第9話 私はまだ本当の地獄を知らなかった
「酷い
私の顔を見た鷹端蓮の第一声はそれだった。
午前2時。
チェーン店のうどん屋の店舗の清掃にやって来た。ひと段落ついたところで、私たちは駐車場で休憩していたのだった。
他の連中は店舗の前で、地べたに座って缶コーヒーを飲んだり、スマートフォンをいじったりと、思い思いに過ごしている。
そんな同僚たちから少し離れたところで、私と蓮は乗って来たワゴン車にもたれて話しているのだった。
ワゴン車がちょうど目隠しになっているため、私たちの姿は他の連中からは見えていないはずだ。
「化粧とかしねぇのかよ。女のクセに」
「大きなお世話だ。嫌なら見なきゃいいだろうが」
悪態をつきながら、サイドミラーに顔を写す。
確かに酷い顔をしている。
殴られた傷はいくぶんマシになって来ている。だが、顔の傷が癒えるのとは反対に、目の下のクマは日に日に濃くなっていくのだった。
実はここ数日、ほとんど眠れていない。
目をつぶってうつらうつらとするものの、すぐに覚醒してしまう。
あの女の顔が浮かんでくるのだ。
殺人を犯してからというもの、注意深くテレビやスマートフォンでチェックしている。だが、私が殺した女の話題は一切出てこない。
事件が明るみになっていないのなら、それに越したことはないが、何も情報がないのは、それはそれで落ち着かないものだった。
「ちゃんと回収してくれたんだろうな」
私はそう言って隣を見る。
ワゴン車にもたれていた蓮は、怪訝な表情を浮かべた。
「回収って一体なんの話だ」
私は「ふざけんな!」と蓮に詰め寄る。
「指示書にあった場所に捨てたジャージとか帽子のことだよ! アレには私のDNAがついたんだから、万が一サツに拾われたらヤバいだろ!」
蓮は「馬鹿!」と小声で言うと、自分の唇に人差し指を当てた。
「声を落とせ。他の連中に聞かれるだろ!」
すると離れたところで休憩してた中年親父たちから、囃し立てる声が上がる。
「おいおい、姉ちゃん。歯を立ててやるなよ!」
「坊主。早くイッても恥じゃねえからな!」
どうやら勘違いしているらしい。どこまで下衆な連中だ。
だが今の私には、馬鹿どもにかまっている余裕などなかった。
「話が違うじゃないか! 指示通りにやればうまくいくんじゃなかったのかよ!」
「落ち着け!」
蓮は私の腕を掴んで制圧するのだった。
「これは交換殺人だって言ったはずだぞ」
「知ってるよ。だがらお前が私のところの馬鹿を
蓮は苛立ったように、金色に染めた髪の毛をかきむしった。
この分からず屋め! と言いたかったのかもしれない。
「交換殺人ってモンをわかってねぇのかよ。よくそれで引き受けたな」
私は鼻の頭に皺を刻む。
蓮は「よく聞けよ」と、ことさら声を落とすのだった。
「俺とアンタはここで一緒に働いてるんだぞ。言わば『関係者』なんだ。
それなのにお互いの身内が揃って殺されたら、交換殺人だってバレるだろうが」
冷静になってみればその通りだ。
追い込まれ過ぎていて、そこまで頭が回らなかった。
だが、そうなると疑問が出て来る。
「じゃ、私のところの馬鹿を殺したのは誰だ? それに私が手にかけたあの女って一体……」
「知るかよ。俺たちのように、業者が雇った誰かだろ」
「業者!?」
思わず声が大きくなってしまった。私は慌てて自分の口に手を当てる。
「なんだよ業者って。聞いてないぞ」
「飲み屋で声をかけられたんだよ。『殺したい奴がいるみたいだな』って。
それで殺したい奴がいる人間をもう1人探して来たら、俺の方のクソを始末してくれるって言われたんだ。
で、ちょうどアンタを見つけたんで、声をかけたんだよ」
蓮は続ける。
「アンタの荷物を回収したのも、俺たちにまったく関係のない人間のはず──」
不意に、蓮は言葉を止める。
切れ長の視線は、私の腕を凝視しているのだった。
「その傷、どうしたんだ」
作業着の袖からガーゼが見えたのだろう。私は反対の手でガーゼを覆う。痛みはなくなったが、まだ傷は生々しさを保っている。
「女を殺すときに抵抗されたんだよ。引っ掻かれたんだ」
「ふざけんな!」
声は低く抑えてはいるものの、金髪の男の焦りは私にも伝わって来た。
「アンタ、ヘマしたんだな! どうすんだよ、そのせいで俺まで捕まったら殺すからな!」
「大したことじゃねえよ。そんなことより、業者っての何者なんだよ! その説明の方が先だろうが」
と、その時、蓮のスマートフォンが鳴る。
「知らない番号だ」
私たちは顔を見合わせる。
こんな時間に間違い電話?
その確率は、限りなくゼロに近いだろう。
蓮はスマートフォンに耳を当てる。私も頭を近づけて聞き耳を立てるのだった。
《よう》
しゃがれた男の声だ。
《新しい『仕事』が入ったから、明日の昼、こっちに来てくれ》
「アンタは誰だ!?」
蓮の問いかけに答える代わりに、しゃがれ声の男はさも楽しそうに言ったのだった。
《断ったらお前のお袋さんと、隣にいる女の娘がどうなるかわかってるよな?》
場所と時間はメールする、そう言って電話は切れられてしまう。
私は呆然とする蓮の胸ぐらをつかむ。
「どうなってんだよ。それに『仕事』ってまさか──」
嫌な予感しかしない。
だが、この時はまだ私は知らなかった。
これは単なるプロローグだということを。
本当の地獄はこれからなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます