第11話 「対象外」
その人は、予告なく現れた。
放課後のHRが終わり、教室がばらけ始めた頃。
椎名が一人の女性を連れて入ってきた。
「少しだけ時間をください」
女性は、学校の職員ではなかった。
スーツでもなく、私服でもなく、どこか中途半端な服装。
年齢は二十代後半くらい。
「卒業生の方です」
椎名が紹介する。
「今日は、進路講話の一環として――」
その言葉に、生徒たちは気の抜けた反応を見せた。
進路講話。
聞き流していいやつ。
だが、陽は違和感を覚えた。
この人、
こちらを見る目が違う。
*
講話は短かった。
「私は、ここを卒業してから、少し遠回りをしました」
淡々とした口調。
成功談でも、失敗談でもない。
「今日は、“安全な選択”の話をしに来たわけじゃありません」
そこで、教室が少しだけざわつく。
「むしろ、その逆です」
椎名が、わずかに眉を動かす。
「皆さんは、たくさん守られてきたと思います」
「それは、とても恵まれていることです」
――正解だ。
だが、次の言葉は違った。
「でも、守られている間に、
自分で選ぶ練習をしなかった人は、
外に出た瞬間、何も選べなくなります」
空気が、静まった。
「それは、誰かのせいじゃない」
「ただ、準備がなかっただけ」
椎名が、咳払いをした。
「……今日は、ここまでにしましょう」
「え?」
「時間の都合で」
女性は、軽く肩をすくめた。
「そうですね。
この話は、対象外の人には、あまり意味がないかも」
対象外。
その言葉が、
陽の胸に、静かに刺さった。
*
放課後、陽はその女性を追いかけた。
校舎の外。
門の近く。
「……あの」
女性は振り返り、陽を見る。
「なに?」
「さっきの話……」
どう続けるべきか、分からない。
正解の言葉が、出てこない。
「分からなかった?」
「……違います」
陽は、正直に言った。
「分かりすぎて、困りました」
女性は、一瞬だけ目を細めてから、笑った。
「そっか」
「……俺、間違ってますか」
「どの立場で?」
その返しに、言葉が詰まる。
「学校的に?」
女性は続ける。
「それとも、自分的に?」
自分的に。
その選択肢を、
陽は久しく使っていなかった。
「……自分的に」
「じゃあ、間違ってない」
即答だった。
「でも、正解でもない」
「……」
「ただ、“考えてる人”なだけ」
考えている人。
「それって……危ないですか」
陽は、思わず聞いた。
女性は、少しだけ真剣な顔になった。
「この場所ではね」
はっきりした答えだった。
*
「名前、聞いてもいいですか」
「……久我(くが)」
苗字だけ。
「私はね」
久我は言った。
「ここを出てから、
“対象外”になった人」
対象外。
「守られなくなったってことですか」
「守られないし、
管理もされない」
それは、
この学校では、
ほとんど“想像できない状態”だった。
「怖くないですか」
「怖いよ」
久我は、はっきり言う。
「でもね」
「……」
「怖さを、誰かのせいにしなくていい」
その言葉は、
今まで陽が聞いてきた
どんな“安心”よりも、
重かった。
*
「忠告しとく」
久我は、校門の外を指さす。
「君、今ちょうど境目にいる」
境目。
「正解を話し続ければ、
この中で安全に生きられる」
「……」
「でも、考え続けるなら、
いずれ、
“対象外”になる」
陽は、門の内側と外側を見比べた。
内側は、静かで、整っている。
外側は、雑音が多く、分からない。
「……どっちが、正しいですか」
陽は聞いた。
久我は、少し笑った。
「まだ、そんな質問してる」
そして、こう言った。
「正しいかどうかは、
出てから決めな」
*
久我は去っていった。
校門の外へ。
振り返らずに。
陽は、その背中を見送りながら、
初めてはっきりと理解した。
この学校は、
守る場所であると同時に、
外を想像させない場所なのだ。
そして自分は今、
外を想像してしまった。
それだけで、
もう戻れない何かが、
静かに始まっている。
夕方の校門は、
いつもと同じ景色だった。
だが、
陽にとっては、
初めて“出口”に見えた。
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