第40話 「少しだけ、違う距離」
変わったのは、態度というほどはっきりしたものではなかった。
だが、同じであるとも言い切れなかった。
翌日の昼休み、陽はいつもと同じ席に座り、いつもと同じように女子たちの会話を聞いていた。
話題は前日と大きく変わらず、授業のこと、行事のこと、誰かの失敗談が軽く笑い話として流れていく。
陽は相槌を打つこともあれば、聞くだけで終わることもあり、その振る舞い自体はこれまでと何も変わっていなかった。
変わったのは、あの女子の位置だった。
彼女は、以前なら自然に陽の隣か正面に座っていたが、その日は一つ分だけ席をずらし、会話に直接割り込まない位置を選んでいた。
離れたわけではない。
だが、近くもない。
誰かが「神代くん、これどう思う?」と聞いたときも、彼女はその質問に被せるように何かを言うことはなく、ただ一拍遅れてから、陽の返答を見ていた。
陽が短く答えると、彼女はその答えを否定も肯定もせず、ただ一度だけ頷いた。
その反応は、同意というより、確認に近かった。
放課後、委員会の作業中も同じだった。
彼女は必要な連絡事項を伝えるときだけ陽に近づき、それ以外の時間は、あえて別の女子の側に立って作業を進めていた。
避けている、というほどではない。
だが、意識して距離を調整していることは、陽にも分かった。
その距離は、拒絶ではなく、観察のための距離だった。
作業の途中、彼女がふと立ち止まり、資料を見ながら言った。
「……神代くんさ」
声は小さく、周囲に聞かせる意図はない。
「いつも、聞かれたことだけ答えるよね」
陽は一瞬だけ考えた。
「……そうかもしれません」
彼女はそれを聞いて、すぐには反応しなかった。
しばらくしてから、「それって、疲れない?」と続ける。
問いは、責める調子ではなかった。
心配とも、好意とも、少し違う。
陽は、すぐに答えられなかった。
疲れるかどうかを、考えたことがなかったからだ。
「……分かりません」
正直な返答だった。
彼女はその答えに、少しだけ目を細め、「そっか」と短く言った。
それ以上、会話は続かなかった。
だが、その一言は、これまでになかった種類の問いだった。
問題が起きないかどうかではなく、
空気を壊すかどうかでもなく、
当人がどう感じているかに向けられた問いだった。
夜、ノートを開いた陽は、今日一日の出来事を思い返しながら、昨日書いた言葉の下に、静かに書き足した。
【追記】
・違和感は、距離を変える
・距離が変わると、問いが変わる
少し間を置いて、さらに書く。
・問いが変わると、配置が揺れる。
陽はペンを置き、自分がこれまで「安全な位置」だと思っていた場所が、少しずつ輪郭を失い始めていることを、はっきりと感じていた。
それは不安でもあり、同時に、初めて向けられた真正面からの視線でもあった。
まだ名前は付いていない。
だが、確かに何かが始まっている。
このズレは、もう一人だけのものでは終わらない。
次に揺れるのは、周囲の「神代くん像」そのものだった。
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