第26話 「同じ問いを持つ」

 翌日の教室は、静かだった。


 いつもと同じ配置。

 同じチャイム。

 同じ席順。


 だが、

 視線の向きだけが違う。



 朝のホームルーム。


 椎名は、連絡事項を淡々と読み上げた。


 「委員会提出物の管理について、

  今後は各自の自己管理を徹底してください」


 自己管理。


 誰の名前も出ない。

 だが、

 昨日の出来事を知らない者はいない。


 真白は、

 俯いたまま、

 何も書き留めなかった。



 一限目。


 陽は、ノートを取りながら、

 ふと、

 自分が“普通の生徒”に戻っていることに気づく。


 呼ばれない。

 見られない。

 確認されない。


 ――自由。


 だが、その自由は、

 誰かが落ちた分の空白だった。



 休み時間。


 真白が、

 陽の席に来た。


 周囲が、

 一瞬だけ、息を止める。


 「……昨日」

 真白は、

 小さな声で言う。

 「誰も、

  何も言わなかった」


 「……うん」


 「怒られもしなかった」

 「……うん」


 「でも」

 真白は、

 陽を見る。

 「全部、

  私のことになった」


 それが、

 彼女の初めての実感だった。



 「陽くん」

 「なに」

 「これってさ」


 真白は、

 少し言葉を探してから、

 続けた。


 「“間違えた人”が

  悪いんじゃなくて」

 「……」

 「“助けられなかった人”が

  いなかったことに

  されてるだけだよね」


 その言葉に、

 陽は、息を止めた。


 ――同じところに、

 辿り着いている。



 「……そう思う」

 陽は、

 ゆっくり答えた。


 真白は、

 ほんの少しだけ、

 安心した顔をした。


 「やっぱり」

 「……なにが」

 「私だけ、

  変になったんじゃないって」


 変。


 この世界で、

 一番怖い評価。



 昼休み。


 二人は、

 同じテーブルについた。


 誰も、止めない。

 誰も、促さない。


 それが、

 新しい“自由”。


 だが、

 周囲の会話は、

 微妙に二人を避けて流れる。



 「ねえ」

 真白が言う。

 「もしさ」

 「……うん」

 「最初から、

  誰も守らない世界だったら」


 もし。


 「……どうなってたと思う?」

 「……分からない」


 陽は、

 正直に言った。


 「でも」

 「……」

 「今より、

  分かりやすかったかも」


 真白は、

 苦く笑った。


 「守ってるふり、

  しなくていいもんね」



 放課後。


 篠宮が、

 遠くから二人を見ていた。


 近づかない。

 声をかけない。


 だが、

 目は逸らさない。


 ――同じ問いを持った人間が、

  増えた。


 それは、

 制度にとって、

 何より厄介だ。



 帰り道。


 真白が、

 ぽつりと言った。


 「私ね」

 「……なに」

 「もう、

  “正しい側”に

  戻れない気がする」


 「……うん」


 「でも」

 真白は、

 足を止める。

 「怖いのは、

  間違えることじゃない」


 「……」


 「間違えたって、

  言えなくなること」


 その言葉は、

 陽が、

 ずっと言葉にできなかったものだった。



 夜。


 陽は、ノートを開く。


 【今日、共有したこと】

 ・守られない責任

・助けない自由


 【気づいたこと】

・同じ問いを持つと、孤立は減る

・だが、目立つ


 【確信したこと】

・問いは、個人を越える


 最後に、

 静かに書く。


 ・これは、もう俺だけの話じゃない。


 問いは、

 連鎖する。


 そして、

 連鎖した問いは、

 必ずどこかで

 制度に触れる。


 次に揺れるのは、

 教室か。

 学校か。

 それとも――。


 陽は、

 ノートを閉じた。


 最終章は、

 もう、始まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る