第11話 「対象外」

その人は、予告なく現れた。


 放課後のHRが終わり、教室がばらけ始めた頃。

 椎名が一人の女性を連れて入ってきた。


 「少しだけ時間をください」


 女性は、学校の職員ではなかった。

 スーツでもなく、私服でもなく、どこか中途半端な服装。

 年齢は二十代後半くらい。


 「卒業生の方です」

 椎名が紹介する。

 「今日は、進路講話の一環として――」


 その言葉に、生徒たちは気の抜けた反応を見せた。

 進路講話。

 聞き流していいやつ。


 だが、陽は違和感を覚えた。


 この人、

 こちらを見る目が違う。



 講話は短かった。


 「私は、ここを卒業してから、少し遠回りをしました」


 淡々とした口調。

 成功談でも、失敗談でもない。


 「今日は、“安全な選択”の話をしに来たわけじゃありません」

 そこで、教室が少しだけざわつく。


 「むしろ、その逆です」


 椎名が、わずかに眉を動かす。


 「皆さんは、たくさん守られてきたと思います」

 「それは、とても恵まれていることです」


 ――正解だ。


 だが、次の言葉は違った。


 「でも、守られている間に、

  自分で選ぶ練習をしなかった人は、

  外に出た瞬間、何も選べなくなります」


 空気が、静まった。


 「それは、誰かのせいじゃない」

 「ただ、準備がなかっただけ」


 椎名が、咳払いをした。


 「……今日は、ここまでにしましょう」

 「え?」

 「時間の都合で」


 女性は、軽く肩をすくめた。


 「そうですね。

  この話は、対象外の人には、あまり意味がないかも」


 対象外。


 その言葉が、

 陽の胸に、静かに刺さった。



 放課後、陽はその女性を追いかけた。


 校舎の外。

 門の近く。


 「……あの」


 女性は振り返り、陽を見る。


 「なに?」

 「さっきの話……」


 どう続けるべきか、分からない。

 正解の言葉が、出てこない。


 「分からなかった?」

 「……違います」


 陽は、正直に言った。


 「分かりすぎて、困りました」


 女性は、一瞬だけ目を細めてから、笑った。


 「そっか」

 「……俺、間違ってますか」

 「どの立場で?」


 その返しに、言葉が詰まる。


 「学校的に?」

 女性は続ける。

 「それとも、自分的に?」


 自分的に。


 その選択肢を、

 陽は久しく使っていなかった。


 「……自分的に」

 「じゃあ、間違ってない」


 即答だった。


 「でも、正解でもない」

 「……」

 「ただ、“考えてる人”なだけ」


 考えている人。


 「それって……危ないですか」

 陽は、思わず聞いた。


 女性は、少しだけ真剣な顔になった。


 「この場所ではね」


 はっきりした答えだった。



 「名前、聞いてもいいですか」

 「……久我(くが)」


 苗字だけ。


 「私はね」

 久我は言った。

 「ここを出てから、

  “対象外”になった人」


 対象外。


 「守られなくなったってことですか」

 「守られないし、

  管理もされない」


 それは、

 この学校では、

 ほとんど“想像できない状態”だった。


 「怖くないですか」

 「怖いよ」


 久我は、はっきり言う。


 「でもね」

 「……」

 「怖さを、誰かのせいにしなくていい」


 その言葉は、

 今まで陽が聞いてきた

 どんな“安心”よりも、

 重かった。



 「忠告しとく」

 久我は、校門の外を指さす。

 「君、今ちょうど境目にいる」


 境目。


 「正解を話し続ければ、

  この中で安全に生きられる」

 「……」

「でも、考え続けるなら、

  いずれ、

  “対象外”になる」


 陽は、門の内側と外側を見比べた。


 内側は、静かで、整っている。

 外側は、雑音が多く、分からない。


 「……どっちが、正しいですか」

 陽は聞いた。


 久我は、少し笑った。


 「まだ、そんな質問してる」


 そして、こう言った。


 「正しいかどうかは、

  出てから決めな」



 久我は去っていった。


 校門の外へ。

 振り返らずに。


 陽は、その背中を見送りながら、

 初めてはっきりと理解した。


 この学校は、

 守る場所であると同時に、

  外を想像させない場所なのだ。


 そして自分は今、

 外を想像してしまった。


 それだけで、

 もう戻れない何かが、

 静かに始まっている。


 夕方の校門は、

 いつもと同じ景色だった。


 だが、

 陽にとっては、

 初めて“出口”に見えた。

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