『諦めたはずの彼女を、救いたいと思ってしまった俺の話』 ――戦場で壊れた獣人少女と、幼馴染の俺
@hissokuE
第1話 地獄に適応した少女
―――――私の一番古い記憶。
繋がっていた手が離され、去っていく母の後ろ姿。
追いかけようとして、知らない誰かに阻まれる。それでも、母を引き留めようとしたのだろう。拙いながらも必死に言葉を紡ぎ、叫び、喚いて、泣いていた。
しかし、母は一度も振り返らなかった。
ただ、去っていった――そんな記憶。
今では、その時に叫んでいた言葉も、投げかけた母の顔も思い出せない。
それでも、感情だけは残っている。
捨てられるのだろうという絶望。
そして、深い悲しみ。
その感覚だけが、今でも私の記憶に沁みついている。
私は今、地獄にいる。
銃弾の雨が降り注ぎ、激しい轟音と声にもならない悲鳴が、そこら中から聞こえてくる。
目の前には死体の山。敵のものなのか、仲間のものなのかも分からない。ただ、ゴミのように積み重なっていく肉の塊。
この光景を、地獄以外の言葉でどう表せばいいのだろう。
そして――そんな光景に、何の感情も抱かなくなった私は、はたして正常なのだろうか。
この景色を見始めて、もうすぐ二年が経つ。
最初の頃は、目の前で淡々と繰り返される人の死を、吐瀉物を吐き出しながら、ただ見ていることしかできなかった。
やがて、理解した。
次は、私の番だと。
そこから先のことは、あまり覚えていない。
この地獄の中で、何人の敵を殺したのかを――。
そうしなければ、次は私が
――ゴミになりたくなければ、何も考えずに戦え。
そんな強迫観念のような意志が、今でも私をこの戦場で生き延びさせている。
それでも、時々考えてしまう。
この地獄は、いつか終わるのだろうか。
そして、その時、私はどんな表情で、どんな感情でそれを迎えるのだろうか。
それは、私にとって幸せなのだろうか。
そんな世迷言を頭から振り払い、再び銃を握りしめる。
銃口の先に敵を捉え、引き金を引く。
あとは、その繰り返し。
銃弾の音が鳴り響くたび、人だったものが肉片となり、積み重なっていく。
「……本当に、最悪」
人を殺しておきながら、幸せになれるかもしれないなどという甘い考えを、嘲るように言葉を吐き捨てた。
■ ■ ■
前線から少し離れた、後方補給基地の食堂。
「君は、なんでいつもそれを食べているの……?」
呆れた表情で、一人の獣人の少女が隣の若い青年に話しかけていた。
「だから、いつも言ってるだろ。こっちの方が高たんぱくで、筋肉がつくんだよ」
青年は思春期の子供のように、煩わしそうに答える。
「だからって、わざわざ獣人用の配給を食べる必要はないでしょ。それに、人間用の配給だって、ちゃんと栄養バランスは考えられてるんだよ? 味だって、こっちの方がずっと――」
「別に、味なんてどうでもいい。それより、体力がつくなら何だっていいんだ」
「……もういいわ。それより、なんで貴方はいつも私の隣で食事をするのよ」
「……別に、俺の勝手だろ。好きな場所で食わせろよ」
そんなやり取りを交わす二人。
一人は、銀色の長い髪をヘアゴムで無造作にまとめた、小柄な犬系の獣人の少女。
鋭く細い瞳には、感情の温度を感じさせない黒が宿っていた。
もう一人は、黒髪の若い人間の青年だった。
――そんな二人は、周囲から訝しむ目で見られていた。
「周りの目、気にならないの? 獣人用の配給を食べて目立ってる上に、獣人と一緒に食事してるのよ」
「だから、それがどうした。俺は好きなものを食ってるだけだ。それに――」
青年は一瞬言葉を切り、視線を彼女に向けた。
「家族と食事をするのは、普通のことだろ。……姉さん」
「ここでその呼び方はやめて。それに、もう孤児院は出てる。私は貴方の姉さんじゃないわ」
「……悪かった」
短くそう言ってから、彼は言い直す。
「アイリス」
「下の名前で呼ぶのもやめて。呼ぶなら、先輩と付けなさい」
その言葉を境に、二人の会話は終わった。
人間と獣人。
相容れない二つの種族は、互いに嫌悪し合っている。
人間は獣人を家畜や獣と罵り、
獣人は人間を、毛のない猿だと嘲る。
そんな世界で、この二人の関係は、あまりにも異質だった。
「それじゃ、先に行くわ」
そう言い残し、獣人の少女は席を立つ。
その小さな背中を見送りながら、青年は静かに呟いた。
「姉さん……」
ここでの生活が、
あんたから何を奪ったんだ――。
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