第17話 「指導という名の確認」

 それは「処分」ではなかった。


 だからこそ、逃げ場がなかった。



 放課後、陽は呼び出された。


 場所は職員室――ではない。

 第三相談室でもない。


 会議室だった。


 長机が一つ。

 椅子が三つ。

 水の入った紙コップが、きっちり等間隔に置かれている。


 すでに二人、座っていた。


 担任の椎名。

 そして、東堂。


 外部カウンセラーと担任。

 この組み合わせが意味するものを、

 陽は理解してしまっていた。


 「座ってください、神代」


 苗字。

 敬称なし。



 「今日は、確認の場です」


 椎名が口火を切る。


 「何かを罰するためではありません」

 「……はい」

 「あなた自身を守るためです」


 その言葉は、

 何度も聞いてきた。


 東堂が、静かに資料を開く。


 紙が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。



 「神代くん」

 東堂が言う。

 「最近、いくつか“気になる点”が重なりました」


 気になる点。


 「質問が増えていること」

 「周囲に不安を与える発言があったこと」

「そして――」


 一瞬、間が置かれる。


 「自分の状態を、

  他者と共有することを、

  無意識に避けていること」


 無意識。


 「……避けているつもりは」

 陽は言いかけて、止めた。


 途中で止める癖が、

 もう染みついている。



 「ここで、確認します」

 椎名は、穏やかに言った。


 「あなたは、

  今の学校生活に、

  不満がありますか?」


 不満。


 この問いには、

 答えが二つあるようで、

 実際は一つしかない。


 「……ありません」


 正解。


 二人は、同時に頷いた。



 「では」

 東堂が続ける。

 「あなたは、

  今の支援体制を、

  必要だと感じていますか?」


 必要。


 「……はい」


 正解。


 カリ、とペンが動く。



 「ありがとうございます」

 椎名が微笑む。

 「あなたは、

  とても協力的です」


 協力的。


 それは、

 「従順」とは言わないための、

 上等な言葉だ。



 「そこで」

 東堂は、淡々と続ける。

 「今後の方針として、

  一つ、提案があります」


 提案。


 「神代くんには、

  一定期間、

  “指導対象”として

  フォローを強化したい」


 指導対象。


 「面談頻度の増加」

「校内での行動確認」

「必要に応じた、

  第三者の同席」


 一つひとつは、

 どれも穏やかな言葉だ。


 だが、

 組み合わさると、

 はっきりした形になる。


 ――監督。



 「……それは」

 陽は、ゆっくりと聞いた。

 「拒否できますか」


 空気が、わずかに張る。


 椎名が、すぐに答えた。


 「できます」

 「……本当に?」

 「ただし」


 来た。


 「拒否の理由を、

  私たちが理解できる形で、

  説明する必要があります」


 理解できる形。


 それは、

 正解の形、という意味だ。



 陽は、思った。


 ここで拒否すれば、

 それは「問題」として記録される。


 受け入れれば、

 行動の自由はさらに狭まる。


 だが――。


 「……受けます」


 声は、静かだった。


 「ありがとうございます」

 東堂は、即座に言う。

 「これは、あなたのためです」


 その言葉は、

 もう、何も残さなかった。



 会議室を出ると、

 廊下がやけに長く感じられた。


 窓の外では、

 部活の声が聞こえる。


 いつも通りの放課後。

 何も変わっていない。


 それなのに。


 陽は、

 自分の背中に、

 見えない線が引かれた感覚を覚えた。


 ここから先は、

  一人で歩く場所じゃない。



 教室に戻ると、

 誰も、何も聞かなかった。


 それが、

 最も完成された配慮だった。


 篠宮と、目が合う。


 彼は、ほんの一瞬、

 首を横に振った。


 ――言うな。


 その合図に、

 陽は小さく頷いた。



 夜。


 ノートを開く。


 【言ったこと】

 ・不満はありません

・必要だと思います

・受けます


 【決まったこと】

・指導対象

・監督

・説明責任


 【考えたこと】

・拒否は権利だが、実行は罪

・協力は安全だが、自由ではない

・「ため」は、誰のためか


 ページの最後に、

 静かに書く。


 ・これで、はっきりした。


 何が起きているのか。

 何が守られているのか。

 そして――

 何が、失われているのか。


 これは、指導ではない。


 逸脱を、

  発生前に無効化するための、

  仕組みだ。


 陽は、ノートを閉じた。


 次に踏み出す一歩は、

 もう、

 無自覚では済まない。


 それでも、

 歩くかどうかは――

 まだ、自分で決めていた。

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