第3話 衛兵の休暇の前と後
◇
不幸なことに、舞踏会はあまり楽しい場ではなかったようだ。
早々に抜け出したのか、姫様は予想していたより早い時間に俺のところにきた。
「……もう、最悪かも」
そうつぶやいて、姫様は深いため息をついている。
舞踏会で何かあったのかと心配したが、どうやらどうでもいい男どもに賞賛されたようで、それがつまらなかったんだと。
悪いが、俺にはよくわからないな!
わからないが……姫様は周囲の気配に敏感で頭もいい。向けられる言葉が本心からのものではないと見抜いたのかもしれないし、取るに足らない男どもに賞賛されても嬉しくないのかもしれない。
姫様は贅沢だな。
それでも笑顔で対応したのなら、まあよく頑張ったんじゃないか?
俺が心の中で褒めてやる。
しばらくため息をついていた姫様は、少し明るい顔になった。
「つまらないことがたくさんあったけれど、今夜はレナンお兄様の婚約者を披露する場でもあったの。レナンお兄様のことは知っているわよね? とても真面目で、とても忙しくて、いつも眉間に皺が寄っている人よ!」
あー、あの二番目の王子様のことだな。
姫様と似ていて顔がいいのに、いつも疲れた表情をしているせいで実年齢より老けて見えるんだよな。
そうか、あの王子様も正式に婚約したのか。
姫様より三歳くらい年上だったか?
ということは……二十歳か。
ひえー、もうそんな年齢になるのか! いつも本を抱えていたお坊ちゃんがなぁ!
「レナンお兄様の婚約者は、働きすぎのレナンお兄様にびしっと言ってくれる人なのよ。舞踏会の一週間前にも『そんな疲れた顔の王子を見て、民が安心できると思いますか?』と仕事を切り上げさせたの。とても頼もしかったわ!」
……それはまた、嫁さんの尻に敷かれそうだな。
すでに敷かれているのか?
いいお相手を見つけてもらって、よかったな!
心の中で縁組した人間を称賛していると、姫様がにっこりと笑った。
「とにかくね、レナンお兄様たちのダンスは素敵だったの! とても楽しそうで幸せそうで、私もあんな笑顔でダンスができる人と結婚できればいいなぁと思ったわ!」
そうだな。
きっと大丈夫じゃないか? 姫様だし美人だし、少々元気が良すぎても貰い手は山ほどいるだろうよ。
しかし、結婚なぁ……。
結婚ってそんなにいいものなのか?
俺が密かに首を傾げていると、姫様がなんだかもじもじしながら立ち位置を変えた。
「そ、それより今夜のドレスを見てくれる? ……素敵でしょう!」
そう言って、その場でくるりと回った。
舞踏会用の華やかなドレスがふわりと広がり、耳の飾りが揺れる。いつもなら長い髪も広がったんだろうが、今夜は大人っぽく結い上げているから、意図的に垂らした一房がゆらりと動いただけだ。
代わりに白いうなじが目に入って、俺は慌てて目を逸らした。
……クソっ。
俺としたことが、見ちまったじゃねぇか。
全く、この姫様は大丈夫か?
もうお年頃になってることを自覚しろよ。ドレスを見せびらかしたいからといって、人目のないところで男に気を許すなよ。世の男はな、二人きりになったら狼に変わるんだぞ!
「そろそろ戻るわ。また明日!」
一通り愚痴を言ってスッキリしたのか、姫様はご機嫌な様子で舞踏会の会場へ戻ろうとする。その後ろ姿から目を逸らし、俺は小さく咳払いをした。
「——これは独り言なんだが」
姫様がパッと振り返った。
できるだけ目を合わせないようにしながら、俺は「独り言」を続けた。
「俺はしばらく休暇を取ります」
「……え? 休暇?」
驚いたようにつぶやいた姫様は、慌てて戻ってくる。
そんなに驚くことか?
それとも……この反応、やっぱり俺の勤務予定を聞いていたんだろうな。
俺の勤務予定はたいした機密事項じゃねぇが、軍の規律はどうなってるんだよ。まあ、本当の予定は漏れていないからいいか。
こっそりため息をついていると、姫様は何か言おうとするように口を開き、そのまま何も言わずに唇を噛み締めた。
おいおい、そんなに噛むときれいな唇が傷つくぞ!?
そう言いたかったが、衛兵の俺が直接話しかけることは許されない。
だから、俺はちょうど目に入った花壇を利用することにした。
「せっかくこれから花が咲くって時なのに、誰も見てやる人間がいないのは残念です」
他の衛兵どもはだいたい花より酒で、花壇になんて興味を持たない。
俺だって花に興味はなかった。
ただ……姫様はここに来るたびに花を見て、きれいだの香りがいいだのと楽しそうにする。だから俺も花に目を向けるようになった。
少しだけ、だけどな。
姫様は俺が見ている花壇に目を向けたようだ。
小さく息を吐いて、いつものように笑った。
「仕方がないわね。お前の代わりに、私が見てあげるわ!」
姫様はまた元気になったようだ。
そのままいつもより足早に遠ざかっていって、舞踏会用の華やかなドレスは見えなくなった。
◇
「あれ? ガレスさん、まだ時間は大丈夫なんですか?」
声をかけられて、ちょうど苗を植え終えた俺は立ち上がった。
花壇には開花が近い蕾をつけた花があり、その周囲に植えたばかりの貧弱な苗がある。
その苗に水をやりながら、俺はチラッと衛兵仲間に目を向けた。
「ここの片付けが終わったら出発するよ」
「片付けくらい俺たちがやっておきますよ! ガレスさんはこれから西の盗賊討伐に行くんですから!」
そう、俺は「休暇」という名目で衛兵の職務から離れて、別の任務に就くことになっている。
激戦地専門の戦闘員として。
お貴族様たちには煙たがれているが、俺の名前と存在は「使える」らしい。
「いつもガレスさんを成り上がりとか言ってるくせに、手に負えなくなるたびに戦闘を押し付けてくるなんて、お貴族様は嫌なやつですよ!」
「まあ、そう言うなよ。俺もたまには体を動かしたいからな」
もっともお貴族様たちは、あわよくば俺に戦死してほしいと思っているはずだ。
馬鹿どもめ。そんなに簡単に死んでやるかよ。
「それで、ガレスさんは出発の直前に何をしていたんです?」
「次の花の苗を植えていたんだよ。ここにある花は1ヶ月くらいしか保たないらしいから」
「ああ、姫様のためですか! ということは……今回は長くかかりそうなんですか」
「できれば、2ヶ月以内に方をつけたいとは思っている」
「ガレスさんなら大丈夫ですよ!」
若い衛兵は目を輝かせている。
戦場で一緒に戦った兵士どもが俺を盲信するのはわかるが、若い王宮衛兵まで俺を憧れの目で見るのは何なんだろうな。
なんとなく苦笑しながら、俺は脱いでいたマントを再び羽織った。
王宮衛兵のお上品な制服とは違う、派手だが実用的な制服は王国軍のもので、剣も重くて頑丈な実戦用だ。
正規軍の制服は似合っていないと思う。ただ戦闘屋という括りでは俺の本質から遠くない。
だからだろうか。久しぶりに血がたぎる感覚がある。
次に戻ってきた時には、植えたばかりの苗は大きくなっているだろう。できれば姫様の荒ぶる気分を和ませてくれれば……って、それはさすがに無理か。
「さて、もう行くかな。あとは頼んだぞ」
「ご武運を!」
若い衛兵はビシッと姿勢を正して敬礼をした。
やめろよ。俺はただの戦闘屋で、崇高な軍人様とは違う。今も金のために動く傭兵のままなんだ。英雄様にはなってねぇし、なりたくもない。
ため息をついてから、俺は馬を待たせている門へと向かう。
だが花壇の前で足を緩め、今まさに開こうとしている大きな蕾と、まだ弱々しい苗に目を向けた。
「……お前らも頑張ってくれよ」
小さくつぶやき、俺はまた足を早めていった。
◇
盗賊討伐は想定以上に手間取った。
領主一族の一部が、裏で盗賊どもと手を組んでいたことが原因だ。
クソが。
無駄な時間を使わせやがって!
舌打ちしながら、久しぶりの衛兵の制服を着る。腕に巻いた包帯が隠れていることを確認してから、いつもの任務場所へと急いだ。
三ヶ月ぶりの花壇は様相が変わっていた。大きな蕾をつけていた花はとっくに時期を終えて枯れたようだ。全て抜かれてなくなっている。
代わりに出発前に植えた苗が大きくなっていて、小さな花がポツポツと咲いていた。
……思ったより地味な花だな。
庭師のじいさんが「これがいい」と勧めてくれたから、てっきり花が大きいタイプだと思っていたよ。
ま、俺は嫌いじゃない。
定位置に立って、ふうっと息を吐く。
背筋を伸ばした姿勢を続けていると、腕と足がじわりと痛んだ。
どちらもかすり傷だが、治りかけは痛みを少し強く感じる気がする。もう慣れたがな。
こっそりため息をついた時、茂みが揺れた。
姿勢を保ったまま、俺は目を動かす。予想通り、茂みの向こうからドレス姿の姫様が出てきた。
「あ……」
俺を見た途端、姫様はぴたりと動きを止めた。
でもすぐに何もなかったように早足でやってきた。
「久しぶりね、衛兵。お前の休暇の間にあの花は終わってしまったわよ!」
そうだな。正直残念だよ。
姫様は——元気そうに見える。
最近はどうだったんだ? 隣国のアレな王子様とはそれなりに仲良くしているか?
すぐそばに来た姫様へと目を動かす。姫様はちびっ子の頃と同じように俺の足元の石に座った。
「お前がいない間もつまらないことが多かったわ! 今日もね、イライラすることばかりなのよ!」
……おおう。さっそく荒ぶる姫様かよ。
だが愚痴を言っているのに、なぜか楽しそうに笑っている。だから、そんなに深刻なことじゃないんだろう。
姫様の愚痴はいつまでも終わらない。
それを半分聞き流しながら、俺は足元のふわふわした存在から目を逸らそうとしたが——なぜか今日に限って苦労している。
「それでね、聞いてよ衛兵!」
あー、はいはい。
ちゃんと聞いていますよ。姫様。
【終】
成り上がり衛兵は今日も姫様の愚痴を聞く ナナカ @nana_kaz
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