第31話 「書かれた瞬間」
それは、紙一枚だった。
だが、
今までとは決定的に違った。
*
朝、掲示板に貼られていた。
【校内活動における自主行動の取り扱いについて】
タイトルは、
丁寧で、
中立的だった。
*
内容は、こうだ。
――学級活動・清掃・委員業務は、
事前に定められた役割に基づいて行うこと
――役割外の行動を行う場合は、
必ず事前に教員の許可を得ること
――無断での自主行動は、
指導の対象となる場合がある
「場合がある」。
逃げ道のようで、
実は一番強い言葉。
*
それを読んだ瞬間、
陽は分かった。
――これで、
行動は完全に管理される。
*
教室では、
誰も声を上げなかった。
「まあ、
そりゃそうだよね」
「混乱するし」
「ちゃんとしたルールだと思う」
それらは、
納得ではない。
安心だった。
*
真白は、
掲示板の前で立ち止まったまま、
しばらく動かなかった。
「……書かれちゃったね」
「……うん」
それ以上、
言葉は続かない。
*
問題は、
その日の午後に起きた。
清掃の時間。
篠宮が、
自分の担当区域を終えたあと、
床に落ちた紙屑を拾った。
それだけ。
ほんの、
一歩分の移動。
*
「篠宮」
声をかけたのは、
保護委員の生徒だった。
「そこ、
担当外じゃない?」
言い方は、
柔らかい。
だが、
記録の声だった。
*
「……落ちてたから」
篠宮は、
そう答えた。
「一応」
保護委員は、
笑顔のまま言う。
「次から、
先生に言ってからにして」
言ってから。
篠宮は、
一瞬だけ陽を見た。
陽は、
何も言えなかった。
*
その日の放課後。
篠宮が、
呼ばれた。
短い「確認」。
長い「記録」。
*
翌日。
連絡事項として、
椎名が淡々と告げた。
「昨日、
役割外行動が一件ありました」
一件。
名前は出ない。
「悪意があったわけではありません」
「ただ」
「ルールが明文化された以上、
全員が守る必要があります」
守る必要。
*
教室は、
静かだった。
誰も、
篠宮を見ない。
それが、
最も完成された処理だった。
*
休み時間。
篠宮が、
低い声で言った。
「……な」
「……」
「紙に書かれた瞬間、
アウトだ」
「……うん」
「昨日まで、
問題じゃなかったことが」
「……」
「今日から、
違反になる」
それが、
常識の正体だった。
*
夜。
陽は、ノートを開く。
【起きたこと】
・ルールの明文化
・初めての違反
【分かったこと】
・書かれた瞬間、逃げ場は消える
・善意は、違反理由にならない
【確信したこと】
・常識は、後から貼られる
最後に、
静かに書く。
・世界は、先に動いてから、正しさを決める。
問いは、
もう十分に示された。
行動も、
限界まで縮められた。
次に残っているのは、
選択だけだ。
守る側に戻るか。
違反者になるか。
それとも――
ルールそのものを、別の形で使うか。
陽は、
ノートを閉じた。
終わりは近い。
だが、
結論はまだ、
出ていない。
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