(3)信心と深層心理

「そうなると、本当に神様?」

「どうして人によって、違う姿で見えているのでしょうか?」

 その疑問に、彼は肩を竦めて事もなげに告げる。


「一言で言えば、我の神格が低いからだ。ある程度の信心があればそれに応じて人に姿を見せることはできるが、その者の深層意識に強く依存する姿になるのでな」

 それを聞いた三好は納得しつつも素朴な疑問を口にした。


「はぁ、なるほど……、そうですか。因みに、あなた様より神格が高い神様が人間の前に姿を現す場合は、誰にでも同じ姿が見えるのですか?」

「それはそうだな。だが普通の者がその姿を目の当たりにしたら、目が潰れると思うが」

「何それ!? 怖すぎる!!」

「もはや恩恵ではなくて、神罰ですね……」

 二人が恐れおののく中、今度は自称神が問いを発する。


「それはそうと、そこの女」

「何ですか?」

「先程口にした『いけめん』というのは、見目良い若い男のことであろう?」

 その問いかけに、郁は思わず皮肉で応じる。


「……神様にしては、俗世間の事を良くご存じですね。それほど神格が高くないからですか?」

「深層意識がそれではな……。男日照りが続いていると見える。難儀なことだな」

 そこで溜め息と共に明らかな憐憫の視線を向けられた郁の中で、何かが盛大に音を立てて切れた。その次の瞬間、彼女は近くにあった椅子を引き寄せ、勢いよく両手で持ち上げる。


「余計なお世話よ! この狐野郎!!」

 椅子を投げつける寸前の暴挙をさすがに傍観できなかった三好が、慌てて彼女の腕を掴んで言い聞かせた。


「新見さん、落ち着いてください!! 神様相手に乱暴狼藉なんて、天罰が下りますから!!」

「天罰上等!! 自分で神格が低いと自己申告している奴がどんな神罰を下せるのか、できるものならやってみろ!!」

「それで、そこの男。娘がおるようだな」

「…………っ!」

 唐突に話題を変えられた瞬間、三好が顔色を変えた。それと同時に、郁も怒気を削がれたように彼に確認を入れる。


「え? 三好さん? ご家族はいないとか、仰っていませんでした? だから緊急連絡先も、ご実家の両親の予定だとお伺いしていますが」

 すると三好は、項垂れながら語り出した。


「大手証券会社勤務で業績は順調だったのですが、五十を過ぎてから仕事に全くやりがいを感じられなくなりまして……。昔からの喫茶店経営の夢を諦めきれず、早期退職制度に応募して退職したんです。そして修行する喫茶店も見つけた頃に、妻が娘を連れて出て行きました。当時娘は高校生だったのですが、全面的に妻の味方で。『私、お母さんに付いていくから』と、一顧だにされませんでした……」

「それはまあ……、どちらの気持ちも分かりますが……」

 脱サラあるあるよねぇ……、と郁は思ったが、余計な事は口にはしなかった。しかし相手は三好の心情に構わず、淡々と問いを重ねてくる。


「あっさり妻子に捨てられたか。それでは今の我の姿は、娘が一番愛情深き頃の年頃に見えているわけだな」

「はい。勿論、娘とは違う顔立ちですが、最後に『お父さん、大好き』と言ってくれた年頃の、女の子に見えておりますぅぅぅ――っ!!」

 そこで三好は郁の腕から手を放し、床に崩れ落ちて号泣し始めた。この展開に、さすがに郁も焦って声をかける。


「三好さん、落ち着いてください! ちょっと! 神様だって言うなら、人の仕事を邪魔しないで貰いたいんだけど!? 契約成立になるかどうかの瀬戸際なのに!!」

「我も好き好んで、そなた達の前に出てきたわけではない。用件を済ませたら、すぐさま帰る」

「用件って何よ?」

「だからこれだ」

「その五百円玉が何なのよ?」

「ええと…、先程も仰っていましたね。それがどうかしましたか?」

 二人のやり取りを聞いた三好は、何とか涙を拭いて顔を上げた。そして改めて五百円玉を眺めながら尋ねる。すると、二人が予想もしていなかった内容が語られた。


「どうしてこれを寄進した? かなり稀少で価値がある物であろう? 間違えて賽銭箱に入れてしまったのではないか?」

「はい?」

「五百と書いてあるが、このような硬貨は見たことがない。以前、『おりんぴっく』なるもので記念硬貨が作られて、ふだん紙幣でしか作られていない千円の硬貨を見せびらかしにきた者がおった。だからその時と同様に、これは何か特別な物であろう? 後で、『間違えた、返せ!』と騒がれたり逆恨みされるのも面倒だからな。幸いお前はそれなりに信心があって私の姿を見たり声も聞こえそうだったので、返しに来たのだ」

「…………」

「間抜け面を揃えてどうした」

 郁と三好は、揃って呆気に取られながらその話を聞き終えた。そんな二人の様子を眺めた彼から、訝しげな声がかけられる。それにすかさず郁が反応した。


「間抜け面で悪かったわね!! 訳の分からない事を言っているのはあんたでしょう!? 五百円は前から硬貨よっ!!」

 その主張に、三好が横から慌てて解説する。


「あ、いえ、新見さん。五百円は以前、紙幣だったんですよ」

「え!? 嘘! 本当ですか!?」

「はい。新見さんが生まれる前、私が子どもの頃に切り替わりましたから……、四十年は経っていると思いますが」

「全然知らなかった……」

「この間、それより少額の硬貨を賽銭箱に入れる人はいても、偶々五百円硬貨を入れる人がいなかったんですね。それなら神様がご存じなかったのは無理ないです」

 三好がそう結論づけると、彼は感心したように頷いてみせた。


「ほう? そうだったのか。紙幣は時折入っていて、柄が変わっていたのは知っていたが、このような硬貨が出回るようになっていたのは知らなんだ。一つ勉強になった。礼を言うぞ」

「いえ、こちらこそ神様にお姿を見せていただき光栄です。そのままお納めください。ところで、先程の社殿の横に由来と神様のお名前書いてあったと思うのですが、きちんと目を通さなかったもので。正式には何とお呼びすれば良いでしょうか?」

「確かに『神様』と他の神と一括りにされるのは、言霊の関係上、色々と差し障りがあるな。勿論本来の名もあるが、以前同様の事があった時、『長くて一々呼ぶのが面倒くさい』と言われて、勝手に名前を付けられたことがあるのだ。その者には、それからその名前で呼ばれていてな。面倒なので勝手にさせていたが」

 僅かに考え込んでから告げられた内容に、郁は本気で戦慄した。


「何、その強心臓。神様に向かって面倒くさいと言い放った挙げ句、勝手に名前まで付けたとかありえない」

「……新見さんも先程から面と向かって、かなり失礼な言動をしていると思いますが」

「これも縁であろう。長々とした名前で呼ぶのも確かに面倒だろうし、我を久遠と呼ぶが良い」

「くおん?」

「『久しい』と『遠い』と書いて久遠ですか?」

「ああ、それだ」

 それで三好は、神妙に頭を下げる。


「分かりました。それではこれから久遠様とお呼びします」

「それで良い」

 久遠が鷹揚に頷いて応じると、三好は真顔で問いを発した。





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いらっしゃいませ、久遠様 篠原 皐月 @satsuki-s

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