第12話 「線の内側」

翌週から、校内の掲示物が少しだけ変わった。


 目立つほどではない。

 誰かがざわつくほどでもない。

 だが、確実に――言葉が増えている。


 『男子生徒の自己判断に関するガイドライン』

 『安心のための相談フロー再確認』

 『独断行動を防ぐために』


 独断。


 その単語が、

 陽の目にだけ、やけに強く映った。



 朝のHR。


 椎名は、柔らかい笑顔でこう言った。


 「最近、学校としても、

  生徒一人ひとりの“安全な成長”を

  より丁寧に見守っていく方針になりました」


 見守る。


 「特に、自分で考えすぎてしまうタイプの子には、

  早めに声をかけるようにしています」


 考えすぎる。


 それは、悪い癖の名前として使われる。


 「困っていなくても、

  困る前に」


 その言葉に、

 クラスの何人かが、無意識に陽を見た。



 昼休み。


 陽は、夏目に呼ばれた。


 場所は、食堂の端。

 人が多く、

 しかし、話の内容までは聞かれない。


 「神代くん」

 「……なに」

 「最近、相談の頻度、減ってない?」


 頻度。


 「……必要ないと思ったから」

 「そう言うと思った」


 夏目は、ため息のように息を吐く。


 「でもね、それ、誤解されやすい」

 「……誰に」

 「“見てる側”に」


 見てる側。


 それが、誰なのかは、言われなくても分かる。


 「神代くんは、もう“特別対応枠”に入ってる」

 「……枠?」

 「心配枠、って言ったほうが分かりやすいかな」


 心配枠。


 それは、

 守られる名目で囲われる場所。


 「だからね」

 夏目は、真剣な目で言う。

 「今は、余計なこと、考えないほうがいい」


 余計。


 「余計なことって?」

 「……外の価値観とか」


 久我の顔が、脳裏に浮かぶ。


 「それ、危ない」

 夏目は、低い声で言った。

 「学校としても、気にしてる」



 放課後、保護委員会の通知が届いた。


 【神代 陽さん

  今後のサポート計画について

  定期面談を週一回実施します】


 週一。


 “問題ありません”と言われたはずなのに。


 陽は、スマホを閉じた。


 これは、罰ではない。

 制限でもない。


 ――“丁寧な対応”だ。



 その日の帰り道、

 篠宮が、ぽつりと言った。


 「……増えたな」

 「……なにが」

 「線」


 篠宮は、周囲を確認してから続ける。


 「話していいことと、

  言わないほうがいいこと」


 それは、

 彼が一番よく知っている境界だった。


 「神代」

 篠宮は、小さく言う。

 「お前、どっち側にいるつもりだ」


 どっち側。


 「……分からない」

 「だろうな」


 篠宮は、少しだけ笑った。


 「分からないって言えるうちは、

  まだ線の内側だ」


 その言葉が、

 奇妙に現実的だった。



 夜、陽はノートを開いた。


 【言ったこと】

 ・大丈夫

 ・考えすぎない

 ・学校に任せます


 【考えたこと】

 ・線は誰が引いている

 ・守られているのか、囲われているのか

 ・外を考えるだけで“余計”になる理由


 ページの下に、

 新しい一文を書く。


 ・線の外に出たら、何が起きる?


 それは、

 問いであると同時に、

 ほとんど宣言だった。



 翌朝。


 校門の前で、

 久我の姿を探している自分に気づいて、

 陽は立ち止まった。


 ――まだ、来ていない。

 ――でも、もう知ってしまった。


 線の内側は、安全だ。

 しかし、

 安全であることが、

 思考を条件付きにする。


 この学校で、

 自由とは、

 選べることではなく、

 選ばなくていいことなのだ。


 陽は、深く息を吸って、校門をくぐった。


 その背中に、

 何重もの“見守り”の視線が、

 静かに重なっていく。


 それでも。


 線の存在を知ってしまった以上、

 もう以前と同じ場所には立てない。


 陽は、

 初めてそう確信していた。

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