第22話 「いい子のまま、困らせる」
最初の実践は、拍子抜けするほど簡単だった。
だからこそ、
あとから効いてくる。
*
その日は、週二回の面談の日だった。
第三相談室。
東堂と向かい合う。
いつも通りの配置。
いつも通りの空気。
「こんにちは、神代くん」
「……こんにちは」
「では、始めましょう」
ここまでは、
完璧な“いつも通り”。
*
「最近、不安定な出来事はありましたか?」
「……分かりません」
東堂のペンが、止まった。
「分かりません、というのは?」
「自分では、判断できなくて」
声は、穏やか。
態度も、協力的。
拒否していない。
反抗もしていない。
ただ――
判断を、渡した。
*
「判断できない、という状態が」
東堂は、慎重に言葉を選ぶ。
「不安定さの表れかもしれませんね」
来る。
そう思った。
「そうなんですね」
陽は、素直に頷く。
「じゃあ、どう判断すればいいですか」
東堂の視線が、
一瞬だけ泳いだ。
*
「……状況を整理しましょう」
「はい」
「最近、誰かと衝突しましたか?」
「分かりません」
「強い感情を向けましたか?」
「分かりません」
「考え込みすぎていませんか?」
「……それも、分かりません」
すべての質問に、
同じ答え。
分からない。
*
それは、
拒否ではない。
だが、
前に進まない。
*
「神代くん」
東堂は、声の調子を少し変えた。
「分からない、という答えが続くと、
こちらも判断が難しくなります」
難しくなる。
「そうなんですね」
陽は、困ったように眉を下げる。
「じゃあ……どう答えればいいですか」
久我の言葉が、
頭の中で反響する。
――決定権を渡す。
*
東堂は、
タブレットを見下ろした。
沈黙。
「……具体的な出来事を思い出して」
「はい」
「それを、そのまま話してください」
そのまま。
「……昨日、昼休みに一人で食べました」
「それについて、どう感じましたか?」
「分かりません」
「不安は?」
「分かりません」
堂々巡り。
*
東堂は、
ついに入力を止めた。
カツ、という音が、
鳴らない。
「……今日は、少し時間をおきましょう」
「……はい」
「自分の状態を、
もう少し整理してから、
また話しましょう」
整理。
だが、
方向が示されなかった。
*
相談室を出た瞬間、
陽は気づいた。
――初めて、
「次の指示」がなかった。
*
午後。
保護委員の女子が、
いつも通り声をかけてくる。
「神代くん、
今日の面談どうだった?」
「分かりません」
「……え?」
「自分では、判断できなくて」
彼女は、
明らかに戸惑った。
「……先生には、
何て言われたの?」
「整理してから、
また話そうって」
それだけ。
それ以上、
踏み込めない。
*
放課後。
椎名が、
職員室前で声をかけてきた。
「神代」
「はい」
「最近、
答えが曖昧ね」
曖昧。
「……すみません」
「謝る必要はないわ」
「……」
「でも」
椎名は、
ほんの少しだけ困った顔をする。
「判断材料が、集めにくい」
集めにくい。
それは、
管理者側の言葉だった。
*
「どうしたら、
集めやすいですか」
陽は、
穏やかに聞いた。
椎名は、
答えに詰まった。
「……それを、
今、一緒に考えているの」
考えている。
初めて、
向こうが“考える側”になった。
*
帰り道。
篠宮が、
小さく言った。
「……やったな」
「……分かる?」
「分かるよ」
篠宮は、
視線を逸らしながら続ける。
「今日、
先生たち、
お前の話してた」
陽の胸が、
わずかに締まる。
「怒ってた?」
「いや……」
「……」
「困ってた」
その一言で、
全てが分かった。
*
夜。
ノートを開く。
【やったこと】
・判断を渡した
・分からないと言った
【起きたこと】
・指示が止まった
・記録が減った
・困らせた
【考えたこと】
・従順は、時に武器になる
・判断を奪われた人は、判断を要求する
・不具合は、静かに効く
最後に、
ゆっくり書く。
・二センチ目。
まだ、
外れてはいない。
だが、
首輪は、
もう“ぴったり”ではない。
その隙間に、
空気が入った。
次は、
この空気が、
誰の目に見えるか。
それが、
次の局面を決める。
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