第5話 クソヤローが死んだだけ

「何年振りだろうね、綾と出かけるなんて」



 母は腕に抱いた孫の日向ひまりに笑顔を向けた。



「楽しいね、みんなでお出かけするのは」



 日向は髪の毛をお団子にしてもらい、それがパンダのようだと朝からご機嫌だ。



 今も母の腕の中で、何が楽しいのか「キャッキャッ」と声を上げている。



 この日、母と娘と私の3人は、大型ショッピングモールに来ていた。



「楽しいね」



 母はまた繰り返した。



「そうだね……」


 私は申し訳ない気持ちから、母の顔を直視できなかった。

 そんな私の気持ちを敏感に察したのだろう。母は孫娘に向けるのと同じ笑みを、不出来な娘にも見せてくれるのだった。



「なに辛気臭い顔してんのよ。せっかく来たんだから、私たちも楽しまないと」



 そう言って母が目を向けた先には、人の波がある。

 日曜だからだろう。周りには私たちと同じような家族連れが多い。

 どの顔にも、平穏と笑顔が見て取れる。

 今の私には、欲しくてたまらないのに、手に入らないものだった。



「それにしても、急にどうしたのよ」



「ん?」



「綾から3人で買い物しようなんてさ、珍しいじゃない」



「まあ……たまにはいいかなって思ったんだよ」



「もしかしてさ」



 母の声が、少し低くなった。



「責任感じてんじゃないでしょうね。あの日のことを」



 私が黙っていると、母に背中を叩かれた。



「あんなもん、どうってことないって!」



 母は白い歯を見せる。



「アタシはね、あんなのが可愛く見えるくらいの人でなしと、何年も暮らしてたんだよ。だからどうってことないって」



 母が言う「人でなし」とは元夫、つまり私の父親のことだ。



 私たちは毎日、「人でなし」に殴られていた。

 そしてある日、私は酔った父親に襲われそうになったのだ。

 たまたまパートから早く帰って来た母のおかげで事なきを得たが、近親相姦未遂の件で父親を捨てる決意をした。



 母は、私を連れて逃げ出したのだ。



 いや、逃げたんじゃない。



「母さんは私を守ってくれたんだよね。それなのに……私は母さんを……」



「馬鹿だね。

 アンタは、日向を守ったんじゃないか」



 母は私の頭にそっと手を置いた。ささくれていて、ネイルなんてしたことがない手だ。それでも私にはとても暖かい手だった。



「警察が来るまで、綾はずっと日向に覆い被さって、アイツに指一本触れさせなかったんだ。立派な母親だよ」



 母は満面の笑みを浮かべていた。今さらではあるが、私は痛感する。



 やっぱりこの人には敵わないな、と。



「気分転換に誘ってくれたんだろ? だったら存分に楽しもう! ねえ、日向」



「そうだね」



 気分転換──もちろんそのためでもある。だがこの日、3人で出かけたのには、他にも理由があった。



 アリバイ作りのためだ。



 私に交換殺人の提案してきた例の金髪の男、鷹端たかはしれんから連絡が来た。



 日曜日、竜司を始末する、と。



 竜司が殺されたとなると、真っ先に疑われるのはこの私だ。



 だから警察の追及をかわすためには、完璧なアリバイを用意しないといけない。



《可能な限り多くの人の目に触れる場所で過ごせ》



 高橋蓮から言われた指示だった。



《間違っても、1人で部屋の中で過ごすんじゃねぇぞ》



 私のアリバイを証言してくれる多くの人が集まる場所──



 地元ではこの大型ショッピングモールしかない。人が多い上に、防犯カメラもある。



 完璧だ。



 念のため、日向が好きなアニメの映画も観た。チケットの半券には、日時が刻印されるからだ。



 それからフードコートでは、派手に飲み物をひっくり返しておいた。客はもちろん店員にも、そそっかしい母親の姿が記憶に刻まれたはずだ。



 夕方、一時的な避難場所として借りたマンスリーマンションに戻る。

 ドアを開けるなり、母は備え付けのソファに体を投げ出した。



「もうクタクタだよ。やっぱり歳だね」



 眠ってしまった日向を抱いた私は苦笑する。



「歳って……母さんはまだまだ若いよ」



「ダメ。もう動けない。お弁当を買って来て正解だったね。それにここは家具が揃ってて助かるよ」



 家賃は少し割高にはなるものの、家具付きの部屋にして良かった。

 おかげで日向を清潔なベッドの上で寝かせてやれる。



「綾、先にシャワー浴びていい? もう汗だくだよ」



「どうぞ。ゆっくり浴びてきて」



 ではお先に、とシャワールームに入って行く母を横目で見ながら、私は日向の隣に寝そべった。



 楽しかったな……。



 疲れたが、心地良い疲労感だった。

 こんな感覚になったのは、いつ以来だろう。

 そこまで考えて、自分を嘲笑するように短く網が漏れた。



 初めてだ。



 こんな毎日が、ずっと続けばいいのに──



 ウトウトとしていたら、スマートフォンが鳴った。

 日向を起こしてしまわないように、慌てて隣の部屋へ行く。



 知らない番号だった。



 出るとすぐに、しわがれた声が聞こえてくる。



《折原綾さんですか?》



 口調は穏やかだが、その奥に張り詰めたものが隠れているのを私は感じていた。



「そうですけど……」




蒲生がもう東警察署の実浦みうらと言います。今、どちらにいらっしゃいます?》



 マンスリーマンションの住所を告げると、《今からそちらに向かいます》と言って電話は切られた。



 電話から数分後、ドアがノックされる。



 私はベッドから立ち上がると、ドアスコープから外を覗いた。



 うっかりドアを開けら竜司だった──なんてことになったら目も当てられない。



 幸い、竜司ではなかった。



 くたびれた背広を着た白髪混じりの中年男。一歩下がったところにはシワ一つないワイシャツに、ビシッとしたスーツを着こなした若い男が立っていた。



 どちらもずいぶん目つきの悪い人相をしている。



「どうも、折原さん?」



 ドアを開けるとすぐに、くたびれた中年男の方が警察手帳をこちらに見せた。



「電話した実浦みうらです。こっちが葉隅はすみと言いまして」



 後ろの若い男が、鋭い視線を向けて来る。私に向いていた目は、素早く私の肩越しに部屋の中にも向けられた。



 実浦も私の後方に目をやる。



「他に、どなたかいます?」



「ええ。母と娘が」



「そうですか。ところで袴田竜司さんという方はご存知で?」



「え、ええ……」



 心臓が大きく跳ねた。



「今日の昼ごろなんですがね、何者かに殺害されたようなんです」

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