第34話 「戻ると言う」

 「少し、話してもいい?」


 放課後の教室。

 人はまばらで、

 聞こうと思えば聞こえる距離。


 それが、

 選ばれた場所だった。



 陽は、

 立ち上がった。


 誰かに促されたわけじゃない。

 名指しも、

 命令もない。


 ただ、

 空気が待っていた。


 「最近」

 陽は、

 できるだけ穏やかな声で言った。

 「色々、やりにくくなってると思う」


 誰も否定しない。


 否定できない。



 「ルールを守ろうとして」

 「……」

「結果的に、

動かなくなったところもある」


 事実だけを並べる。


 評価は、

 つけない。



 「だから」

「……」

「一度、

前のやり方に

戻そうと思う」


 戻る。


 その言葉が出た瞬間、

 教室の空気が、

 はっきりと緩んだ。



 誰かが、

 小さく息を吐いた。


 誰かが、

 頷いた。


 誰も、

 拍手しない。


 それが、

 正しい反応だった。



 「勝手なこと、

しない」

「……」

「ちゃんと、

相談する」


 相談。


 安全な言葉。



 「ごめん」

「……」


 その一言で、

 物語は終わったことになる。


 少なくとも、

 周囲にとっては。



 真白は、

 何も言わなかった。


 だが、

 陽を見ていた。


 その視線だけが、

 終わっていないことを

 知っていた。



 その日の夜。


 陽は、

 ノートを開いた。


 【今日、言ったこと】

・戻る

・相談する

・ごめん


 【今日、起きたこと】

・空気が緩んだ

・責任が消えた


 【分かったこと】

・「戻る」は、

一番簡単な解決策

・多数派は、

結果より安心を選ぶ


 ここで、

 ペンが止まる。



 ページを、

 一枚、めくる。


 新しいページに、

 陽は書いた。


 【本当の決断】


 しばらく、

 何も書けなかった。



 ――戻る。


 それは、

 元に戻るという意味じゃない。


 “戻ったことにする”

 という意味だ。



 陽は、

 静かに書いた。


 ・もう、

この場所で

問いは出さない

・共有もしない

・行動で示すこともやめる


 それは、

 降伏ではない。



 最後に、

 たった一行。


 ・問いは、外へ持っていく。



 陽は、

 ノートを閉じた。


 教室では、

 何も起きない。


 問題は解決した。

 秩序は戻った。

 安心が、配られた。


 ――そういうことになっている。



 だが、

 陽の中では、

 すでに終わっていた。


 この世界で、

 問いを持ち続ける役割は。


 次にすることは、

 ただ一つ。


 ここを出る準備だ。


 静かに。

 確実に。


 誰にも、

 意味づけされない形で。

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