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「よっ。」

終業後に会社の通用口を出ると、冬深がいた。

街灯がスポットライトのようだった。道路を挟んで向かい側のコンクリートの壁に持たれながら、こちらに向けぶらぶらと手を振っている。待ち伏せをしていたのだろうか。

「ストーカー規制法違反で警察に突き出すぞ。」

「証拠不十分だよ。君と俺は今日初めて喋ったばかりだろ。大体自分が働いてる工場の通用口付近にいて何が悪い。」

「ぐっ、、、」

反論のしようがなかった。


「まぁ立ち話もなんだし、歩こっか。」

「家までついてくる気かよ、勘弁してくれ僕は疲れている。」

足早に立ち去ろうとしたら腕を掴まれた。

「離せよ。」

「離してほしかったらさ、振りほどくなり殴るなりしたらいいじゃん。でも入瑞は出来ないでしょ。」


本当にその通りだった。

僕は他人を殴れないどころか振りほどくこともできない。


冬深は僕の腕を掴んだまま歩く。

歩かないわけにもいかないので僕も足を進めた。腕を掴まれ並んで歩く僕らは傍から見たらとても奇妙に見えたであろうが、幸いこの時間に他に人は見当たらなかった。


今日は残業だった。

担当しているレーンの調整があったからだ。調整とは名ばかりで、レーンの隙間に溜まった汚れを取り除くだけの作業である。この作業はレーンの担当者に月に1度順番に回ってくる。他のレーンでも同様の作業は行われているはずだが、毎回僕はひどく時間がかかってしまい、一番最後に通用口を通ることになる。僕としては誰かと鉢合わせてしまったりするほうが都合が悪いから、わざと時間をかけているようなところはある。

だから、どう考えても冬深は僕が出てくるところを待ち伏せしていたのだった。


工場の壁と平行に伸びる川沿いの道には青白い色の街灯が等間隔に並んでいる。

いつもはこんなもの気にしたことがなかったが、異様な状況の中に置かれて意識を逸らそうとして普段目もくれないようなものを認識してしまうのかもしれない。だからといって街灯が僕のことを助けてくれるわけではないのだが。


「ねぇ、あれ見てよ。」

相変わらず僕の腕を掴んだまま離さない冬深の目線の先には、川に架かる橋があった。

夜は暗く、人通りも少なく、あまり治安がいいとはいえないこの辺りの環境を改善するため、有名な照明デザイナーが手がけたという橋のライトアップ。青を基調に差し色にところどころ暖色が使われている。ただ、そこだけが明るく、周りの風景と乖離している。


「あの橋、ウミウシに似てると思わない?」

「あぁ、確かに。」

そのカラーリングはよく写真で見るような青と黄色のウミウシに似ていた。

「入瑞はさ、ウミウシって見た事ある?」

「写真でしかない。」

「生きててさ、ウミウシ見ることなんかないよね普通。水族館にもあんまりいないし。」

「そもそも水族館に行ったことがない。」

そう言うと冬深は信じられないものを見るような目で僕を見た。

「・・・・・・今度行こう。水族館に行ったことがない人間がこの世にいるなんて信じられない。」

「嫌だよなんで職場のよく知らない奴と水族館に行かなきゃならねーんだよ。」

「こんなに俺たちは仲良しなのに?」

「なにをどうしたら仲がいいことになるんだ仲良くない全然仲良くない。他人だ他人。」

手首をぎゅっと掴まれた。

逃げたい。


このままでは本当に家までついてきてしまう。


僕の家は工場の社宅だった。

川向こうにある、かつてニュータウンとして造成された巨大な団地は人口の減少により住民が激減した。そこを工場が買い上げて社宅にしたのだった。


それは社宅というにはあまりにも広大であり、複数の棟に住人が散在しているため、なかなか他の住人の姿も見掛けない。

いなくはないが、生活感を感じない距離感。

僕はそうした環境を気に入っていた。


冬深もこの工場の人間なら、どこかの棟に住んでいるのだろうか。

となると、少なくとも社宅までは同じ道を歩いていくことになる。

僕は立ち止まった。


「本当に、本当に困る。」

「何故。」

冬深は心底不思議というような顔で僕を見た。

「僕はよく知らない奴に家を知られたくない。それにいつまでもついてこられるのも腕を掴まれているのも困る。誰かといるのも喋るのも絡まれるのも嫌だ。一人でいないと気が狂いそうになる。」

「それはこれのせい?」

冬深の手が僕の顔に向かって伸びる。

顔を逸らそうとしたが、工場からずっと着けっぱなしだったマスクを取られた。

僕は掴まれていた手を振りほどきその場に蹲り顔を覆った。

「なんだ振り払えんじゃん。そんなに嫌だったんだ。顔見られるの。」

僕はそのまま動くことができない。

「・・・・・・見るな。どっか行けよもう。」

掠れて思うように声が出ない。

「見せて。」

冬深は蹲る僕の肩を後ろに強く押した。身体がバランスを崩し仰向けに倒れ込む。アスファルトの冷たさを背中に感じる。

そして冬深は顔を覆う僕の手を蜜柑の皮でも剥くかのように引き剥がした。

眼前に冬深の顔がある。見下ろす顔は暗くてよく見えないのに、目だけはギラギラと輝いて心底楽しくて仕方がないというような表情の。

「見つけた。」

動けない僕の頬に手が伸びてくる。

指先が触れた。


頬に残っている醜く大きな傷跡に。

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