第20話 「戻そうとする手」
変化は、注意としては現れなかった。
だから、最初は気づきにくい。
*
翌朝。
昇降口で、靴を履き替えていると、
椎名が声をかけてきた。
「神代」
名前だけ。
呼び止めるほどでもない距離。
「最近、面談どう?」
「……問題ありません」
即答。
椎名は、少しだけ微笑んだ。
「そう」
「……はい」
それだけで会話は終わる。
だが、確認は完了している。
*
一限目の途中、
教室の後ろの扉が、静かに開いた。
保護委員の教師。
名簿を手に、視線だけを走らせる。
陽のところで、
一瞬、止まる。
――在席。
それだけで、
閉じられた。
*
休み時間。
保護委員の女子が、
前よりも自然な笑顔で近づいてくる。
「昨日さ」
「……なに」
「一人で食べるって言ってたよね」
責める口調ではない。
確認だ。
「うん」
「嫌なこと、あった?」
嫌なこと。
理由を、要求している。
「……特に」
「そっか」
彼女は頷いたが、
引き下がらない。
「でもね」
「……」
「“理由がない孤立”って、
誤解されやすいんだよ」
誤解。
いつもの言葉。
「心配されちゃう」
「……そう」
その「そう」は、
同意ではない。
*
昼休み。
陽は、いつもより人の多い席に座った。
自分で選んだ、
“安全な場所”。
それでも、
保護委員は近くにいる。
距離は、三席。
――監視ではない。
――見守りだ。
*
放課後。
週二回の面談。
東堂は、
いつもより丁寧だった。
「最近、
自分で判断する場面が
増えていませんか?」
穏やかな声。
「……必要な範囲で」
「“必要”という基準は、
誰が決めていますか?」
来た。
「……俺です」
一瞬、
空気が止まる。
だが、
東堂は微笑んだ。
「そうですね」
「……」
「だからこそ、
確認が必要になる」
確認。
すべては、そこに戻る。
*
「神代くん」
東堂は、
タブレットを操作しながら言う。
「あなたは、
“自立したい”と
考え始めているように見えます」
見えます。
事実ではない。
印象だ。
「それ自体は、
悪いことではありません」
「……」
「ただし」
必ず、来る。
「段階を飛ばすと、
自分も、周囲も、
傷つけてしまう」
段階。
誰が決めた?
「ですから」
東堂は、
静かに結論を置く。
「“自分で決めた”という表現は、
今後、控えましょう」
控える。
言葉を。
*
「代わりに」
「……」
「“相談したうえで決めた”
という形にすると、
周囲も安心します」
形。
中身ではない。
「……分かりました」
陽は、
その言葉を選んだ。
だが、
心の中で、
静かに線を引く。
――従うが、戻らない。
*
帰り道。
篠宮が、
小さく言った。
「来てるな」
「……うん」
「戻そうとしてる」
陽は、
頷いた。
「でも」
篠宮は続ける。
「完全には、
戻ってない」
それが、
唯一の救いだった。
*
夜。
ノートを開く。
【起きたこと】
・理由を求められた
・言葉を指定された
・“自立”が危険扱い
【考えたこと】
・圧力は、柔らかくなるほど強い
・戻す力は、ズレを前提にしている
・完全な従順だけが、安定
最後に、
静かに書く。
・一センチは、もう見つかった。
次は、
二センチ目をどう作るか。
陽は、
目を閉じた。
小さなズレは、
もう、
“個人の違和感”ではない。
それは、
修正対象になった。
それでも。
修正される前に、
できることは、
まだ残っている。
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