第33話 「名前のない責任」
最初は、誰も名前を出さなかった。
それでも、
向きだけは揃っていた。
*
朝のホームルーム。
椎名は、
いつもよりゆっくり話し始めた。
「最近、
校内で小さな不便が
いくつか起きています」
不便。
誰も否定しない言葉。
「忘れ物の連絡が遅れたり」
「清掃が行き届かなかったり」
「委員会の動きが
少し鈍くなったり」
どれも、
重大ではない。
だが、
積み重なる。
*
「ルールは、
きちんと守られています」
一度、
肯定する。
「でも」
来た。
「守られているのに、
うまく回らない」
回らない。
それは、
誰のせいでもないはずだった。
*
「こういうとき」
椎名は、
教室を見渡す。
「一人ひとりが、
“自分の役割”を
再確認する必要があります」
役割。
その言葉が出た瞬間、
何人かの視線が、
わずかに動いた。
――最初に、
役割をズラした人。
*
椎名の視線は、
一瞬だけ、
陽の席に止まった。
名指しは、ない。
だが、
それで十分だった。
*
休み時間。
「最近さ」
「……うん」
「神代のせい、
ってわけじゃないけど」
出た。
「……でも」
「……」
「最初に変なこと
始めたの、
神代だよね」
変なこと。
それは、
善意でも、
完全遵守でもない。
ズレだ。
*
「違反はしてないよ?」
誰かが言う。
「分かってる」
「でも、
空気が変わった」
空気。
最も便利な犯人。
*
昼休み。
真白が、
低い声で言った。
「……言われてる」
「……うん」
「違反してないのに」
「……うん」
言葉は、
必要なかった。
*
午後。
委員会の代表が、
教室に来た。
「ちょっと、
連絡です」
形式的な口調。
「最近、
連携が取りにくい
という声がありまして」
声。
誰の声かは、
言わない。
*
「個々の判断が
増えすぎると」
「……」
「全体の動きが
見えにくくなります」
個々の判断。
それは、
陽が“返された”ものだ。
*
「だから」
「……」
「各自、
以前のやり方を
意識してください」
以前。
つまり、
ズレる前。
*
放課後。
椎名に呼ばれた。
場所は、
相談室。
久しぶりだった。
*
「神代」
「はい」
「最近、
周囲が少し
混乱しているの」
混乱。
「あなたのせい、
と言いたいわけじゃない」
来た。
「……はい」
「でも」
「……」
「あなたの行動が、
“影響力”を
持っているのは、
事実よ」
影響力。
また、
その言葉。
*
「だから」
「……」
「少し、
自覚してほしい」
自覚。
「あなたが
完全にルールを守ることで」
「……」
「“動かない”選択を
他の人が
真似している」
真似。
責任が、
形を持ち始める。
*
「……それは」
陽は、
静かに言った。
「俺が、
ルールを守った
結果ですよね」
椎名は、
一瞬、
言葉に詰まった。
*
「ええ」
「……」
「でも、
その結果が
望ましくないなら」
望ましくない。
「考え方を
少し、
戻す必要がある」
戻す。
*
陽は、
はっきり理解した。
――違反していないのに、
修正対象になった。
*
夜。
ノートを開く。
【起きたこと】
・空気が犯人を探した
・違反していないのに
名前が浮かんだ
【分かったこと】
・問題は、行為ではなく影響
・影響力は、罪になる
【確信したこと】
・多数派は、
原因を欲しがる
最後に、
ゆっくり書く。
・責任は、
いちばん目立つ“無罪”に集まる。
これが、
多数派の暴力。
誰も殴らない。
誰も命じない。
ただ、
視線を揃える。
次に起きるのは、
最後の段階。
――選択を迫る。
戻るか。
黙るか。
それとも――
ここを、出るか。
陽は、
ノートを閉じた。
終わりは、
もう、
目の前だった。
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