第10話 「善意の疑い方」

 異変は、昼休みの終わり頃だった。


 教室に戻ると、真白の席が空いていた。

 スマホも、筆箱も、机の中にそのまま残っている。


 「……真白さん?」


 誰かが小さく呟く。


 担任の椎名は、まだ来ていない。

 代わりに、クラスの空気が、じわりと動き始めていた。


 「さっき、呼ばれてたよ」

 「どこに?」

 「相談室。第二」


 第二相談室。


 第三よりも奥で、

 より“個別”な場所。



 昼休み明け、椎名はいつも通りに入ってきた。


 「出席を取ります」


 名前が呼ばれていく。


 「……真白」


 返事はない。


 椎名は、ほんの一瞬だけ間を置いてから言った。


 「欠席扱いにします」


 それだけだった。


 理由は説明されない。

 誰も質問しない。


 ただ、

 “何かが起きた”

 という事実だけが、共有される。



 放課後。


 陽は、廊下で夏目に呼び止められた。


 「神代くん」

 「……なに」

 「真白さんの件、聞いた?」


 件。


 「少し」

 「そう……」


 夏目は、言葉を選ぶように続ける。


 「管理って、難しいよね」

 「……管理?」

 「相手のためを思ってやってても、

  “行き過ぎ”になること、あるから」


 行き過ぎ。


 「……真白が?」

 「まだ、何も決まってないわ」


 そう言いながら、

 夏目の声は、どこか既に結論を含んでいた。


 「でも、陽くんも知ってるでしょう」

 「……」

 「善意でも、

  相手の判断を奪ったら、

  それは問題になる」


 その言葉は、

 これまで陽が向けられてきたものと、

 寸分違わなかった。



 その日の夕方、

 クラスのグループチャットが、静かに更新された。


 『真白さん、しばらく来られないみたい』

『疲れが出ちゃったのかな』

『責任感強いから……』


 責任感。


 『でも、ちょっと心配だよね』

『距離感、難しいし』


 誰も、彼女を責めていない。

 だが同時に、

 誰も、彼女を完全には擁護していない。


 その扱いに、

 陽は既視感を覚えた。



 翌日。


 真白は、登校してきた。


 顔色は悪くない。

 制服も整っている。

 ただ、表情が少しだけ違った。


 ――慎重。


 教室に入ると、

 何人かが一瞬だけ視線を向け、

 すぐに逸らした。


 篠宮のときと、同じだ。


 「……おはよう」


 真白の声は、いつもより低かった。


 「おはよう」

 返す声は、揃っている。

 揃いすぎている。



 休み時間。


 陽は、真白に声をかけた。


 「……大丈夫?」

 「うん」


 その返事は、

 以前、篠宮が使っていたものと同じだった。


 「整理、できたから」


 整理。


 その単語を聞いた瞬間、

 陽の中で、何かがはっきり繋がった。



 昼休み、校舎裏。


 人の少ない場所。

 だが、完全に無人ではない。


 真白は、壁に背を預けて言った。


 「……私、行き過ぎてたんだって」

 「……」

 「善意でも、

  相手の自由を奪うことがあるって」


 その言葉は、

 教科書通りだった。


 「……納得してる?」

 陽は、慎重に聞いた。


 真白は、一瞬だけ黙った。


 「……しなきゃ、いけない」


 その答えを、

 陽は聞いたことがあった。


 「私、守ってあげてるつもりだった」

 真白は、視線を落とす。

 「でも、それが“支配”に見えたなら……」


 支配。


 その言葉が、

 こんなにも軽く使われることに、

 陽は息を詰まらせた。


 「……誰が言った?」

 「専門の人」


 外部。


 「“あなたは正しいことをしている”って」

 「……」

 「でも、“正しいやり方じゃない”って」


 正しいが、正しくない。


 「だから、しばらく距離を取る」

 真白は、静かに言った。

 「陽くんのためにも」


 その瞬間、

 陽は理解した。


 ――善意は、常に正しい。

 ――間違うのは、“やり方”だけ。


 だから、

 誰も責任を取らない。



 放課後。


 陽は、校舎の窓に映る自分を見た。


 落ち着いた顔。

 問題のない態度。

 正解を話す口。


 そして、

 真白も、篠宮も、

 同じ顔をしていた。


 「……同じだ」


 誰かを守る側も、

 守られる側も、

 結局は同じ場所に戻される。


 ――“正しい形”に。



 帰り道、

 真白は言った。


 「陽くん」

 「なに」

 「私たち、

  ちゃんとしてたんだよね」


 ちゃんとしてた。


 その言葉に、

 陽は、初めて即答できなかった。


 「……そうだね」

 そう答えた自分の声が、

 やけに遠く感じられた。


 その夜、

 陽はノートを開いた。


 【言ったこと】

 ・大丈夫

・整理できた

・ちゃんとしてた


 【考えたこと】

・善意は誰のものか

・正しさは誰が決めるのか

・拒否も、管理も、同じ形で処理される


 ページの下に、

 新しい一文を書いた。


 ・次は、誰だ。


 その問いに、

 答えはまだない。


 だが一つだけ、

 確かなことがあった。


 この世界では、

 間違うことより、

 違うことのほうが危険なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る