第28話 「問いは共有できない」

 それは、注意でも指導でもなかった。


 だから、

 多くの生徒は気づかなかった。



 週明けの朝。


 学内ポータルに、

 短い通知が追加されていた。


 【学習振り返りに関する補足】


 内容は、

 ひどく丁寧で、

 ひどく正しかった。


 ――振り返りは自己理解を深めるためのもの

 ――他者の価値観を揺さぶる目的で使用しない

 ――共有・議論は教員の指示のもとで行う


 共有しない。


 議論しない。


 問いを、

 個人の内側に戻す。



 教室では、

 誰もその通知の話をしなかった。


 しなかったのか、

 できなかったのか。


 それ自体が、

 もう区別できない。



 一限目の現代文。


 教材は、

 「主体性」についての評論だった。


 偶然にしては、

 できすぎている。


 椎名は、

 淡々と問いかける。


 「では、この文章で言う

  “主体的に考える”とは、

  どういうことかしら」


 数人が手を挙げる。


 模範解答が、

 次々に並ぶ。


 ――自分の役割を理解する

 ――周囲と協調する

 ――責任を持って選択する


 どれも、

 間違っていない。



 真白は、

 手を挙げなかった。


 陽も、

 挙げなかった。


 挙げないことが、

 今は一番、

 安全だった。



 「神代」

 突然、

 名前が呼ばれた。


 「どう思う?」


 教室の視線が、

 一斉に集まる。


 だが、

 その視線は、

 前よりも薄い。


 ――期待ではなく、

 確認。



 「……この文章は」

 陽は、

 言葉を選ぶ。

 「“考えること”より、

  “考えた結果を

  どう扱うか”を

  重視していると思います」


 それ以上、

 踏み込まない。


 問いを、

 問いのままにしない。



 椎名は、

 一瞬だけ間を置いて、

 頷いた。


 「ええ。

  良い読み取りね」


 良い。


 評価は、

 ここで終わる。


 続きを、

 許さない。



 休み時間。


 真白が、

 小さな声で言った。


 「……今の」

 「……うん」

 「言えたよね」

 「……言えた」


 でも。


 「言わなかった」


 二人の間に、

 それだけの確認があった。



 昼休み。


 掲示板に、

 新しい紙が貼られていた。


 『価値観の多様性について』


 その下に、

 赤字で追記されている。


 ※個人的な解釈を

  無断で拡散しないこと


 拡散。


 問いは、

 ウイルス扱いだ。



 放課後。


 陽は、

 椎名に呼び止められた。


 廊下の隅。


 人目はあるが、

 会話は聞こえない。


 「神代」

 「はい」

 「最近、

  落ち着いているわね」


 落ち着いている。


 それは、

 褒め言葉だ。


 「……そうでしょうか」

 「ええ」


 椎名は、

 少しだけ声を落とす。


 「だから、

  これ以上、

  考えを“共有”しなくていい」


 共有しなくていい。


 優しい口調。


 だが、

 明確な線引き。


 「それが、

  あなたのためよ」



 「……分かりました」


 陽は、

 頷いた。


 従順だった。


 だが、

 内側では、

 はっきりと理解していた。


 ――これは、

 問いを持つこと自体を

 終わらせにきている。



 夜。


 ノートを開く。


 【起きたこと】

 ・共有の禁止

・問いの個人化

・発言の評価制御


 【分かったこと】

・問いは、集団に属せない

・共有された瞬間、危険になる


 【確信したこと】

・制度は、答えより問いを恐れる


 最後に、

 静かに書く。


 ・問いは、閉じ込められる。


 だが。


 閉じ込められた問いは、

 消えるのではない。


 内側で、

  別の形に変わる。


 それが、

 次の段階だった。


 陽は、

 ノートを閉じた。


 次に起きるのは、

 言葉ではない。


 行動だ。

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