第10話 「善意の疑い方」
異変は、昼休みの終わり頃だった。
教室に戻ると、真白の席が空いていた。
スマホも、筆箱も、机の中にそのまま残っている。
「……真白さん?」
誰かが小さく呟く。
担任の椎名は、まだ来ていない。
代わりに、クラスの空気が、じわりと動き始めていた。
「さっき、呼ばれてたよ」
「どこに?」
「相談室。第二」
第二相談室。
第三よりも奥で、
より“個別”な場所。
*
昼休み明け、椎名はいつも通りに入ってきた。
「出席を取ります」
名前が呼ばれていく。
「……真白」
返事はない。
椎名は、ほんの一瞬だけ間を置いてから言った。
「欠席扱いにします」
それだけだった。
理由は説明されない。
誰も質問しない。
ただ、
“何かが起きた”
という事実だけが、共有される。
*
放課後。
陽は、廊下で夏目に呼び止められた。
「神代くん」
「……なに」
「真白さんの件、聞いた?」
件。
「少し」
「そう……」
夏目は、言葉を選ぶように続ける。
「管理って、難しいよね」
「……管理?」
「相手のためを思ってやってても、
“行き過ぎ”になること、あるから」
行き過ぎ。
「……真白が?」
「まだ、何も決まってないわ」
そう言いながら、
夏目の声は、どこか既に結論を含んでいた。
「でも、陽くんも知ってるでしょう」
「……」
「善意でも、
相手の判断を奪ったら、
それは問題になる」
その言葉は、
これまで陽が向けられてきたものと、
寸分違わなかった。
*
その日の夕方、
クラスのグループチャットが、静かに更新された。
『真白さん、しばらく来られないみたい』
『疲れが出ちゃったのかな』
『責任感強いから……』
責任感。
『でも、ちょっと心配だよね』
『距離感、難しいし』
誰も、彼女を責めていない。
だが同時に、
誰も、彼女を完全には擁護していない。
その扱いに、
陽は既視感を覚えた。
*
翌日。
真白は、登校してきた。
顔色は悪くない。
制服も整っている。
ただ、表情が少しだけ違った。
――慎重。
教室に入ると、
何人かが一瞬だけ視線を向け、
すぐに逸らした。
篠宮のときと、同じだ。
「……おはよう」
真白の声は、いつもより低かった。
「おはよう」
返す声は、揃っている。
揃いすぎている。
*
休み時間。
陽は、真白に声をかけた。
「……大丈夫?」
「うん」
その返事は、
以前、篠宮が使っていたものと同じだった。
「整理、できたから」
整理。
その単語を聞いた瞬間、
陽の中で、何かがはっきり繋がった。
*
昼休み、校舎裏。
人の少ない場所。
だが、完全に無人ではない。
真白は、壁に背を預けて言った。
「……私、行き過ぎてたんだって」
「……」
「善意でも、
相手の自由を奪うことがあるって」
その言葉は、
教科書通りだった。
「……納得してる?」
陽は、慎重に聞いた。
真白は、一瞬だけ黙った。
「……しなきゃ、いけない」
その答えを、
陽は聞いたことがあった。
「私、守ってあげてるつもりだった」
真白は、視線を落とす。
「でも、それが“支配”に見えたなら……」
支配。
その言葉が、
こんなにも軽く使われることに、
陽は息を詰まらせた。
「……誰が言った?」
「専門の人」
外部。
「“あなたは正しいことをしている”って」
「……」
「でも、“正しいやり方じゃない”って」
正しいが、正しくない。
「だから、しばらく距離を取る」
真白は、静かに言った。
「陽くんのためにも」
その瞬間、
陽は理解した。
――善意は、常に正しい。
――間違うのは、“やり方”だけ。
だから、
誰も責任を取らない。
*
放課後。
陽は、校舎の窓に映る自分を見た。
落ち着いた顔。
問題のない態度。
正解を話す口。
そして、
真白も、篠宮も、
同じ顔をしていた。
「……同じだ」
誰かを守る側も、
守られる側も、
結局は同じ場所に戻される。
――“正しい形”に。
*
帰り道、
真白は言った。
「陽くん」
「なに」
「私たち、
ちゃんとしてたんだよね」
ちゃんとしてた。
その言葉に、
陽は、初めて即答できなかった。
「……そうだね」
そう答えた自分の声が、
やけに遠く感じられた。
その夜、
陽はノートを開いた。
【言ったこと】
・大丈夫
・整理できた
・ちゃんとしてた
【考えたこと】
・善意は誰のものか
・正しさは誰が決めるのか
・拒否も、管理も、同じ形で処理される
ページの下に、
新しい一文を書いた。
・次は、誰だ。
その問いに、
答えはまだない。
だが一つだけ、
確かなことがあった。
この世界では、
間違うことより、
違うことのほうが危険なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます