第27話 「全員の問題」

 それは、朝の連絡事項として告げられた。


 特別な前置きはなかった。

 声のトーンも、いつも通り。


 だからこそ、

 逃げ場がなかった。



 「今週末、

  クラス全体での振り返りシートを提出してください」


 椎名は、黒板に日付を書く。


 「テーマは――

  “自分の選択と、その結果”です」


 教室が、

 一瞬だけざわついた。



 「これは、

  特定の誰かのためではありません」


 その一言が、

 決定打だった。


 「全員分、

  評価対象になります」


 評価。


 誰もが、

 無関係ではなくなる。



 一限目の途中。


 陽は、

 ゆっくりと理解した。


 ――これは、

 真白の出来事を

 “個人の失敗”で終わらせないための処理だ。


 同時に。


 ――問いを、

 個人に閉じ込めないための圧力でもある。



 休み時間。


 あちこちで、

 小声の会話が始まる。


 「何書けばいいの?」

 「無難に、

  ちゃんと選びました、でよくない?」

 「失敗とか、

  書かないほうがいいよね」


 “無難”。


 その単語が、

 教室を満たしていく。



 真白は、

 自分の机を見つめていた。


 ペンを持ったまま、

 動かない。


 「……どうする?」

 陽が、

 小さく聞いた。


 真白は、

 一度、息を吸ってから答えた。


 「……書く」

 「……なにを」

 「失敗したこと」


 その声は、

 震えていなかった。



 昼休み。


 二人の前に、

 クラスメイトが立った。


 「ねえ」

 「……なに」

 「真白さ、

  あれ書くの?」


 あれ。


 誰も、

 具体的には言わない。


 「……うん」

 真白は、

 はっきり頷いた。


 空気が、

 一段階、重くなる。



 「やめたほうがよくない?」

 「……どうして」

 「だって、

  全体の評価でしょ」


 全体。


 「変なこと書くと、

  “空気読めない”って

  思われるよ」


 空気。


 それが、

 この教室の

 最上位ルールだった。



 真白は、

 少し考えてから言った。


 「……でも」

 「……」

 「失敗したって、

  事実だから」


 事実。


 その言葉に、

 相手は何も言えなくなった。


 否定できないからだ。



 放課後。


 教室の後ろで、

 椎名が、

 数人と話していた。


 声は低いが、

 断片が聞こえる。


 「……共有……」

 「……学びに……」

 「……個人の感情は……」


 すべて、

 正しい言葉だった。



 家に帰って。


 陽は、

 白紙のシートを前に座った。


 テーマ。


 【自分の選択と、その結果】


 選択。


 結果。


 それは、

 今までずっと、

 “個人の中”に

 閉じ込められてきたものだ。



 陽は、

 ペンを走らせた。


 【選択】

 ・考えることをやめなかった


 【結果】

 ・周囲との距離ができた

・管理された

・自由を与えられたが、

守られなくなった


 事実だけを書く。


 感情は、

 添えない。



 翌日。


 提出。


 誰が、

 何を書いたかは、

 公開されない。


 だが。


 回収されるときの

 空気だけで、

 分かってしまう。


 ――書いた人と、

 書かなかった人がいる。



 数日後。


 椎名は、

 こう言った。


 「全体として、

  とても“よく考えられて”いました」


 よく考えられている。


 だが。


 「一方で」

 「……」

 「“自分の選択ではない結果”を

  書いた人もいました」


 教室が、

 静まり返る。



 「それは」

 椎名は、

 柔らかく続ける。

 「成長の途中として、

  自然なことです」


 自然。


 だが、

 評価は、

 そこで分かれた。



 陽は、

 理解してしまった。


 ――問いは、

 全員に配られた。


 だが。


 ――答えた人だけが、

 浮かび上がる。



 放課後。


 真白が、

 ぽつりと言った。


 「……全員の問題にしたのに」

 「……うん」

 「結局、

  “書いた人の問題”に

  なったね」


 それが、

 制度の強さだった。



 夜。


 陽は、ノートを開く。


 【今日、分かったこと】

 ・問いは配れる

・だが、答えは管理される


 【起きたこと】

・全体化は、責任分散ではない

・可視化は、選別


 最後に、

 ゆっくり書く。


 ・全員にした瞬間、個人が切り出される。


 それでも。


 問いは、

 消えなかった。


 むしろ、

 誰の手元に残ったかが、

 はっきりしただけだ。


 次に起きるのは、

 問いを持った側への直接的な処理。


 それは、

 もう、

 避けられない。

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