第5話
目が覚めた。
ベッドの中だった。朝だった。カーテンの隙間から、日光が差し込んでいた。
私は起き上がり、鏡の前に立った。
目が二つ。鼻が一つ。口が一つ。すべて昨日と同じ位置に、同じ形で存在している。
そして、私は昨日の記憶を持っている。怪物との戦闘。屋上での逡巡。夜空の星。
全部、覚えている。
でも——
あの「私」が見た星空と、今の「私」が覚えている星空は、同じものなのだろうか。
あの「私」が感じた恐怖と、今の「私」が覚えている恐怖は、同じものなのだろうか。
わからない。
多分、永遠にわからない。
朝食の席で、母が言った。
「あかね、今日は顔色がいいわね」
「そう?」
「ええ。ぐっすり眠れたみたいね」
私は曖昧に笑った。
確かに、体の調子はいい。頭もすっきりしている。
当然だ。この体は、何も経験していないのだから。昨日の疲労も、恐怖も、何も知らないのだから。
学校に行く途中、ミルクが話しかけてきた。
『あかね。昨日のこと、覚えてる?』
「覚えてるよ」
『そう。よかった』
「何が?」
『記憶が、ちゃんと引き継がれて』
私は立ち止まった。
「ねえ、ミルク。もし記憶が引き継がれなかったら、どうなってたの?」
『それは……起きたことがないから、わからない』
「起きたことがない?」
『うん。一度も』
私は、ミルクの顔を見た。
白い毛並み。丸い目。いつもと同じ、穏やかな表情。
「本当に?」
『本当だよ』
ミルクは、嘘をついているようには見えなかった。
でも、私にはわからなかった。
ミルクが真実を言っているのかどうか。そもそも、「真実」とは何なのか。「私」とは誰なのか。
何も、わからなかった。
放課後、親友の美羽が話しかけてきた。
「ねえ、あかね。最近、なんか変わった?」
「変わった? 何が?」
「うーん、なんていうか……雰囲気? 前より大人っぽくなったっていうか」
「そうかな」
「うん。なんか、達観してるっていうか」
私は笑った。
「そんなことないよ。私は私だよ」
美羽は首を傾げた。
「そう? まあ、いいけど」
私は私だ。
その言葉を、私は何度も心の中で繰り返した。
私は私だ。
たとえ、三十七人の「私」が消えていったとしても。
たとえ、これからも何人もの「私」が消えていくとしても。
記憶が続く限り、私は私だ。
そう信じるしかない。
そう信じなければ、私は——壊れてしまう。
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