6

「入瑞、起きて。」


目を開けると、冷たいコンクリートの床に膝をついて蹲っていた。

手は握られたままだ。

そこは、見慣れた玄関だった。


いや、違う。

造りは全く同じだが、ここは僕の部屋ではない。

僕は冬深の部屋に来たのだ。


「あれ、なんで、いつの間に」

途中から記憶が無かった。

「とりあえず上がって。土足でいいから。」

「お邪魔します。」

「何かしこまって。ウケる。」

冬深の軽口に言い返せるほど頭が働かなかった。ぼんやりしている。夢の中のように現実味がない。


本来フローリングが貼られている床は剥がされ、基礎が剥き出しになっている。土足でいいのではなく、土足でなければ入ることができない。

床だけではない。壁も天井も本来覆われているものが何もない寒々しい空間だった。

そこに天井からぶら下がる消えた裸電球、妙に長いソファと低いテーブルという最低限の家具だけがある。

窓の外の鉄塔のランプが部屋を赤く染める。

窓の外の。

窓の、


「なぁ、この部屋何階だ。」

「7階。」

急に動悸がしてきた。身体が冷たくなっていく。

「なんで、、、いつの間に、、、」

呼吸が荒い。立っていることができずに再び蹲る。僕は目を覆う。

握られていた手が離される。

「落ち着いて。ここは床がある。」

ざっと音がして目の端の赤い明滅が止まる。

「カーテン閉めたから。もう目開けていいよ。」

顔を上げると、窓は分厚いカーテンに覆われていた。落ちる寸前の線香花火に似た裸電球の、今にも消えてしまいそうな、どこか懐かしいような光が殺風景な部屋を淡く照らしていた。

「さすがに夜じゅうぺかぺかしてるのうるさいから遮光カーテンにしてんだよね。」

冬深は窓際から、部屋の中央に蹲ったままの僕の方へ歩いてくると右手で背中に触れた。

「マスク、外していいよ。ここには俺しかいないから。」

背中をさすられながら、マスクを外される。

肺に酸素が流れ込む。部屋は少し乾いた木の匂いがした。


段々と呼吸が落ち着いてきて、僕はようやく言葉を発する。

「高いところが、ダメなんだ。だから部屋だって1階に借りてる。工場は平屋建てだし、こんなに高いところ、来たことが、」

自分が7階にいることをまた思い出して胃がせり上ってきそうになる。

「落ち着いて。大丈夫。大丈夫だから。」

そう言いながら冬深は僕のことを正面から抱きしめる。顔を埋めることになった首からは部屋よりも少し強く木の匂いがした。


ややしばらくそのまま動かないでいるうちに体温と心臓の音に再び落ち着きを取り戻す。

「・・・・・・もういい。大丈夫だから。」

冬深は僕から身体を離す。

「いつまでも床に座ってんのもアレだから、適当にソファとか、まぁソファとテーブルしかほぼないんだけど、座って。」

僕と冬深は妙に長いソファに人1人分ぐらい空けて座った。


「何から言ったもんだかなぁー。」

「分からないことが多すぎる。」

「この社宅、元々団地だったのは知ってる?」

「あぁ。」

「実験棟なんだよ。」

「は?」

「藍居ビルシステムって聞いた事ある?」

藍居ビルシステムはこの街に複数の物件を所有している不動産会社だ。

「名前くらいは。」

「表向きは普通の不動産会社だ。」

「裏があるのか?」


「あれは、空間設計とある種の呪術を組み合わせることで人間の行動心理の操作を行うことを専門とした組織だ。」


突然何を言い出すんだこいつは。

「そんな漫画みたいな話信じられるかよ。」

「入瑞は反感を持っていたはずの俺に手を引かれてのこのことQ号棟まで来たのは何故。高いところが極端に苦手なはずなのに7階の部屋まで上がれたのは何故。」

「・・・・・・。」

思い返してみれば、いや、ずっとおかしいと思っていた。

自分の感覚が、認識が、何もかも信用できない。一体いつから、どこから。


冬深は足を組み替えながら部屋の壁の方に向かって話しかける。

「俺はあんまり呪術とかはよくわかんないし、ぶっちゃけそっちは半信半疑なんだけど、あの連続した同じような風景、明滅する赤いランプは恐らく装置として機能している。高速道路を走っていて単調な景色が続く道では居眠り運転による事故が発生しやすいって聞いたことない? 或いは、催眠術の導入でふりこをじっと見るように指示したり、ライターの炎を見せたり。」

理屈としてはわかるが、実際、そのようなことは可能なのだろうか。

「元々ここは藍居ビルシステムの実証フィールドとして使われていた。表向きはニュータウンの造成として整備されたけどね。元々人間が住むようには造られていない。広大な土地に様々な仕掛けを施した建物を建てて、その効果を検証するんだ。特に、人間を操るには催眠状態にするのが手っ取り早い。だからこそ、この反復構造のランドスケープが設定された。」

「なんで、お前がそんなこと知ってるんだよ。」

「一時期、藍居ビルシステムで試用されていたことがある。」

「は?」

「あの組織は本当にロクでもないぞ。この髪、染めたんじゃなくて地毛。人為的に造られた化け物屋敷に放り込まれたときに一晩でこんなんなった。いちいちブリーチしなくていいのは楽だけどさ。試用っていうのはていのいい言い方で、実際、今思えば実験体として引っ張ってこられたのかもな。さすがに身の危険を感じて逃げたよ。入瑞はさ、ブリーチ代浮かせたいとかじゃなかったらT沢町の壁が真っ赤なアパートにだけは絶対に近づかない方がいいと思うよ。まぁ、あれも心理操作の賜物たまものなのかな。」

そんな物騒な建物が街中に普通に存在するという事実が恐怖だった。

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