◆ episode4.
翌日。
みんなで食事に行った。
彼女はまた“普通”にそこにいた。
店を出た瞬間、外の空気が頬に刺さった。
さっきまでの笑い声が、嘘みたいに遠い。
石畳の上を歩く音が、やけに響いた。
靴底が硬いからじゃない。
夜が、音を拾いやすい顔をしているだけだ。
三人で並んで歩くのは自然だった。
誰も「行こう」とも「ついてきて」とも言っていないのに。
放課後みたいに笑っていた空気が、
形を崩さないまま深夜の散歩へ移っていく。
……でも。
私は、歩幅の端で九条さんを見ていた。
見ないふりをしながら、見る。
それが長年の癖だ。
さっきまで確かに笑っていたのに、
その笑いが、体に定着していない。
笑いのあとに残るはずの余熱が、彼だけ薄い。
肩の位置が、ほんの少しだけ落ちている。
手はポケットの中で、何かを握っているみたいに固い。
いつもの九条さんなら、夜道でも自分の速度を崩さない。
崩さないというより、周囲の速度を彼に合わせてしまう。
黙っていても、黙り方が「支配」に近い。
でも今夜は違う。
黙っているのに、空気が従っていない。
従わせる気力がないわけじゃない。
ただ、どこか、心が別の場所に引かれている。
——あれ。
——なんか、様子が違う。
その違和感は、言葉じゃなくて、呼吸の高さで来た。
深く吸うでもなく、荒くなるでもなく、
ただ均衡がほんの少しだけ崩れそうな呼吸。
曲がり角をひとつ抜けたとき、白い尖塔が見えた。
月光を吸い上げるみたいに、細くまっすぐ立っている。
教会だった。
中に入った瞬間、音の世界が途切れた。
私はそっと歩みを進め、長椅子に腰を下ろした。
祈りたいわけじゃない。
でも、ここでは背筋を伸ばして座るのが一番自然に感じた。
彼女も隣に座る。
彼女の座り方は、いつも通りの速度で、いつも通りの温度だった。
この場所に合わせて形を変えないのに、場所を乱さない。
不思議な人だと、また思う。
最後に九条さんが座った。
少し間を置いてから。
その“間”が、私にははっきり見えた。
迷ったわけでも、演出したわけでもない。
ただ、座るまでの一拍に、言葉にしない弱さが混じっている。
いつもの九条さんなら、沈黙は武器に近い。
空気を読ませない。
読まなくても世界が従ってしまう強度がある。
でも、この沈黙は違う。
彼の横顔は無表情なのに、影だけが震えて見えた。
震えているのは体じゃない。
内側のどこかが、置き場所を探している。
隣で彼女が、静かに手を組んでいた。
祈っているわけじゃないのに、祈りみたいな姿勢。
私もいつのまにか同じ形になっていて、自分で少し驚いた。
誰も歌っていないのに、音の痕だけが空気に沈んでいる。
古い石が、たくさんの夜を覚えているのだと思った。
九条さんが、ふっと目を閉じた。
ほんの一瞬。
弱音ではない。
強さでもない。
ただ、どこにも置き場所のない感情が、
青い光の中でかすかに揺れただけ。
——やっぱり、様子が違う。
——でも、今はその違いを言葉にしないほうがいい。
私はその揺れを見てしまった。
見たというより、青い影に触れた。
触れてしまったから、もう戻れない気がした。
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