第34話 「戻ると言う」
「少し、話してもいい?」
放課後の教室。
人はまばらで、
聞こうと思えば聞こえる距離。
それが、
選ばれた場所だった。
*
陽は、
立ち上がった。
誰かに促されたわけじゃない。
名指しも、
命令もない。
ただ、
空気が待っていた。
「最近」
陽は、
できるだけ穏やかな声で言った。
「色々、やりにくくなってると思う」
誰も否定しない。
否定できない。
*
「ルールを守ろうとして」
「……」
「結果的に、
動かなくなったところもある」
事実だけを並べる。
評価は、
つけない。
*
「だから」
「……」
「一度、
前のやり方に
戻そうと思う」
戻る。
その言葉が出た瞬間、
教室の空気が、
はっきりと緩んだ。
*
誰かが、
小さく息を吐いた。
誰かが、
頷いた。
誰も、
拍手しない。
それが、
正しい反応だった。
*
「勝手なこと、
しない」
「……」
「ちゃんと、
相談する」
相談。
安全な言葉。
*
「ごめん」
「……」
その一言で、
物語は終わったことになる。
少なくとも、
周囲にとっては。
*
真白は、
何も言わなかった。
だが、
陽を見ていた。
その視線だけが、
終わっていないことを
知っていた。
*
その日の夜。
陽は、
ノートを開いた。
【今日、言ったこと】
・戻る
・相談する
・ごめん
【今日、起きたこと】
・空気が緩んだ
・責任が消えた
【分かったこと】
・「戻る」は、
一番簡単な解決策
・多数派は、
結果より安心を選ぶ
ここで、
ペンが止まる。
*
ページを、
一枚、めくる。
新しいページに、
陽は書いた。
【本当の決断】
しばらく、
何も書けなかった。
*
――戻る。
それは、
元に戻るという意味じゃない。
“戻ったことにする”
という意味だ。
*
陽は、
静かに書いた。
・もう、
この場所で
問いは出さない
・共有もしない
・行動で示すこともやめる
それは、
降伏ではない。
*
最後に、
たった一行。
・問いは、外へ持っていく。
*
陽は、
ノートを閉じた。
教室では、
何も起きない。
問題は解決した。
秩序は戻った。
安心が、配られた。
――そういうことになっている。
*
だが、
陽の中では、
すでに終わっていた。
この世界で、
問いを持ち続ける役割は。
次にすることは、
ただ一つ。
ここを出る準備だ。
静かに。
確実に。
誰にも、
意味づけされない形で。
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