第12話 「線の内側」
翌週から、校内の掲示物が少しだけ変わった。
目立つほどではない。
誰かがざわつくほどでもない。
だが、確実に――言葉が増えている。
『男子生徒の自己判断に関するガイドライン』
『安心のための相談フロー再確認』
『独断行動を防ぐために』
独断。
その単語が、
陽の目にだけ、やけに強く映った。
*
朝のHR。
椎名は、柔らかい笑顔でこう言った。
「最近、学校としても、
生徒一人ひとりの“安全な成長”を
より丁寧に見守っていく方針になりました」
見守る。
「特に、自分で考えすぎてしまうタイプの子には、
早めに声をかけるようにしています」
考えすぎる。
それは、悪い癖の名前として使われる。
「困っていなくても、
困る前に」
その言葉に、
クラスの何人かが、無意識に陽を見た。
*
昼休み。
陽は、夏目に呼ばれた。
場所は、食堂の端。
人が多く、
しかし、話の内容までは聞かれない。
「神代くん」
「……なに」
「最近、相談の頻度、減ってない?」
頻度。
「……必要ないと思ったから」
「そう言うと思った」
夏目は、ため息のように息を吐く。
「でもね、それ、誤解されやすい」
「……誰に」
「“見てる側”に」
見てる側。
それが、誰なのかは、言われなくても分かる。
「神代くんは、もう“特別対応枠”に入ってる」
「……枠?」
「心配枠、って言ったほうが分かりやすいかな」
心配枠。
それは、
守られる名目で囲われる場所。
「だからね」
夏目は、真剣な目で言う。
「今は、余計なこと、考えないほうがいい」
余計。
「余計なことって?」
「……外の価値観とか」
久我の顔が、脳裏に浮かぶ。
「それ、危ない」
夏目は、低い声で言った。
「学校としても、気にしてる」
*
放課後、保護委員会の通知が届いた。
【神代 陽さん
今後のサポート計画について
定期面談を週一回実施します】
週一。
“問題ありません”と言われたはずなのに。
陽は、スマホを閉じた。
これは、罰ではない。
制限でもない。
――“丁寧な対応”だ。
*
その日の帰り道、
篠宮が、ぽつりと言った。
「……増えたな」
「……なにが」
「線」
篠宮は、周囲を確認してから続ける。
「話していいことと、
言わないほうがいいこと」
それは、
彼が一番よく知っている境界だった。
「神代」
篠宮は、小さく言う。
「お前、どっち側にいるつもりだ」
どっち側。
「……分からない」
「だろうな」
篠宮は、少しだけ笑った。
「分からないって言えるうちは、
まだ線の内側だ」
その言葉が、
奇妙に現実的だった。
*
夜、陽はノートを開いた。
【言ったこと】
・大丈夫
・考えすぎない
・学校に任せます
【考えたこと】
・線は誰が引いている
・守られているのか、囲われているのか
・外を考えるだけで“余計”になる理由
ページの下に、
新しい一文を書く。
・線の外に出たら、何が起きる?
それは、
問いであると同時に、
ほとんど宣言だった。
*
翌朝。
校門の前で、
久我の姿を探している自分に気づいて、
陽は立ち止まった。
――まだ、来ていない。
――でも、もう知ってしまった。
線の内側は、安全だ。
しかし、
安全であることが、
思考を条件付きにする。
この学校で、
自由とは、
選べることではなく、
選ばなくていいことなのだ。
陽は、深く息を吸って、校門をくぐった。
その背中に、
何重もの“見守り”の視線が、
静かに重なっていく。
それでも。
線の存在を知ってしまった以上、
もう以前と同じ場所には立てない。
陽は、
初めてそう確信していた。
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