第6話 「それは違う」
拒否は、思っていたよりもあっけなく訪れた。
放課後、陽は真白に呼び止められた。
場所は、職員室前の廊下。人通りがあり、視線が集まる安全な場所。
「陽くん、ちょっと」
真白の声は穏やかだった。
だが、その背後に椎名がいるのを見て、陽の背中に冷たいものが走る。
「今、少し時間いい?」
椎名が言う。
「保護委員会から、確認したいことがあって」
確認。
その単語が出た瞬間、周囲の生徒たちがさりげなく距離を取った。
誰も露骨には見ない。
それでも、“何かが始まった”ことは伝わっている。
「神代くん」
椎名は、いつもの優しい声のままだった。
「最近、不安定な様子が見られるって、報告があったの」
報告。
「不安定……?」
「本人に自覚がない場合も多いのよ」
そう前置きしてから、椎名は続ける。
「真白さんが、あなたをとても心配している。
判断を一人で抱え込んでいないか、確認したいの」
真白は、陽を見ない。
代わりに、少しだけ俯いている。
「……俺」
陽は、喉の奥が乾くのを感じながら言った。
「俺、頼んでない」
一瞬、空気が止まった。
「頼んでない、って?」
椎名が、静かに聞き返す。
「管理されることも、説明されることも」
陽は、はっきりと言葉を選んだ。
「俺は、自分で考えたい」
廊下のざわめきが、消えた。
「それは……」
真白が、困ったように口を開く。
「陽くん、誤解してるよ。私は――」
「誤解してない」
声が、少しだけ震えた。
それでも、止めなかった。
「心配してくれてるのは分かる。でも……」
陽は、二人を見た。
「それが俺のためになるって、決めないでほしい」
椎名の表情が、ほんのわずかに変わる。
「神代くん」
声は優しいままだ。
「今の言い方は、少し攻撃的よ」
攻撃的。
「攻撃してるつもりはありません」
「でも、周囲を不安にさせる発言でもある」
不安。
「あなたが拒否することで、
“何か隠しているんじゃないか”
“判断力が落ちているんじゃないか”
そう感じる人もいるの」
その理屈は、整っていた。
拒否=不安要素。
拒否=問題の兆候。
「……それでも」
陽は言った。
「俺は、拒否します」
はっきりと。
*
その日のうちに、変化は現れた。
直接、何か言われることはない。
だが、話しかけられる回数が減る。
視線が、慎重になる。
「神代くん、大丈夫?」
その言葉の意味が、変わった。
以前は、心配だった。
今は、確認だ。
*
翌日、保健の授業。
教師が、何気ない調子で言った。
「自分で判断したがる傾向も、ストレスのサインです。
周囲の助言を拒む場合は、注意が必要ですね」
何人かが、陽の方を見た。
名指しはされない。
されないからこそ、逃げ場がない。
*
昼休み、真白が近づいてきた。
「陽くん……昨日のことだけど」
「うん」
「私、悪いことした?」
その問いは、ずるかった。
「悪いかどうかじゃない」
陽は、静かに答えた。
「俺が、嫌だって言っただけ」
真白は、唇を噛んだ。
「……でも、みんな心配するよ」
「それでも」
「守られないで、後悔したらどうするの」
後悔。
篠宮の顔が浮かぶ。
反省文。
消えた名前。
「後悔するかどうかは、俺が決める」
その瞬間、真白の目に、初めてはっきりとした感情が浮かんだ。
――恐怖。
「……そういう言い方」
真白は、かすかに声を震わせた。
「怖いよ」
怖い。
守る側が、怖がる。
「ごめん」
陽は言った。
「でも、引き下がれない」
真白は何も言わず、その場を離れた。
*
放課後、陽は職員室に呼ばれた。
「神代くん」
椎名は、机を挟んで向かいに座る。
「拒否する権利があることは、間違いないわ」
――来る。
「でもね」
やはり、来た。
「その権利を行使するには、“説明責任”が伴うの」
説明責任。
「あなたがなぜ拒否するのか。
その理由が“健全”であると、周囲が理解できなければならない」
健全。
「……理解されなかったら?」
「その場合は、専門家の判断を仰ぐことになるわ」
専門家。
カウンセリング。
保護。
言葉は柔らかい。
行き先は、一つしかない。
*
帰り道、陽は立ち止まった。
自分は、何をした?
怒鳴っていない。
触れていない。
規則を破っていない。
ただ、「嫌だ」と言っただけだ。
それだけで、
空気が変わり、
視線が変わり、
説明を求められる。
――これが、この世界のルール。
拒否は、自由じゃない。
拒否は、問題だ。
夕焼けの中、校門を出るとき、
陽はふと気づいた。
もう誰も、
「良い子」
とは言わなくなっていた。
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