに、**「踏み込まない人」「線を引ける人」**という分かりやすい評価が置かれていた。


 「だからさ」


 誰かが続ける。


 「変に勘違いされないし、楽だよね」


 その言葉に、数人が笑う。


 空気は軽い。


 問題は何も起きていない。


 だからこそ、その評価はそのまま通ってしまう。


 陽は、そこで初めて、何かを言うべきかどうかを迷った。


 だが、何を言えばいいのか分からなかった。


 考えていないわけじゃない、と言えばいいのか。


 線を引いているつもりはない、と言えばいいのか。


 どの言葉も、今の空気を壊す。


 結局、陽は何も言わなかった。


 その沈黙は、反論としてではなく、同意として処理された。


 放課後、委員会の作業でも、その評価は自然に使われた。


 「この件、どうする?」


 誰かがそう言ったとき、別の女子がすぐに答える。


 「神代くんは、ああいうの苦手そうだから、私たちで決めよ」


 苦手。


 その言葉は、昨日まで存在していなかった。


 だが、線を引く人、踏み込まない人、という評価と組み合わさることで、違和感なく成立してしまった。


 陽は、何も言わずに資料をまとめ続けた。


 否定すれば、説明が必要になる。


 説明をすれば、立場が生まれる。


 立場が生まれれば、期待か責任が付随する。


 そのどれもが、今の自分には重すぎた。


 夜、ノートを開いた陽は、今日の出来事を思い返しながら、静かに書き足した。


 【今日の変化】


 ・違和感が、評価に変換された


 ・内面の話が、振る舞いの話にすり替わった


 少し間を置いて、さらに続ける。


 ・分からないものは、分かりやすい形に直される。


 陽はペンを置き、昼休みの会話をもう一度思い返した。


 誰も悪くない。


 むしろ、配慮されている。


 だが、その配慮は、問いを消す。


 問いが消えれば、考えているかどうかも、感じているかどうかも、もう問題にされない。


 こうして、自分は再び、安全な位置に戻されていく。


 ただし今回は、少し違っていた。


 自分が、そこに戻されていることを、はっきりと自覚してしまったからだ。


 次に起きるのは、この評価が固定される瞬間だ。


 固定された評価は、意見よりも強い。


 それは、本人が何を言っても揺らがない。


 その手前で、何かを選ばなければならなくなる。

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